6 帝国の将軍達
「シルヴィン閣下。失礼します」
シルヴィンの思考は副官の到着により邪魔された。
「ドメルか、カスパードの事はお前の耳にも入ったのか」
「ええ。如何いたしますか?」
興味を隠そうともしないドメルに正直に答えるつもりはなかった。
「さぁな。陛下次第だ」
「いつまで忠臣でいるつもりですか?」
ドメルはシルヴィンが忠臣などではない事に気付いていた。だがそれだけだ。シルヴィンの心の奥底にどんな感情が眠っているかなど気付いていなかった。当のシルヴィンすらはっきりとは理解できていないのだから。
「私は忠実な臣下だ。今までも、これからもだ」
ただ自分を抑える必要はないかも知れない。目障りな弟は自滅した。ただドメルの様な信用出来ない男に本心をさらけ出す必要はなかった。
「もうじき皇帝陛下より召集がある筈だ」
簡潔に一言だけ言うとシルヴィンは手を振ってドメルを退室させた。今は思考の邪魔をされたくなかった。
「アルスラーダか」
黒髪の補佐官の顔を思い浮かべた。今回の件は彼が糸を引いているのは間違いない。証拠はないがそう確信していた。
自分と皇帝に立ち塞がる厄介な壁だがそれを取り除けば自分こそが皇帝に信頼される筈だった。ルーヴェルの存在はシルヴィンにとって問題ではない。アルスラーダの立場こそシルヴィンの求めているものだった。
シルヴィンは一つの疑問を抱いていた。何年もずっと悩み続けてきた。自分の妄想かも知れない。だが何度打ち消しても、頭に浮かんでくるのだ。
アールファレムは女ではないのか?
アールファレムの美しさは性別を超越している。見た目では判別しにくい。声も普通の男より高いが、そんな男もいるだろう。しかし剣の腕前もアールファレムは一流だった。女があそこまで強くなれるのか?そして何よりアールファレムは戦争の天才だ。自分に衝撃を与え敗北を味わわせた、ただ一人の人物。女にあの様な指揮が執れるのか? アールファレムは戦場で敵を殺す事を躊躇しない。戦場でのアールファレムは神懸かっている。あの様な真似、女に出来る筈がない。だが戦場以外のアールファレムはどうか。一度疑惑を持ってしまえば、女にしか見えないのだ。疑惑と共にある感情が芽生えていた。そして、その感情があるからアールファレムは女でなくてはならない。
「そんな訳がない」
口に出しても、心のどこかで確信していた。自分はどうかしている。分かっている。だが本当に女だったとしたら?
軍議の間には早くも幾人かの将軍が集まっていた。ルーヴェルは空いた玉座を見やって溜め息をついた。
(アルスラーダの馬鹿野郎! アルファ様の気持ちもちょっとは考えろ!)
アールファレムはアルスラーダに甘い。アルスラーダが女性としての自分を望むなら、叶えようと努力するだろう。皇帝と両立出来る筈がない。今まで男として生きる為、アルスラーダへの思いを諦めてきた。何度もルーヴェルの胸で泣いた。その度、抱き締める事しか出来ない自分が不甲斐なかった。
もしアルスラーダが皇帝という鎖から解放し、アールファレムの幸せのみ願うのであれば、ルーヴェルは心の底から応援しただろう。
アールファレムは男として生きるべきではない。ルーヴェルは心底そう思っている。
問題はアールファレムの才能というより資質にあった。アールファレムは本能で戦を行っていた。まるで魂が戦いを求めるように、戦場でしか生きられない。そう錯覚させる程、アールファレムは戦いを求めた。天才とは異常者であるとは誰がいったのか、アールファレムは正に異常者だった。危険過ぎる。女性としての脆さ、男性としての苛烈さ、幼少より極めて特殊な環境で育てられたアールファレムは、人として未完成なのかも知れない。
今のところアールファレムは自己を制御できている。女としての自分を切り捨て、皇帝として求められた役割を果たそうと努力している。だがそんなアールファレムを受け入れる度量のないアルスラーダ。いずれ破局を迎えるのではないか? そうなれば、二人が不幸になるだけでは事態は収まらない。
「……閣下、ルーヴェル閣下?」
「フリードリッヒか、何か言ったか?」
いつの間にかハリーがルーヴェルの隣に座り、その横にはお目付け役のフリードリッヒが心配そうにルーヴェルの顔を覗きこんだ。
「何度呼んでも返事がないからだ。ルーヴェル、具合でも悪いんじゃないか」
「ハリー、宰相閣下に失礼な口を聞くな。申し訳ありません。悪気はないんです」
フリードリッヒが親友の頭を抑えつけると、ハリーは下を向きながら気づかれないように舌を出した。
「すまない。考え事をしていた。ハリーは気にするな。無礼ではなく親愛の情として受け取るよ」
