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台が無い


「……っ」


 とても長い夢を見ていた気がする。



 大事なものを取り零すような──



 心に大きな穴が空くような──



 そんな悪夢を。



「お兄ちゃん? お兄ちゃん?」


 まだ少し重い瞼を開くと、小さな子供がこちらの顔を覗き込んで泣いていた。


「ミリィ?」


「良かった!!! お兄ちゃん、心配したんだから……」


 まん丸とした目からこぼれ落ちる大粒の涙は、俺の頬を伝って首筋へと落ちていく。


「……っ! キノ……キノは……」


 ──夢じゃない。


 あれは現実だ。そして、これも。


「キノお姉ちゃんは……目、覚まさない……」


 分かってるよ。

 一度死んだら生き返らない。

 そんな事、わかってるけどよ……。


 そう簡単に割り切れることじゃない。


 俺は上体を起こすと、辺りを見渡した。


 ここは教会の地下三階、俺の家だ。

 

「他のみんなは?」


「みんなは上の階にいて、今はミリィが看病の番。みんなお兄ちゃんが心配で、リリムお姉ちゃんとかはずっと泣きっぱなしで、起こしちゃうとまずいからって、代わりばんこで下の階に来てたの」


「そっか……俺、何日くらい寝てた?」


「今日で四日目」


 四日目か……随分と長く寝てたんだな。


「怖い夢見てたの? ずっと魘されてたのに、起きたくないみたいだった」


 見てたんだと思う。

 ただ、そんな悪夢でさえ、現実に比べたらマシだったのかもしれない。


「……キノは何処にいるんだ?」


「あっちだよ」


 ミリィが指さした先には仰向けの状態で寝かされたキノがいた。


 俺はふらつく足取りでキノの前まで行くと腰を下ろした。


「……ごめん。ごめんな、キノ……」


 痛かっただろう。

 苦しかっただろう。

 辛かっただだろう。


「……ごめん、ありがとう」


 一筋の涙が零れた。


「もっと早く駆けつけてれば……」


「……お兄ちゃん」


「もっといっぱい話せてれば……」


「……お兄ちゃん」


「もっとたくさん──」


「お兄ちゃん!」


 少し強めのミリィの声が部屋に響いた。


「大丈夫だよ、お兄ちゃん。キノお姉ちゃんはちゃんと生きてる」


「え?」


「すっごく危ない状態だったんだけど、理沙お姉ちゃんが手当してくれたから、生きてるよ」


 俺はすぐ様鑑定眼を使用する。

 

「ほんとだ……生きてる……」


 俺はキノを抱き締めるようにして、胸にずりずりと顔を(うず)めた。


「……生きてる……聞こえる!」


 ──とくん、とくん


 ()()()なリズムを刻んだキノの鼓動が俺の体に伝わっていく。


「良かった……良かった……」


 さっきまでは冷たかった涙も、いつの間にか温かなものに感じる。


 俺はずっとずっと、キノを抱きしめ続けた。



──〇〇〇〇──



 私が目を覚ました時、真っ先に感じたのは何かに押さえつけられるような重みと、久しく感じていなかった誰かの温もりだった。


「……生きてる……聞こえる!」


 やがて聞こえてきたのは嗚咽混じりのあるじの声。


 察するに、私の無事を確認したあるじが歓喜のあまりに涙を零し、挙句胸に抱きついて、これまで溜めてきた劣情を解き放たんと──


 何言ってるんだろ、私。


 どうやら興奮していたのは私の方だったみたいだ。

 ただ、あるじが自分を抱きしめて泣いてるこの状況はかなり照れる。


 ──嬉しい。


「……っ」


 ダメだ、ダメだ。余計なことを考えちゃダメだ。

 

 少しずつ加速する鼓動。


 あるじにバレちゃう……。


 というか、この人ずっと胸に縋りついてますけど、セクハラですよね? おっぱい堪能してませんかー?


 薄目を開けてあるじを確認する。


 やっぱり泣いてる。

 この人と出会ってからもう半年以上経つというのに、一向に泣き虫が治る気配はない。


 ほんと、私がいないとダメなんですからー。


 私はあるじが泣きじゃくる姿をただ黙って見つめた。

 

 ふと、視線を動かした先で、ミリィちゃんと目が合う。

 嘘寝がバレた!

