血の滴る
「ここでございます」
クハクの背に乗った翔太が降り立ったのは、広い屋敷の前だった。
結界を壊すためにはいくつかのスキルと技術が必要であり、少なくとも、クハクには無理だ。
九尾の巫女であるアズリに助けを求められたクハクは、一度ここに訪れていたのだが、結界により屋敷への侵入が叶わなかったため、翔太を連れて戻ってきた次第だ。
クハクは人型に変化し、翔太は右手に魔力を宿して結界を破壊する。
ガラスが砕けるような音と共に散っていった結界の中には、高笑いする男と血溜まりに倒れる見慣れた姿の家族──いや、家族の見知らぬ姿がそこにあった。
剣で地面に縫い付けられ身体、乱暴に毟り切られた灰色の髪の毛。
翔太は腹の奥で何かが蠢くのを感じた。
「……ん、なっ、なぁ、そ、その子、生きてる……よなぁ?」
「あん? なんだこのガキ」
「……こ、答えろよ。その子、生きてるんだよな……?」
答えを求めているようで、答えて欲しくない。
そんな弱々しい問い掛けだった。
キノの体を中心にできた血溜まりは、もうかなりの量になっている。
「その女は、死んだ! 一歩遅かったなぁ。そうすれば死ぬ瞬間も見られたってのによ! ッククク、フハハハハ」
「……どうしてこんなことに……」
「どうして? 馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ、先に手を出したのはテメェらの方だろうが!」
「……なんの事だよ。……い、意味わかんねぇよ」
「お前ら、あのバカ貴族のとこにいた狐獣人の娘を勝手に連れ去っただろうが」
バカ貴族? と、翔太は首を傾げる。
翔太は、ここにいる男たちがアズリを誘拐した時の貴族の手先と思っているが、事実は違う。
ここにいる断絶のメンバーもまた、あの貴族からアズリを奪おうとしていたのだ。
「狐獣人の娘は、俺達がずっと追っていた巫女なんだよ。それを価値もわからねぇ貴族が、勝手に愛玩用として連れ帰っちまってよ。いざ奪おうって時に、お前らが邪魔に入った。挙句、今日はこの女だ。何度も邪魔しやがってよ!!!!」
男は吼えた。
身の内に潜む憎悪を全て吐き出すように。
「お前もここで死んでくれや。じゃなきゃ、腹の虫が治まらねぇ」
その言葉と同時に、周りにいた他の断絶のメンバーも武器を構えて臨戦態勢に入る。
──次の瞬間、邪魔だと言わんばかりに男はキノの体を蹴飛ばした。
「クソッタレがァァァァァァァァァァァァ!!!!」
それは叫び。いや、悲鳴だった。
翔太は両手で頭を抱えるようにして、叫ぶ。
「うっせぇぞ、ガキが。身体ってのは死にゃゴミだろうが」
そう言って男が振るったハンマーが翔太の腹部に突き刺さる。
あまり体重の重くない翔太は勢いよく殴り飛ばされた。
「ふざけんなよ……何が英雄になれるだよ。勝手言いやがって。全然ダメじゃねぇか。家族一人、守れねぇじゃねぇか」
──「叫び」に似たあの作品を見た時、耳を塞いだあの人をスピカは俺に似ていると言った。
だが、ひとつだけ、俺と大きな差があった。
それは、戦うか逃げるか。
あの作品に描かれていた人は、不安と戦っていた。
だが俺はその不安からも逃げ、耳を塞いでいたのだ。
本当は、聞こえてたんだ。 俺の叫びが。
情けない自分。不甲斐ない自分。弱い自分。
そんな自分たちが放った心の叫びに、俺は耳を塞いでいたんだ。
俺が強ければ……もっとちゃんとしてれば……
「主様。お気を確かにしてくださいまし。自分を責めても、こればかりはどうしようもございませぬ。」
どうしようもない?
どうしようもないからなんだ?
はい、残念で割り切れってことか?
「そんな言葉で終わらせようとすんなよ。誰かが必要とする時、そこに俺がいなかったら、全部意味ないんだよ!」
死んじまったら、全部──
「……うぐっ。うああ……ああああああああぁぁぁ」
翔太には覚悟がなかった。
命を奪うということは、いつか奪われることがあるということ。
自分よりも、他人が傷つくことに弱い翔太にとって、それは耐え難い痛みだった。
「いつまでも泣いてんじゃねぇぞ、ガキが」
間を詰めてきたリーダー格の男が、ハンマーを構えて翔太を見下ろす。
「うっうううう。うああああっ……はっ」
男は翔太の胸倉を掴む。
座り込む翔太を無理やり立たせ覗き込んだその顔は──
笑っていた。
「ははっ。はははははははははははは」
筆舌し難い気持ち悪さを感じた男は翔太を手放し距離をとった。
「っははははははははははははは」
翔太はそのショックにより、完全に理性がネジ切れてしまった。抑え難い狂気によって。
クハクはその様子を見て、すぐに翔太の元を離れた。
そこにいれば、自分も巻き込まれるとわかっていたからだ。彼女はそのままキノの方へと向かい彼女を魔法袋に収納する。
「っ! 主さ──」
クハクが翔太に声をかけようとしたとき、そのタイミングで雨が降り出した。まるで通り雨のように土砂降りの雨は数瞬にして止む。
クハクの目に映ったのは赤い雨と崩れゆく男の体躯。
そして、拳を赤く染める己の主の姿だった。
翔太はその怒りと悲しみと狂気のあまり、武器を取り出すことも忘れ、そのまま素手で男の首を刈り取ったのだ。
「死ねよ。全員! 残らず! 死ねよっ!!!!」
翔太は近くにいた者に次々と襲いかかり、拳を振り下ろす。
その姿は最早ただの殺戮人形。
狂気をコントロールするためにしてきた修業の成果など、微塵も発揮しない。
目前の敵を殺す為ならば、自分の体など、重りと言わんばかりだ。
「ばっ……化け物だぁぁぁぁ!!!」
「たっ、助けて、お願いっ!!!!」
男も女も関係ない。
槍で貫かれようが、剣で刺されようが、弓で射られようが、その動きは止まらない。
立ち向かえば殴り殺され、逃げれば投擲した武器に貫かれる。
結局、翔太の拳は断末魔が枯れ果てるまで止まることはなかった。
「ふぅっ……ふぅ」
辺りに敵がいなくなったことで、翔太は意識を取り戻す。
狂化した時の記憶はある。
自分が何をしたのかもわかっている。
「結局、俺は弱いままだ……」
翔太は小さく言葉を零すと、その場に倒れた。
酷使した疲労が一気に押し寄せてきたのだ。
──しばらく動けそうにねぇな。
翔太はうつ伏せに倒れた体を仰向けに直す。
そこで見つけた、キノの髪の毛。
以前翔太がプレゼントした手作りのシュシュが、かろうじてその髪を束上に保っていた。
「……キノ、ごめん、ごめんな……」
翔太は再び込み上げてきた涙を噛み沈め、血塗れになったその灰色の髪を胸に抱くと、そのまま意識を飛ばした。
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