姫騎士と即席ボール
食後の昼下がり、キャンピングカーの中。
こたつを囲む三人と一匹。そこだけを切り取れば、若夫婦に娘に飼い犬と、理想的な家族の素敵な光景に見える。
そんな中、窓から差し込まれる陽気に、ソフィアはうつらうつらとしている。
一方で眠気から程遠いミミは、あごを畳につけて寝ている子犬の肉球を揉みしだきながら、直人に話しかけてきた。
「おにいちゃんも、おねえちゃんとはねむーんにいくところなの?」
「いやちがうよ、彼女の事は分からないけど、おれはどっちかというと老後をって感じかな」
「ろーご?」
ミミはちょこん、と首をかして、直人をみあげてきた。
「ろーごって所にいくの?」
「老後も場所じゃなくて……こういう生活をいうんだ」
直人はそう言い、ソフィアを指さした。
日だまりが差し込む六畳間和室で、寿司文字の湯飲みに軽く触れたままうたた寝するソフィア。
いかにものんびりした、直人がずっと夢見ていた生活のワンシーンだ。
「こういうのんびりなのって、ほっこりしてていいだろ?」
「うん!」
「あとは彼女のひざの上に猫でも乗ってれば最強だったけど」
「くぅーん」
ねていた子犬が顔をあげて、切ない顔で訴えかけてきた。
犬はだめなの? としょげてる様な顔だ。
「はは、おいでわんこー」
「わん!」
呼ばれて、やってきた子犬を抱き上げて、上半身だけ自分のひざの上にのせた。
膝に前足をのせて、下あごを体にくっつけて、見上げてくる柴犬のような子犬。
「うん、犬だと無敵だ」
「無敵だー」
楽しげに、直人の台詞をリピートするミミ。
ふと、ソフィアの方を見た少女は、何かに気づいて声を上げた。
「あっ」
「どうした」
「おねえちゃんよだれ垂れてる」
「うん?」
ミミの言葉に、直人はソフィアの方を見た。
首をガクン、ガクンとさせてうたた寝しているソフィア。ミミが指摘した程大げさなものではなかったけど、確かにちょっとだけ口の端からよだれが出ていた。
「ま、この暖かさじゃな」
車外はちょっとだけ冷えるが、キャンピングカーの内部は室温23度、湿度50%とコントロールパネルが表示している。居間として最も快適な環境に保たれている上に、窓からうららかな日差しが差し込まれている。
そこで昼寝したら、よだれの一つや二つは当たり前にでるだろうなと直人は思った。
「おにいちゃん、なんか拭くものない?」
「ほら」
聞かれる前から準備していた直人は、天井の押し入れからハンドタオルを一枚抜き出し、ミミに手渡した。
「ありがと!」
「そっと拭いてあげてな、せっかく気持ち良くねてるのに、起こしたらダメだぞ」
「うん!」
ミミは大きくうなずき、そそそ、とソフィアの横に移動した。
そしてハンドタオルを使って、ツンツン、ツンツンと口の端を拭いてあげた。
「んん……」
身をよじるソフィア、しかし起きる気配はない。
ミミは更にツンツン、ツンツン、と拭いた。
普通に拭いた方がいいんじゃないかと直人が思っていると、不意に、ソフィアがまぶたを閉じたままにやけだした。
「ふふ……」
「おねえちゃん笑ってるね」
「なんかいい夢でも見てるのかな」
「しゅごーい……」
「その寝言はだめだろ……似合ってはいるけど」
「犬が……いっぱい……101匹……」
情景が想像出来てしまう寝言まで言い出したソフィア。
「わんこが101匹だって」
戻ってきて、タオルを返したミミがいった。
「それは楽しそうだな」
「うん!」
「……みかん箱も……101個」
「……それは楽しそうだな」
直人は微苦笑し、101匹の子犬が全員みかん箱にはいってる光景を想像した。
想像の中では犬だけではなくミミまでもが登場して、一匹一匹撫でていき、もふもふして回った光景が浮かんだ。
鳴いた犬の所にパタパタと駆け寄って、もふもふ。離れた所で違う犬が鳴いたらまたパタパタと駆け寄って、もふもふ。さらに違う犬が――。
そんな光景を、直人は想像した。
「……キュン死しかねないな、人によっては」
「きょんしー?」