 そう思ったのも束の間。

 ミリィちゃんはにへっと笑うと、口許でしーっと人差し指を立てて階段を登って行った。

 

 いや、お膳立てされても、別に私は──


 私は……なんなんだろう。

 

 自分のことのはずなのに、今胸の内にあるこの感情をどう言葉にしていいのかがわからない。


 ただ、確かに今言えることは、私のために涙を流してくれた彼を安心させてあげたいということ、抱きしめ返してあげたいということ。


()()()()、あるじー」


 私はあたかも今起きたかのように振る舞い、目を擦る。


「……キノ?」


「助けてもらったのはこれで2回目かなー」


 私はそっとあるじの背に手を回し、肩に顎を乗せる。


 私より一つ年下の彼は、それでも私より大きな背中をしていて、ああ、男なんだな、っていう逞しさと安心感がある。


「ありがとう。生きててくれて……ありがとう」


 濡れた声で何度も感謝を囁くあるじの吐息が、うなじにあたって少しこそばゆい。


「あるじー、ちょっとくすぐっ……」


 うなじ……?


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 私の! 髪の毛! なくなっちゃった!


 遅まきながら、その事実に涙が零れてくる。

 

 少し前までは、切るのが面倒で、ただ伸ばしっぱなしにしていた髪の毛。

 しかし、あるじから髪の毛のケアひとつで更に魅力的に見えると聞いてからは、大事にするようになった。


 私には私なりの愛着と想い入れがあったのだ。

 

 きっと、今の私には女性的な魅力がほとんど抜け落ちているだろう。

 

 きっと世の男性は今の私を見ても、美人だなんて思わない。下手すればどこかの少年と間違えられる可能性もある。


「終わりだぁ……」


「なぁ、キノ、俺はお前がどれだけ髪の毛を大切にしてたか知ってるし、気の利いた慰めの言葉も思い浮かばないけどさ……」


 あるじは私の背中を抱いてた手を話すと、左手で前髪を掻き上げ、右手に持つものをそのまま括りつけた。


 それは、確かヘアピンと呼ばれる髪留めの一種で、小さな花の装飾がされている。


「──それでも、俺はお前が生きててくれて嬉しかった。それに、髪の毛が短くたって、キノは十分()()さんだ」


 そう言って、あるじは露になった私のおでこに口付けをひとつ落とした。


「あ、あるじの女ったらし!!!」


 不覚にもときめいてしまった。

 これまで一度も私を美人と言わなかった彼が、このタイミングでそう口にしたのだ。


 これは反則だろう……。


「あるじー、それ、セクハラだからね?」

 

 人は愛おしく感じたとき、思わず口付けをしたくなるらしい。彼も私にそう思ってくれたと、自惚れてもいいだろうか。


「悪い悪い」と反省もしていない癖に謝るあるじが、照れくさそうに笑う。


 恥ずかしいならしなければいいのに……。


「…………」


 はぁ。全く、こういうところはお子ちゃまなんだからー。


「んっ」


 私はあるじの顔を覗き込むようにして、そっと唇を重ねた。


「キノ?」


「お手本だよ。よかったね、あるじー。美少女の初物だよ?」


 薄暗い部屋でもわかるほど、あるじは顔を赤くする。

 

 あららー、照れちゃって。

 全く、ウブなんだからー 。


「……」


 なんて、強がってはみるけれど、私も負けないくらい赤くなってるに違いない。あまりの熱で背中がじわりと汗ばむ。


 ヘアピンで前髪を留められたせいで、顔を隠す術を失った私は、


「ご、ご褒美しゅーりょー! 私もう寝るから! はやく自分の布団戻って!」


 布団に潜るとぎゅっと縮こまり、人差し指で自分の唇をなぞる。


 私の初めてのキスは、ちょっぴり塩辛いオトナの味だった。



 ──きっと、この胸の苦しさと切なさは、私があるじを愛し……



「なぁ、俺たち四日も歯磨きしてないけど良かったのか?」



 嫌いだからに違いない。


ブックマーク、評価、ありがとうございます!

とっても励みになります。嬉しい!


はい。

という事で、キノちゃん生きてました。

死亡エンドを期待していた方、すみませんでした。


次のお話で本編終了、そこから何話か閑話に入ります

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