でゅくし
「もう帰っていいかな」
なんかもう色々とめんどくさくなってきた。
俺は昔から、結構人を振り回す質の人間だったので、振り回される側の気持ちなんて考えたこともなかった。
大変すぎるし、疲れる!!!
なんか、みんな、ごめん。ほんと、ごめんね。
「つーか、ペトラの奴も連絡取れねぇし、どうなってんだコレ」
念話をペトラに繋ごうとしても、一向に連絡が取れない。
「実は海底での生活と陸での生活とでは時間の流れが違って、ペトラちゃん達はもう……」
「おい、やめろよ!」
怖いこと言うなよ。
ただでさえメンタル的に落ち込んでいるのにそんなこと言われたら余計ツラくなるじゃんか。
浦島太郎という前例を知っているせいで、余計リシアの話が想像できてしまう。
「……翔太はさ、私のこと嫌い?」
「なんだよ、改まって」
散々ダーリンダーリン言っていたアドリアーナが今更になって、俺を名前で呼ぶ。
心做しか落ち込んで見えるその表情は、初めて彼女と出会った時を思い出すようだった。
──まあ、初めて会った時のアドリアーナは顔が魚だったんだけどな。
「私はさ、翔太のこと【欲しい】って本気で思ってるよ? 初めて出会った時から私だけのモノになって欲しいって、ずっと思ってる」
「って言うけどさ……仮に俺を手に入れたとして、アリアはどうしたい訳?」
正直、彼女の価値観がよくわからない。
ただの人間と何でも手に入る人魚の王女、俺たちは価値観も身分もかけ離れている。言葉が通じるだけで奇跡と言えるほどの差が俺達にはある。
だが、それを考慮した上で、俺には彼女が求めている物が全くわからない。
「そんなの、私にもよくわかんないもん」
「はい?」
わかんない頂きましたー。
自分でもよく分かってないのに俺に分かるわけあるか!
「でもさ、なんか、やなの。翔太には私のモノであって欲しいの!」
ぷりぷりと可愛らしく頬を膨らませるアドリアーナ。おもちゃをねだる子供みたいだ。
「ねえ、ちょっといい?」
「ん?」
小さく手招きしたリシアがヒソヒソと耳打ちしてくる。
「この子さ、もしかして翔太のこと好きなんじゃないの?」
「……え?」
「多分そうじゃない? これ、どう見ても恋煩いでしょ? たたの所有欲というよりは、独占欲っぽい気がするの」
こいつが俺の事を好き?
「いやいや、人魚って恋愛とかしないんじゃねぇの?」
人魚と陸の人々とはそこら辺も大きく異なる。
アドリアーナは100人近く旦那がいるとか言っていたが、結局はそれも、自信を着飾る宝石のような扱いでしかなく、判断基準だって見た目の良さだけで選ばれたものだと言う。共に月日を重ねることはないし、言葉を交わしたことさえない者もいるという。
彼女にとって結婚とは所有であり、そこに愛や恋などというものは介在しない。
愛や恋を生殖本能から発露するものと考えるのならば、確かに人魚のように卵を産んで体外受精をする生物には理解し難い感覚なのではないだろうか。
「でも、彼女って陸の御伽噺とかに興味持ってたんでしょ?」
「まあ……」
確かにアドリアーナに初めて出会った頃、その手の御伽噺は語った。けれど、そんな話に憧れていたとして、じゃあなんでアドリアーナは俺を選んだんだ?
海底の世界で考えれば、俺の容姿なんて、底辺と言っていい。容姿で相手を選ぶという価値観が染み付いているアドリアーナが、数いる中で俺を選ぶ理由が尚更分からない。
「ここは女の私に任せなさいな。要するに、この子を陸に持ち帰って他の人魚達とはおさらばすればいいんでしょ?」
「……いや、つい先日リシアに頼って後悔したばっかりなんだけど」
「う、うるさいっ! 翔太ってば、海底に来てから色々変だし、私だって早く帰りたいの。今のあの子になら漬け込むチャンスはあるはずなんだから!」
リシアは威嚇するような目つきで睨むと、アドリアーナに向けて「女の子同士で話しましょう」と言って隣の部屋へ誘う。
成人が早いこの世界で20歳が女の子かどうかはちょっと分からないが、まあ、ガールズトークに水を差すつもりもない。しばらくアデルミラとお話でもして待ってようか。
「……ご主人様、だいぶ無理をされているのでは?」
「無理? 別にしてないけど」
「……ペトラ様に血を吸われたご主人様は、言わば吸血鬼の眷属。常に流水を浴びる海底は相当に心へと負担をかけているように感じられます」
心への負担……。
正直、あまり自覚はないが、リシアも様子がおかしいと言っていたし、今の俺はいつもと何か違うのか?
「魅了のせいとかじゃなくて?」
「……はい。気が急いでいるように見えます」
なるほど、こっちに来て短気になったと。
俺は余裕をなくしているように見えるわけか。
「ありがとう、少し落ち着いてみるよ」
ハーフヴァンプのペトラから血を吸われた事で、俺はただの人から魔人へと変わった。クオーターヴァンプといえば何だか聞こえはいい気がするが、膨大な魔力を手に入れた対価に、ニンニクや流水といった弱点が増えた存在である。自覚できるほどの弱点ではないが、他人から見ると、どうやらダメージを受けているらしい。
──ガチャり。
しばらくして、隣の部屋からリシアとアドリアーナが帰ってきた。
リシアはいつもと変わった様子はないが、アドリアーナはなかなか部屋に入って来ず、部屋の外から扉を盾にこちらを睨んでいる。
「リシア、あいつ何してるの?」
「恥ずかしいんだって」
「恥ずかしい?」
着衣は貝殻ブラジャーだけで、人目を憚らずダーリンダーリン連呼しているあいつが、今更何を恥ずかしがるというのだ。
とりあえず様子を見る。
うーっ、と威嚇するような声を出すアドリアーナの顔はどこか赤らんでいて、何だか怪しい空気が流れる。
「……翔太っ、ちょ、ちょっとこっち来て!」
「はいよ」
俺はソファから立ち上がって数歩進み──
「ちょっ、ストップ! 来すぎ! ちょっとだけ来てって言ったでしょ!?」
うわあ、めんどくせえ。
「こういうのはつま先からゆっくり慣らすものなの!」
つま先がない上に、常に水に浸かっているお姫様がそんなことを言う。
だが、俺は構わずにアドリアーナへと近付くと、そのまま抱きかかえて隣の部屋へ向かったのだった。




