アリスの母と学園の登校日
「有守も明日から高校生ね」
古めかしい木の椅子に座り、裁縫をしている女性は有守と呼ばれる男に話しかけた。
有守は今荷造りをしており、その後ろ姿はもう大人と同じくらいで、成長したのだと思わせる。
有守は今年で16だ。時間が経つのは早いと思い始めてきて、歳をとったと感じる。もうおばちゃんね、と彼女は思った。
「早いわねぇ、少し前まで小さかったのに」
懐かしむように目を細めて昔に思いを馳せる。
すると思い出すのは有守の遊ぶ姿や寝顔、勉強をする姿などだった。やはり、母親なだけあって息子が離れるのはちょっとの間でも辛いものだ。
しかし、子供のしたいことくらいさせてあげたい。その思いが母である真琴を慰め、心を決めさせた。
「でも、大丈夫?母さん、心配よ…寮生活だなんて」
ちゃんと食べていけるだろうか、健康に過ごせているだろうか、知らない人に着いていっていないだろうか、犯罪に巻き込まれてはいないだろうか、そのような不安がぐるぐる渦巻く。真琴自身は大丈夫でも、有守はどうだろうか、そのような不安が真琴の決心を揺るがした。
しかし、有守はそんな不安を拭うように微笑んだ。
「大丈夫だよ、母さん。それより、俺は母さんのことが心配だ。明日から夏まで帰ってこれないから…」
逆に、真琴のことを心配する。
有守にしてみれば、自分のことより親。特に母・真琴は足が悪いため、あまり動けない。今までは有守が見てきたが、自分が居なくなったとき、誰が母を見てくれるのか。
それが、有守の、家に残る未練だった。
「大丈夫よ。有守のような主夫がいなくなったら辛いだろうけど、晴さんと頑張るわ」
真琴は有守が心配してくれることを嬉しく思い、微笑む。だが、矛盾するが、心配はあまりかけたくない。だから元気に言う。心配をかけないように。
有守は、わかった。
そんな返事も、空元気だとわかるのは、目元にたまる涙。それほどまでに自分との別れを辛く感じている真琴を母であったことを、有守は誇りに思った。
そして、決めた。必ず、夢を叶える、と。
「そっか、なら安心」
ほっと息を吐き、目を伏せた。
父親がいるとわかると安心する。晴とは、有守の父親、つまり真琴の夫なのだ。晴は真琴と有守のことを常に考えて行動してくれる、いい父親だ。そんな晴が見てくれるなら、夢を叶えるために没頭できる。任せられる。
「じゃあ、そろそろ行ってくるよ。結構あっちまで時間かかるんだ」
荷造りを終えて、リュックを背負う。野球などで使うものではない手袋型のグローブを両手につけ、服の袖を捲る。忘れ物がないか確認し、準備は完了。
もう、しばらくこの家には来ない。
「友達たくさん作りなさいよ!楽しんできなさいね!…っ、行ってらっしゃいっ」
最後の言葉は鼻水をすする音や震えた声で、正直何を言ったのかわからなかったけれど、ちゃんと伝えたいことは有守には伝わった。聞き取れなかった理由も、聞かないし言わない。
きっとカッコつけたかったと思うから。
「うん……。行ってきます。母さん、父さん」
有守は思いっきり笑って言い、家を出た。
ーー俺も、ちゃんとカッコつけたかったなぁ
ひとつ、鼻をすすった。