スタンピード
「あの……お話があります」
視線を落としながら、俺に話し掛けてきたのはレベッカだった。
「どうしたんだ? 何かあったか?」
俺のせいで今朝まで機嫌が悪かったのは、ちゃんとわかっている。
その件については何かあったのか? なんて白々しい事を言うつもりはないが、今の彼女は多分、別の事で何かを打ち明けようとしている。
「実は昨日、ストレスの溜まることがありまして」
「うっ……」
話し始めると同時に目線を上げてきたレベッカに対し、俺は視線を端にズラした。
ストレスの溜まること……家族旅行中に俺がちゃらんぽらんしていた事だろう……。
「そ、その件につきましては、誠に申し訳ないと思っております」
素直に土下座。これが俺の処世術だ。
「ち、違います。確かにご主人様のその……アレはショックだったのですが、実は他にも色々ありまして──」
「色々?」
「はい。下衆の視線を浴びたり、絡まれたり、と」
確かにレベッカに視線が集まるのはわかる。
常にヒールの高い靴を履く長身のクールビューティー。
モデルさんみたいだもん。
「今なにか言いました?」
「なんにも」
「そうですか……」
少し耳を赤くするレベッカ。これ、絶対聞こえてたやつ。
「話を戻します。──それで、なんですけど、一日でかなり鬱憤が溜まってたんです。そこにご主人様がトドメを刺しました」
「うっ」
「自棄になって、昨夜、山でストレス発散したんです。叫び散らして、木を薙ぎ倒しました」
待って。さすがに。
この人は何やってるの?
レベッカは今年で23歳じゃなかったっけ?
「その時、私にビビった魔物たちが一斉に山を下っていきまして……」
「おっけー! なるほど、よくわかった!」
ストレスの溜まったレベッカの咆哮が、スタンピードを引き起こしたってことだな?
「ご主人様にトドメを──」
「わかった! 言うな! 俺が悪かった。俺のせいでスタンピードが起きたんだな。すまんかったよ」
と、なると流石に知らん顔もできない。
せっかくの家族旅行なのに剣を握らないといけないのは嫌なんだが、俺が魚との生臭い口付けを交わした事で罪のない人々が苦しむのは看過できない。
「総員、集合」
──シュパパパ
馬車の中にいた子達も一瞬にして整列する。
先程まで私服だった彼女達は、ロケ〇ト団並の速さで制服に着替えていた。
「休暇中に申し訳ないが、特別任務だ。今、帝都を無数の魔物が襲っているとの情報が入った。命令だ。魔物は全て殲滅しろ」
「「「承知」」」
「行くぞ!!!」
──〇〇〇〇──
黒の方舟が帝都に着いた時には、既に戦いは始まっていた。帝都は大きな城壁で守られており、街自体への被害は出てはいなかったが、貧民街は壁の外にある。
万が一、魔物たちがそちらに回り込んでしまった場合は大きな被害を受けることになる。
しかし、それを抑えるには魔物の数に対して、圧倒的に兵士の数が足りていなかった。兵士達の方は既にジリ貧で魔物が街に侵入するのも時間の問題だ。
それは黒の方舟の偵察に多くの戦力を導入してしまっていたからである。
軍が離れたタイミングでのスタンピード。
皇帝は、これが黒の方舟からの仕返しなのだと瞬時に理解した。
事実としては確かに黒の方舟が原因ではあったが、翔太もこれを狙ってやったわけではない。半濡れ衣である。
連日続く不幸に、皇帝も頭を抱えざるを得ない。
あまりにも酷い現実に、心が折れそうになるも、結果としてそれは杞憂に終わる。
敵としてみなしていたはずの、黒の方舟が、援軍として駆けつけたからである。
「どっかーん」
開戦の合図とばかりにペトラが放った地属性魔法が、魔物の群れを中心から穿っていく。
群れの中心から食い破るように散開したメンバーは眼前の敵を次々と切り伏せていった。
戦場に響くは魔物の断末魔と、魔法を詠唱する女性達の涼し気な声。
火と水の勇者が帰ってくるまでの時間稼ぎとして配置された兵士達の目にも、絶望に褪せた世界が色付いて見えた。
「耐え凌げ! 何としてでも持ちこたえるのだ!」
兵士達から次々と声が上がる。
彼らは希望の光を見たのだ。
黒の方舟を敵として見ているのはあくまで帝国の一部の者のみ。下っ端の兵士達には、その戦乙女達がまるで神のように写っただろう。
2万のドワーフ兵士をたった50人で退けたという黒の方舟の伝説を今や知らない者はいない。
60人近くまで増えた彼女達はたかが数千の魔物にとっては過剰戦力だった。
みるみるうちに数を減らして行く魔物たち。
知性なき魔物達の本能に恐怖を叩き込む彼女達は天使のように美しく、悪魔のように残忍で、女神のように神々しい。
「これで最後っ!」
リシアが剣を横薙ぎにして倒れた魔物を最後に、その場で動くものは、生き残りの兵士と彼女達黒の方舟だけとなった。
「これで任務完了ね、お疲れ様、翔太」
剣に付いた血糊をピッと払いリシアは命令を下した者へと労いの言葉をかける。
「あれ? 翔太?」
しかし、返答する者はいない。
「どこに行ったんだろう」
──その頃
「おっちゃん、学生ラーメンひとつ!」
翔太は街で昼食を摂っていた。
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