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蘇生



 目が覚めると、そこにあったのは私の家族にして主人──翔太さんの顔だった。


「おかえり、ムム」


 涙ながらに私を抱き締める彼の温もりに心地良さを感じつつも、戸惑いを隠せずにいた。


 何故なら、まるで今の状況がわからないからだ。

 魔族領でナラ様に会ったことは覚えているのだけれど、その後のことがまるで思い出せない。


 しかし、翔太さんの様子を見れば、私が何かしらの迷惑をかけてしまったことは明白。申し訳なさが胸を突いた。


 ずっと、長い夢を見ていた気がする。

 それがどんなものだったかは覚えていないけれど、少し寂しい夢だった。


 だからだろうか。

 彼から伝わるその熱が、とても熱く感じてしまうのは。

 火傷してしまいそうなくらいに、身体が熱い。


 愛しい人に抱きしめられる幸福。

 彼の涙を通して感じ取れる愛情。


 それがじんわりと胸に染みる。

 

「……あれ?」


 そこで自分の身体の異変に気付く。

 何故だろう。ムラムラしてない。


 これまでの私なら、肩と肩が触れ合っただけで身体が火照っていたのに。ましてやこんなにもキツく抱きしめられては、安心感や癒しよりもまず発情する。それがサキュバスの体質であったはずだ。


 しかし、その高まりが一切生じない。

 これは私にとってはかなりの異常事態といえよう。

 まるで熱が冷めてしまったかのように、私の身体は冷たいままだ。


「……冷たい、です」


 そう。冷たいのだ。身体が、冷たい。

 翔太さんの身体が熱いのではない。

 自分の身体が冷たいのだ。


「私の身体に一体何が……?」


「その、まあ色々あってだな。……心臓を蘇生する前に魂を戻しちゃったら、不完全な蘇生をしちまって、それで、その、ムムはサキュバスから屍人になっちまった」


 気まずそうに語る翔太さんの言葉に、曖昧だった意識が一気に覚醒する。


「ええええええええええええぇぇぇぇっ!?」


 屍人ってあの屍人?