「流石、我らが宰相殿。分かってらっしゃる」
ルーヴェルの肩を馬鹿力で何度も叩き、ルーヴェルは顔をしかめた。
「やり過ぎだ。馬鹿」
フリードリッヒは今度こそハリーの頭を力いっぱい殴りつけた。
「いたっ。ちょっとは加減しろよ」
ハリーは涙目で訴えたが、ぎろりを睨み付けられ、ぶつぶついいながらも引き下がった。
「相変わらず、騒がしい奴だな。状況を考えろ」
向かいに座っていたライナーが苦笑いしながらハリーを叱り付けた。頬に大きな傷のあるライナーは年下のハリーを気に入っていた。粗野な所はあるが、本質は優しいハリーは皆から可愛がられていた。
「場を和ます為に無理しているんだ。少しは察して欲しいな」
(嘘つけっ)
全員、心の中で突っ込んだ。
「馬鹿はさておき、カスパードの話に入ろうか」
ライナーは実りのないやり取りを打ち切り、皆の意見を求めるように室内を見渡した。
「カスパードが謀反など考えられん」
ライナーが賛同を求めて、まず自分の意見を述べると、ハリーがすかさず応じた。
「蛇野郎の仕業だろ」
「蛇野郎? ……誰の事だ?」
フリードリッヒは言葉の足りない親友の為、以前交わした会話の内容を明かした。
ライナーの隣に座っている最年長のマルクスは会話に参加せず、今まで目を閉じていたが、じろりとハリーを睨み付けた。
「既に兆候はあったのか。それは勿論陛下のお耳に入れたのだろうな」
「起きていたのか? 長老」
「寝ている訳なかろう。それに誰が長老だ! まだ65歳だ。そんな事よりハリー、陛下に忠告したのか聞いている」
机を思い切り叩きつけた。
「じぃ。興奮すると死期が早まるぞ。手もそんなに叩くと痛くないか」
「年寄り扱いするか、小僧! 離せライナー。あいつには年長者に対する礼儀というものを分からせんといかん!」
ライナーは後ろから羽交い締めしてマルクスを宥めた。
「先程、ルーヴェルが言っただろうが、俺のは親愛の証だって」
再びハリーはフリードリッヒに殴られた。ハリーは自分が悪いのは自覚しているのでやり返しはしなかった。
「じぃ、申し訳ない。本当にこいつに悪気はないんだ」
ハリーの頭を押さえつけフリードリッヒも頭をさげた。
じぃというのはマルクスの愛称でアールファレムまでが、そう呼ぶので、マルクスも怒る訳には行かないのだ。
「どうしてうちの連中はまともに話が出来ないのかね」
ライナーは呆れ顔でマルクスを解放した。
「ハリーのせいだ。それより儂の質問に答えろ」
これ以上の逸脱は許さんとばかりに腕を組み睨み付けた。
「目付きが悪いだけで、証拠もなしに言える訳ないだろう。俺にも立場があるんだ。間違いだった場合、謝ったぐらいではすまんだろうが」
「……」
以前のフリードリッヒの言葉をそのまま反論に使用したハリーは悪びれる事もなく、胸を張った。
「それもそうだが、う-む。未然に防げなかったのは痛いのぉ」
「まだデュークのせいと決まった訳ではない。カスパードは僻地に飛ばされた事で、疑心暗鬼になったのではないか」
ルーヴェルが意見を述べるとフリードリッヒも賛同した。
「陛下を信じられなくなったんでしょうか。そこをデュークが焚き付けたという所ですかな」
「陛下はカスパードを信頼したからこそ、任せたんだろうが! 陛下の真意を理解していれば、揺らぐ筈がない」
「ハリーも、たまには正しい事を言えるようじゃな。感心、感心」
「じぃ。一言余分だ。普通に褒めやがれ!」
「話が進まん。じぃ、ハリーを刺激するのを止めてくれ」
ライナーは両手をあげて頼み込んだ。
「分かった。悪ふざけが過ぎたようじゃ。すまん」
「将軍でまだ来てないのは、ベルノルト、マルティン、ビクトール、エクムントの四人か、クルトはまだ無理だろう」
ライナーが口にすると、丁度その四人がやってきた。クルトは病気で二ヶ月前から自宅療養中の将軍で今回の件にも間に合わないだろう。
「遅くなって申し訳ありません」
ルーヴェルに向かって頭を下げた四人が着席すると、空席はシルヴィンだけとなった。
「シルヴィンはこないか? まぁ仕方ないな」
ハリーは気の毒そうにルーヴェルの真向かいの席を眺めた。自然、全員の視線がそこに集まった。
「帝国始まって以来初の反乱者がまさか大将軍の弟とはな。だがシルヴィン閣下に責任はないだろう。ルーヴェル閣下、法律はどうなっているんですか?」
ライナーの言葉に、皆ルーヴェルを不安げに見つめた。
「安心していい。家族でもまったく関与していない場合は、罪に問われる事はない」
「しかし心境としては、複雑でしょうな。全ては陛下の御意次第という事ですか」
ライナーの言葉に皆、頷いた所でアールファレムがアルスラーダを伴い入室してきた。