陰
「我は夜を統べる混沌の支配者。昏らき闇を塗り潰しゅ黒。夜に散りばめられしその陰は──」
他人の知らぬ一面を知ってしまった時、人はどうするのが正解なのか。
シレーナの経営する学園に教師として通うようになってから、数日が経った。
授業の方も馴染み初め、生徒との交流も増えてきた事で、授業を受け持つクラスの生徒の大体の性格は把握できていた。はずだった。
朝の稽古をしようと訪れた裏庭にいたのは、何やらポーズを決めながら厨二的セリフを吐く女子生徒。
彼女の名はエリル。
高等部一年Aクラスのちょっと滑舌の悪い女子生徒だ。
──真面目な優等生。
俺は彼女に対し、そんなレッテルを勝手に貼り付けていた。だがもう一枚追加する必要があるようだ。
俺はスルースキルを駆使して、その場を離れることにした。
きっと貴族というのは俺にはわからないようなストレスを抱えて日々を生きているのだろう。
ナベーパくんもそうだった。
きっと彼ら、彼女らは普段、自らを抑圧して生きているに違いない。金持ちには金持ちの悩みがあるように、きっとエリルにはエリルだけが分かる悩みのようなものがあるのかもしれない。
俺は踵を返す。
きっと彼女も、あんな姿誰にも見られたくないはずだろうから。
「【ブラック・インフェルノ】」
エリルの可愛らしい声が聴こえる。
──直後、激しい危機感知スキルの反応。
俺はバッと後ろを振り返る。
そこに居たのは手から灰色の炎を撒き散らすエリル。
「制御できてねぇじゃねぇか!」
どうやら、先程までのは厨二病ごっこではなく、魔法の練習だったらしい。
エリルはパニックになっているのだろう。
魔力の供給を止められない。
俺はエリルの元へ駆け付けると、後ろから抱くようにして体を抑えつけ、未だ炎を撒き散らす手に自分の手を添えるようにする。
「あっ……」
俺の存在に気づいたエリルは小さく声を上げる。
魔力変化。
俺の魔力に鑑賞を受けたエリルの炎は、やがて鳥の形へと変化すると、羽ばたくようにして散っていった。
「ふぅ……」
どうにか収まった。周りに被害もない。
「あ、あの。しぇんしぇい?」
「あ? ああ、悪いな」
俺は抱きっぱなしだったエリルをそっと離す。
行為とは裏腹に、恋人らしい雰囲気は微塵も感じられなかったが、ともあれ被害は抑えることができた。
「手、見せてみろ」
「え?」
「いいから」
俺は恐る恐る差し出された手を握ると、その手のひらに回復魔法をかけた。
だいぶ肌が爛れているようだ。見ているだけで痛い。
至極個人的な意見であるが、火傷は殴られるよりも、斬られるよりも痛い。
前に、リシアに十字架に張り付けられて、足元で焚き火をされた事があったが、あれは本当に酷かった。
何度も気絶と覚醒を繰り返し、少しずつ身が焼けていく感覚は、俺にとってかなりのトラウマだ。
お陰で火耐性と毒耐性のレベルが上がったのだが、もう二度とあの特訓をしたいとは思えない。
「しぇんしぇいは回復系の職業に就いているのでしゅか?」
エリルは少し緊張したように、質問してきた。
普段はパッチリな吊り気味おめめが、少しだけ申し訳なさそうに細まっている。
「俺か? 俺は狂戦士だぜ!」
「……そうですか」
エリルは少しムスッとして俯いた。
からかわれていると思ったのだろうか。
嘘じゃないんだけどなぁ。
っと、そんな事を考えているうちに、治癒が終わった。
「前も言ったけど、あんま無理し過ぎるなよ」
それだけ言い残して、その場を去ろう。
そう思ったが、エリルはそれを阻んだ。
「……春野しぇんしぇい。しぇんしぇいは言いました。努力しゅれば夢は叶うと。……私もそう思いましゅ。……けれど、才能がない人間が夢に辿り着くには、あまりにも時間が足りない」
「確かに、何かを成し遂げるのに、人の命はあまりにも短過ぎる。俺はそれを痛感してるよ」
俺だって、努力してるつもりだった。神を降せるほどの、力を手に入れるため、日々励んでいるつもりだった。
しかし、結果は下級の神にさえ、殺されかけるような結果。万能の神に届くには余りにも弱過ぎる。
「じゃあ、なんで、私を止めるんでしゅか!」
「……けど、苦しくないか?」
「……っ」
「俺は苦しかったんだ。独りで努力し続けるの」
日本にいた頃の話は、 彼女にあまりしたくない。
ただ、経験はあるんだ。
「けど、俺はこの世界で、努力の仕方を教えてくれて、道を示してくれるリシアに出会えたんだ」
それまでの俺は苦しまなきゃ努力じゃないと思っていた。
辛くなければ成長しない。そう思っていた。
けど、違ったんだ。
楽しみながら成長できるなら、その方がずっといいだろう。
「エリルの将来の夢の作文、読んだよ」
何度も書き直されたその文に書いてあったのは、自分が尊敬している姉と、肩を並べられる存在になるということ。
エリルの姉は偉大な魔法使いらしい。
生まれつきの天才で、それでいて努力を惜しまない。
彼女の憧れだという。
「エリル。俺は他人に自慢できるような立派な人間じゃない。けど人を見る目はあるつもりだ。君は【魔剣士】になりたいんだよね? 俺は君になら出来ると思う。だからさ、俺の手をとってみないか?」
──きっと、力になってみせるから。
「いや、でしゅ」
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