小首をかしげ、愛らしく聞き返す現実世界のミミ。
「キュン死、な。意味は――ほっこりしてて、すごく楽しいって事だ。101のわんこがいたら楽しいだろ」
「うん、すごく楽しい!」
ミミは大きくうなずき、子犬にむかって。
「わんちゃん。わんちゃんはどうしたらふえるのー?」
と、赤ちゃんはどこから来るの? みたいな聞き方をした。
「わんわん」
「そっか、そーなんだ」
うんうんとうなずき、今度は直人の方を見上げて。
「おにいちゃん、ボールってある?」
「ボール?」
「うん、わんちゃん、ボール大好きだって」
「ああ、ふえる話じゃないんだ」
てっきりその話をしていたのかと思った直人だったが、ミミと子犬ののんびり加減にほっこりした。
ボールが大好きと話す子犬、それで何をしたいのかは聞き返すまでもない。
直人は微笑みながら、ボールか……と少し考えて。
「ちょっと待ってな」
「うん!」
直人は手元にあった、さっきミミがよだれを拭くのに使ったハンドタオルをぎゅっ、と丸めた。そして物置から梱包用のヒモを取り出して、それを使ってくるくると固めに縛った。
即席ボールのできあがりである。
「ちゃんとしたのはないけど、これでいいよな」
「わん!」
「早く投げて、だって」
「あはは、今のはおれでもわかったよ」
つぶらな瞳を輝かせる子犬に、通訳をするミミ。
そんな一人と一匹に微笑み返して、直人は立ち上がり、後方の縁側を開け放った。
縁側に腰を下ろして、しっぽをはち切れんばかりに振っている子犬を見る。
「じゃあいくぞわんこー。……それ!」
直人は縁側に座ったまま、タオルのボールを放り投げた。
「わん!」
「わーい!」
放物線を描くボールを追いかけて、本能全開の子犬が駆け出した、同時に、ミミも大喜びで一緒に駆け出した。
「おー」
子犬とミミ、一緒になってボールを追っかけて行く。それの光景に、直人は目尻を下げて見守った。
やがて、タオルのボールをくわえて子犬が戻ってきて、その後ろにミミが笑顔のまま追いかけてきた。
「まけちゃったー、おにいちゃんもう一回」
「よしっ……そら!」
受け取ったボールをまた投げた。同じように、一人と一匹が追いかけていく。
今度はミミがボールをとって、戻ってきて、満面の笑みで直人に差し出した。
「勝ったー」
「やるな、もう一回行くか?」
「うん!」
「わん!」
直人は縁側に座って、ボールを投げ続けた。
時には子犬、時にはミミがキャッチする。
一進一退の攻防――というにはあまりにものどかすぎる光景。
彼女達が拾ってきたボールを、受け取ってまた投げる。
食後の昼下がり、直人は少女と子犬と一緒になって遊んだ。
「きゃっほい!」
強めに投げたボールを地面に落とす事なく、ヘッドスライディングしたミミが空中でキャッチした。
その勢いのまま、ズザザザ、と地面に滑り込む。
「とったー」
ボールを持った手を高く掲げるミミ、そこに、子犬が飛びついていった。
「きゃははは、だめだよわんちゃん、これあたしのー」
「わんわん♪」
「おごおご♪」
一人と一匹は地面で転りまわって、じゃれ合っていた。
しばらくしてミミが立ち上がり、「はいわんちゃん!」とボールを子犬に渡して、一緒に縁側に戻ってきた。
「あーたのしかった」
「わん!」
「そっかー。あのねお兄ちゃん、わんちゃんお腹すいたって」
「あはは、ミミが空いたんだろ」
「うん! あたしもすいた」
「じゃあおやつの用意をしてやるから、こたつで大人しく待ってなー」
「うん!」
「わん!」
縁側からあがり、部屋の中に戻っていく二人と一匹。
「あー」
ふと、直人が苦笑いして、ミミに振り向いた。
「今日のこと。おねえちゃんに内緒な」
唇に人差し指をあてていう。
「内緒って、どうして?」
「……不憫だから」
苦笑いしたまま、六畳間和室のこたつを見る。
子犬が大はしゃぎで遊んで昼下がり。
うららかな陽気に攫われたソフィアは、最後まで起きてこなかった。
知らぬが仏、直人はそう思った。