人を辞める
「終わったどー」
「あ、しょーた、おつかれさまー」
ポメラニアンを倒した後、里に戻った俺達は杖の老人の家にお邪魔する。
道中、他の精霊達が唾棄するような視線を向けてきたけれど、本当にここに住んでもいいのだろうか。
正直、居心地の悪い場所に住むくらいなら、多少危険があっても、俺は別のところがいい。
杖の老人の家では他の家族達が他人の家とは思えないレベルで寛いでいた。
「お前ら図々しいな」
理沙なんて、ソファーで足組んで頬杖を突いている。
何て偉そうなんだ、全く。
「翔太殿、下見に行かれたとの事ですが……どうでしょう。勝てそうですか?」
いつの間にか杖の老人の腰が低くなっている。
こいつら短期間で何をやらかしやがったんだ!?
「ポメラニアンの討伐はもう済みました。精霊の里はもう安全ですよ」
俺はドヤ顔で言い放つ。
さすがにこんなにも早く俺たちが討伐できるとは思っていなかったのだろう。老人は目を丸くして見開いている。
まだ俺達と出会って1時間だもんな。
「まさか本当に討伐してしまわれるとは……これで里の者を説得しなければならなくなりましたな」
「え、もしかして貴方俺たちが負けると思ってたんですか?」
「当たり前です。……はぁ、面倒なことになったなぁ」
このジジイ……。
「しばらく、お時間を頂いてもよろしいですか? その間、私の家に住んでもらえれば、と存じますぞ」
「は、はい」
杖の老人はゆったりと外へと出掛けていく。
まずはポメラニアンが本当に討伐されたかの確認をしに行くらしい。
俺はその背中を見送って、ため息を吐くと、家族を招集する。
「本当に、精霊の里に住むんでいいのか? 俺、あんまり上手くやっていく自信ないんだけど」
その言葉に、全員が険しい顔をする。
「私も、翔太先輩には賛成ですね。普通に人の住む国で生活した方が楽な気がします」
「ミリィはここ好き。空気も美味しくて、景色も綺麗」
「私はーどこでもいいかなー」
様々な意見が上がる中、リシアは、唯一具体的なメリットを語った。
「精霊の森は外の世界と時間の流れが違うって言われてるの。体感的な話なんだけれど、一日が48時間だって言われてる。それに、ミリィちゃんが言ってたけど、ここの空気は取り込むだけで、魔力を高める効果があるの」
「なるほどなぁ……」
リシアとペトラが精霊の森に住むことを推す理由がわかる。確かに、それだけの価値があるように思える。
「ご近所トラブルさえなければ、ここは好物件なんだけどなぁ」
「私に考えがある。今、この時こそが世を統べる王としての、力の使い所なのかもしれない」
ペトラは真面目な顔付きで呟く。
彼女が自身を名ではなく「私」という時、それは魔王としての言葉だ。
「……それ、任せてもいいのか?」
「構わない。きっと最善の結果になるはずだから」
それから一週間後、杖の老人がようやく説得に成功した。
「ここから数キロ先に、川が流れている。その向こうに住むのなら、という条件だが、一応許可は取れた」
杖の老人はかなり頑張って説得してくれたらしい。
「ありがとうございます」
住むのはOK。ただし干渉はしないで欲しい。
そういう事なのだろう。
「土地は、どれほど貰えますか?」
意外にも、口を開いたのはペトラだった。
「川の向こうは未開拓の地。好きにしてもらって構わない」
「分かりました」
ペトラは老人の返答に頷くと、何やら覚悟を決めた顔付きで部屋を出ていった。
そして深夜。
──コンコン
寝室の扉がノックされる。
「どうぞ」
既に半分寝入っていた俺は目を擦ってから立ち上がり、扉を開ける。
「……ペトラ?」
目の前には銀髪の女性。
外見年齢20代、実年齢3歳(もうすぐ4歳)のハーフヴァンプだ。
「入ってもいい?」
「おう」
俺が許可を出すと、ペトラはするりと部屋に入ってくる。
こいつがわざわざ部屋に入るのに許可を求めるなんて──
まるで吸血鬼みたいだ。
「話、あるんだろ? 聞くよ」
今日、というよりは俺が教会を去ることを決めてから、彼女は色々と考えてくれているようだった。
「私達は、死ぬまでずっと一緒にいられる?」
妖しく光る瞳。
それは不安か、それとも覚悟か。
「そうだな。ずっと一緒だ。いつかペトラが魔王として国に帰らなきゃいけない日が来たって、大人になったペトラが何処かにお嫁さんに行く日が来たって、俺は執拗くお前を追い回して、カレーのシミのように傍に有り続けるだろうさ」
「そっか。しょーたはペトラが大好きなんだね」
「当然だろ? 俺はお前が大好きだ」
「えへへ。嬉しいなぁ。──貴方がそう言ってくれるのなら、私は共に最期を迎えてもいいのかもしれない」
「え?」
ペトラ、今なんて──
「ねえ、しょーた。ひとつだけ、お願いがあるんだ。本当はお母さんには、結婚するまでダメって言われてるんだけど、でも、しょーたにお願いしたいです」
ペトラがベッドの脇に移動すると、カーテンの隙間から零れた月明かりが彼女を照らす。
思わず見蕩れるような横顔。
しかし、その唇の端からは二本の牙が見える。
「勇者が聖剣を扱えるように、魔王にはとある能力があるの。それが魔王城の創造。デメリットはあるんだけど、でも、翔太が私の欲しい言葉をくれたから、いいよ。私がみんなのお家を作る」
魔王城。
この世界にも2つだけ存在する難攻不落の城だ。
魔王が多大なる魔力を込めることで一生に1度だけ生成が可能で、神々でさえ傷一つ付けることの出来ないと言う。
「それでね、しょーたには血を吸わせてもらいたいんだ」
なるほど、それが先程言っていたお願いの内容か。
「別に構わないけど、本当にいいのか?」
確か、吸血という行為は眷属を作る行為──つまりは性行為だ。ペトラの母親が結婚するまではダメだと彼女に伝えたように、その行いには重要な意味がある。
「確かに、しょーたは人族じゃなくなっちゃうんだけど、でもあくまで魔力補給の為だから! 食事の一環だから、多分セーフ」
舌なめずりしながらそう言われても、ちょっと信ぴょう性がないような……って! 俺、人間じゃなくなっちゃうの?
「普通ならしょーたも吸血鬼になるんだと思うけど、ペトラはハーフだから、しょーたは人族と魔族のハーフになると思う!」
つまり……魔女であるリリムのような感じだろうか。
「そうだね。具体的な種族としては魔人ってとこかな」
魔人……なんかかっこよさそう。
「寿命も少し伸びるし、人族よりも身体能力が上がると思うよ。ただ──」
「ただ?」
「これまでみたいに、人族が受け入れてくれなくなるかもしれない」
なるほど。確かにそうだ。
でも、そんなの今更のこと。気にすらならない。
「俺は全然問題ないよ。どんときてくれ」
「分かった。──それじゃあ頂きます」
ペトラは俺をベッドに押し倒すと、首筋をひと舐め。
そして、牙を突き立てた。




