昔昔の話
眼前に広がるのは殺風景な部屋。
人が生活していたと思えるような家具などは一切なく、ただただ広い空間が広がっていた。
千年間誰もいなかったという割には綺麗な部屋で、埃ひとつ落ちていない。
とても不思議な空間だ。
「この魔法陣で悪魔召喚できたりすんのかな」
触ってみても、まるでただの落書きのように、なんの反応も示さない。これは宛が外れたか?
「ふむ。何かしらの代償があれば召喚もできるかもしんな」
サーストは顎に手をやってふむふむ言っている。
悪魔への代償って何が必要なんだ? ヤギだっけ? 羊だっけ?
「おい、そこの生娘、ちと血を捧げてみよ」
ピッと指をさすサースト。
そこにいたのは腕を組んだ姉貴だった。
「はあ? な、なによ。別に私じゃなくてもいいじゃない! ほら、そこの子の血の方が美味しそうよ」
姉貴がターゲットとして挙げたのはカロリーヌだった。
「いえ、ケンタウロスの一件でお察しかと思いますが、私は……その……」
「う、嘘……。こんな清楚そうな娘が……!? じゃ、じゃあ、元魔王。あなたはどうなのよ」
「しょーたの血ー飲んだ」
「そうだったわね。じゃあ、勇者、あなたでいいじゃない」
「私!? 私はーえっと、そのー」
「その、何?」
「いや、わかった。やるから……」
渋々と、小刀で人差し指を切ったリシアが魔法陣に血を垂らす。すると──
『ぎゃあああああああっ。痛い痛い痛あああああい』
苦痛に喘ぐ声と同時に、魔法陣が光出した。
「リシア下がれ」
赤く染る魔法陣。
そこから揺らりと、人型のようなものが出てきた。
黒いモヤのようなものに覆われたそれは、何かに苦しむように悶えている。
『痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。──ふむ、貴様ら何奴だ』
急に威厳を出されても……。
こちらに気づき、くわっ、と目を見開く悪魔。
身体中からはプスプスと煙が出ている。
しかし、その身体には大きな力を内包しており、黒を基調とした服からは高貴な存在であることが伺える。
「あの、大丈夫……か?」
「うむ。我慢すれば耐えられなくはないな。まさかここまで聖度の高い血が注がれることになるとは思ってもみなかった。ピュアピュア過ぎて耐えきれん」
「あー、なんというかこの子は男が苦手でさ」
「ふむ。では百合か? 百合はいいな。是非混ぜてもらいたい」
「今すぐ滅べ。クソ悪魔!」
拍子抜けしてしまうような、軽い口調。
こいつがアスモデウス、なのだろうか。
「む。お前、我が眷属ではないか?」
「元、じゃがな。今はこの娘のペットをしておる」
「ほう。愉快なことをいう」
なんて、悪魔らしき男は、少し寂しそうに笑った。
「お前、アスモデウスで間違いないか?」
「うむ。そうだな。この地ではそう呼ばれている。と言っても、最後に降りたのは千年も昔の話だが……。今更何用だ、人間」
「実はかくかくしかじかでな」
純生のサキュバスのこと。
紫髪の少女のこと。
俺は今起きていることを彼に話した。
「あんたの過去に一体何があったんだ? なんで紫髪の少女はお前を殺そうとする?」
「あの娘は、私を恨んでいるのだろうな。私は彼女を愛していた。彼女もそんな私を愛してくれていた。しかし、私には他にも愛している娘がいた。私が愛した他の娘たちは、私を愛してはいなかった──」
ぽつぽつと語られたアスモデウスの話。
俺はそれらに耳を傾ける。
アスモデウス。
彼はこの星がきのこ派とたけのこ派に別れる更に昔、魔族が内乱を繰り返していた頃に召喚された悪魔である。
身体的な特徴の差が大きい魔族たちは、各部族ごとに争いを繰り広げていたのだ。
彼はそんな世界に愛を伝え、魔族たちに平和をもたらした。
そんなアスモデウスを王とし、国ができる。
平和の象徴として、当時特に強い力を持っていた3種類の部族から、姫を迎えた。それが西の国の女王アラクネ、東の国の族長オニ、北の国の皇女ハーピーだ。
それはいわゆる、政略結婚というもの。
彼女たちは、アスモデウスと共に魔族を支える存在となった。
──が。
ある日、アスモデウスはひとりの少女に恋をする。
権力もなければ、魔族でさえない。
亜人の少女だった。
彼は少女を愛し、少女もまたアスモデウスを愛した。
しかし、他の姫君達が、それに納得できるわけではない。
他の種族の平民が、王の妃になるなど、許すはずがない。
アスモデウスのいない場所で、嫌がらせは続いたという。
そんな中起きたのが、紫髪の少女の子供をアラクネの姫が食うという惨事だった。アスモデウスはその子供に再び命を与えた。
だが、それと同時に力を失ったアスモデウスは眠りについてしまう。
──そこで、事件は起きた。
統率者をなくした姫達の権力争いだ。
彼女たちは、魔族を支配する権利を求め、水面下で争いを始めた。アスモデウスが築き上げたものを破壊し、互いの子を殺し合い、そしてあろう事か眠りにつくアスモデウスの力さえも利用しようと画策し始める。
それを止めるために──紫髪の少女は他の花嫁たちを皆殺しにした。
それがアスモデウスの語る真実だった。
「私が眠りから覚めたときには、紫髪の少女以外、みんないなくなっていたよ。それが悲しくて、辛くて、私は彼女達を生き返らせようとしたんだ」
おそらく紫髪の少女を生き返らせたときと同じ方法で。
他の花嫁達を生き返らせようとしたのだろう。
「ただ、それも、あの子に止められてしまった。当然の判断だと思う。けれど、私は彼女たちを心から愛してしまっていたから──認めることはできなかった」
そうだよな。
本気で好きになったなら、相手が善人か悪人かなんて関係ない。自分を好きか嫌いかなんて、関係ないんだ。
気持ちとはそんな簡単に割り切れるものじゃない。
心とはそんな簡単に操れるものじゃない。
「それで? どうしたんだ?」
「全てに絶望した私は、あの子に──」
「不死の呪いをかけたのです」
アスモデウスの言葉を引き継ぐように、後ろから女性の声が聞こえる。
「……サナ」
アスモデウスが呟く。
背後にいたのは、紫髪の少女だった。
「お久しぶりです。少し痩せましたか?」
「……。」
コツコツと、靴を鳴らして歩く紫髪の少女は俺たちを通り過ぎて、アスモデウスに対峙する。
「アスモデウス様。私は貴方を殺しに来ました」
 