 肉体的な死を受け入れることで、精神的な死という概念から切り離されたアンデッド属の魔族だ。


 これが取り乱さずにいられようか。

 いつの間にか自分が動く死体になってたなんて。

 道理て身体が冷たいわけだ。

 道理て性欲が湧かないわけだ。


「ど、どうしてこんなことに!?」


 慌てて問いかけると、翔太さんはここ数日の間にあったことを語って下さった。


 一度は命を落とした私の為に、戦ってくれたこと。

 私たちサキュバスに掛けられた呪いは既に消えたこと。

 詳しくは話てもらえなかったけれど、翔太さんは私のためにたくさん無茶をしたのだということはわかった。


「そうですか……。ありがとうございます」


「あ、ああ。でもその、身体の方が……」


「いえ。いいんです」


 別にこのままでも。

 確かにびっくりしたけれど、本当なら死んでいたはずの私がこうして再び彼らと共に生きていけるなら、それくらいの代償、なんてことない。


 それに。

 きっと翔太さんは、こんな身体の私でも愛してくれるから。


「私のこと嫌いになりますか?」


「馬鹿言うなよ。そんな訳ないだろうが。俺はお前が大好きだ」


 意地悪な質問に照れながらも答えてくれた主人の笑顔を見て、私は第二の人生を生き抜く覚悟を決めた。



──〇〇〇〇──



「知ってましたか、プリシラ先輩。ドームみたいに太くてしっかりした形から出るやつの方が、白くて粘り気が強い傾向にあるんですよ。ネバネバーって感じで!」


「ひょえぇぇ〜。理沙ちゃんは物知りっス」


 ムムが帰ってきて数日が経ったある日のこと。

 久しぶりに筆を執りキャンバスに向かうムムの傍で、リーシャこと理沙と、緑髪エルフのプリシラがトークに花を咲かせていた。


「しかも勢いも激しいらしいですよ。やばくないですか?」


「ヤバいっス。めちゃくちゃヤベェっス!」


 身体を前のめりにしながら理沙の話を聞くプリシラに対して、ムムはキャンバスから目を離さない。

 話を聞いていることには違いないが、話の内容自体に、あまり興味がないようだ。


「ムム先輩は火山の話、興味ないですか?」


「いいえ。とても勉強になりました。理沙ちゃんは賢いですね」


 妖艶な微笑みを浮かべるムムは一見いつも通りの彼女に見えたが、どこか心ここに在らずといったようにも見える。


「え、今の火山の話だったんスか?」と、目を点にしているプリシラを放置して、理沙はムムに問いかけた。


「やっぱり気にしてるんですか? 職業が【賢者】になってしまったこと」


「……。」


 ムムは命を吹き返したあの日から【賢者】の職業に就いている。何があってのことかは言うまでもなく、死体となったことで性欲を失った彼女は、悟りの域に達した。


 賢者とは人故の欲望から解き放たれ、悟りの境地に達した者だけが辿り着ける超級職。

 黒の方舟では勇者のリシア、魔王のペトラ、理沙の聖女、死神のレベッカに継ぐ5人目の超級職だ。


「身体のことはもう諦めもつきました。ただ、性欲を失った私が賢者になるって、それはつまり元々の私の脳みそは性欲で満たされていたってことですよね? それが何だか悲しくて……」


「あー」


 理沙は「性」で埋め尽くされた脳内メーカーを想像しながら、曖昧なあいずちを打つ。黒の方舟の中では、ムムの性欲が強い方であることは周知であったし、本人もサキュバスであるが故か、それを大袈裟に隠してもいなかった。

 もちろん大袈裟にさらけ出してもいなかったし、家族では内々のネタで語る程度。そんな自分を翔太の前ではおくびにも出さなかった。

 

 しかし、今回こうして賢者になったことで、自分の内面と向き合うことになってしまう。そして、それと同時に大きな喪失感を覚えていた。


 自分が自分じゃないような、そんな感覚。


「あの、でしたら肉体の蘇生してみます? 私ならムム先輩の身体も元通りにできると思います。そしたら性欲も復活するかもしれないですよ」


「え、いや、私は性欲が恋しいわけじゃないよ?」


 否定しつつも、理沙の提案に、ムムは考え込む。

 戻りたいという気持ちはある。

 今の身体は酷く冷たく、心臓が鼓動することもない。

 痛覚はなく、何を食べても味がしない。ハエが集る。

 少し考えただけでも、これだけのマイナス要素が浮かぶ。


「でもせっかく手に入れた賢者を手放すのも惜しいの」


 欲望を排除した後に到れる境地が賢者ならば、失った欲を再び手にしたムムは、賢者の職業を失うことになるだろう。


 超級職はこの世界でも選ばれた人間のみか得ることのできる職業だ。黒の方舟の戦闘力で5本指に入る翔太でさえ、超級職には就けていない。

 それを自ら手放すのは、どうしても躊躇われる。


「翔太さんも職業の獲得に関しては喜んでくれたから……」


 ムムの中では、数多くのデメリットよりも、彼の喜びを無駄にしたくないという気持ちの方が強い。


「あの人を理由にするのはやめた方が良いと思いますよ」


「え?」


「あの人はムムさんがどんな選択をしたって手放しで喜んでくれると思います。何したって肯定してくる人の意見を聞いて、自分の想いを蔑ろにするのは勿体ないんじゃないですか?」


 普段は益体もない話ばかりをしている理沙。

 彼女が真摯に語った言葉だからこそ、ムムには響くものがあった。


「それに、屍人は寿命もない不老不死の種族ッスよ? ペトラ様たちは、一緒に歳を重ね、老いていく喜びも分かち合える関係でいたいって、言ってたッス」


「……。」


 ムムは筆を置き考える。

 二人の言うことは正しい。

 きっと翔太は、ムムがどのような選択をしても肯定してくれるだろう。それは彼女にも分かっていた。

 しかし、その一方で、ムムは知っていた。翔太が組織を作った理由が、戦力補給のためであることも。


 だから彼女は迷う。

 翔太が1番望む形で存在し続けるべきか。

 主人の願いよりも己の想いを優先するべきか。


「何を難しく考えてるんッスか。答えなんて決まってるッス。だって──」





 翌日。

 寝室からゴボウのように痩せ細り、干からびた翔太が見つかる。頬はゲッソリと痩けており、掠れた呻き声をあげていた。


 そんな彼の隣で愛おしいものを抱きしめるようにして眠る女性がひとり。


 ()()()()()のムムだ。


 一糸まとわぬその肌は絹のように透き通っており、また血色の良さが伺えた。


 彼女は肉体の蘇生を受け入れ、本当の意味で命を吹き替えした。決め手は『だって死体のままじゃ永遠にエッチできないですよ』というプリシラの一言。


 緑髪のエルフはこの世界に新たなる怪物を解き放ってしまった。

閑話を挟むか検討中ですが、本章のメインストーリーはこれにて終了になります。

次話もよろしくお願いします!

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