姫騎士とくすぐり地獄
昼下がりのキャンピングカー。縁側越しに見える野原で、ミミと子犬が遊んでいる。
先日直人がこしらえた後、更に補強をくわえた台車の上にミミを載せて、子犬がそれを引っ張って走っている。
がらがらがら、まるで犬ぞりと馬車が合体したようなものに、幼女も子犬も大興奮だ。
「わんちゃん! 次あたしね」
「わん!」
子犬がひいて走ったり、入れ替わりにミミが引いたり。
まっすぐ走ったり、曲がろうとして乗る方を振り落としたり。
そんなこんなで、一人と一匹は大はしゃぎで遊んでいる。
その光景に目を細めて見守るソフィアとティアの前に、直人が出来たてのパウンドケーキを出した。
「はい、どうぞ」
「おっ、これはなんだナオト?」
「パウンドケーキ……の簡単なやつだな。まあ、食べてみて」
「美味しそうね」
「ナオトの『簡単なやつ』ほど美味しいものはないからな。たのしみだ」
「流石に褒めすぎだ」
直人はそういい、フォークを出しつつ、紅茶を淹れてやろうとキッチンの方に向かう。
補給物資の中からちゃんとした茶葉を出し、あらかじめ沸かしたお湯でポットを温めてから紅茶を淹れた。
琥珀色の液体を注いだティーセットを二人分持って和室に戻り、こたつテーブルの上に置く。
既に二人はパウンドケーキに手をつけているので、まずはソフィアに感想を聞いた。
「どうだ」
「ふほふふはいほ!」
「飲み込んでから話してくれ」
苦笑いしつつ、紅茶をすすめる。
ソフィアは姫らしからぬがっつき方で、紅茶でケーキを流し込んでから、言った。
「すごく美味いぞナオト!」
「ついでに口元にくっついたやつを取ってから言ってくれ」
「むっ……これか……よし。すごく美味いぞナオト!」
「律儀にもう一回言わなくていいから」
「しかし美味いのだ。こんな美味いケーキを食べたのははじめてだ!」
「さっきから褒めすぎだ。こんなあり合わせので作ったものより、王宮の料理人がちゃんとした食材で作ったものの方が美味いだろ」
「そんなことない! ナオトのケーキの方が美味いぞ」
「……そういえば、藁を手に入れたから。もしかして納豆ができるかも知れないな」
褒められすぎて決まりが悪くなって、直人は話を逸らした。
「本当か!」
「ああ、出来るかどうかは神様のみぞしるって所だがな……おかわり、いるか?」
「もちろんだ!」
「ティアは?」
「……」
「ティア?」
問いかけるが、返事はない。
そういえばさっきからずっと黙っているなと、どうしたのかと彼女を見た。
ソフィアの向かい側に座っている彼女の手元にあるパウンドケーキは既に半分になっているが、そこで手が完全に止っている。
手が完全に止っていて、顔が真っ赤になってて、目がとろんとしている。
焦点の合わない瞳を覗き込みながら、聞く。
「ティア? どうしたんだ」
「……」
「ティア」
「……ヒック」
「ヒック?」
眉をひそめる直人。まさか、と思った。
スン、と鼻を鳴らした。確かにパウンドケーキから微かなアルコールの香りがするが、まさか、と思った。
「もしかして酔ったのか?」
ソフィアが不思議そうな顔をする。真っ赤な顔にとろんとした目、そしてしゃっくりとくればそう思うのが当然である。
「お酒が入ってるのか、これ」
「ああ、パウンドケーキってちょびっとお酒を入れるんだよ。作るときに。本当にちょびっとだけどな。ブランデーがいいんだけど、似てる感じの酒があったからいれてみた」
「……本当にちょっとではないか、言われないと気づかないぞこんなもの」
「だからちょびっとだよ、香りつけ程度のものだけど……」
「ヒック」
更にしゃっくりをするティア、その直後。
「あはははははは」
いきなり笑い出した。
「お、おい。大丈夫かティア」
「あははははは。なーおーとー、わらひのひょうひひんになれー」
ぱっ、と両手をバンザイのように挙げるティア。「どうにでもなれー」のような言い方だ。
「それはお断りだけど……」
「なれよぉ」
「いや……」
「なってぇ」
「その……」
「なれつってんだろクソガキャ!」
「あっ、それは懐かしい」
出会った時以来、久々に聞く彼女の荒い口調に少しだけ懐かしい気分になる。
が、のんびりと懐かしんでいられるような状況ではない。
「これは完全に酔っているな」
「まさかこうなるとは。一応ミミにも食べられる様にって、アルコール分はかなり抑えたはずなんだがな」
「ナオトがそこを失敗するとは思えん。考えられるのはこいつがかなり下戸だということだ」
「そういうことになるな」
直人とソフィア、二人は揃ってティアを見つめた。スカウトを通り越して、だだっ子の様に「なってよぉ」とだけわめき散らす魔人の姿に困り果ててしまう。
やがて彼女は直人にしなだれかかってきて、甘える様に言った。
「どうしてもなってくれないのぉ?」
「だから働かないってば」
「わかっら」
ティアがすっくと立ち上がり、しゃっくりをしつつ、直人……ではなくその隣のソフィアを見下ろした。
「なっれくれないんなら……こうら!」
パチン、と指を鳴らす。
直後、ソフィアは黒い縄のようなものに縛りあげられた。
フレイムスライムの群れの時と同じように、彼女の魔法による拘束だ。
なぜ? と直人が訝しむ。その間にティアはもう一度パチンと指を鳴らして、今度は床に魔法陣が出現し、そこから一匹のオークが現われた。
以前立ち寄った村にいたもの達と同じようなオーク……だが、どこかガラが悪いように見える。
目を縦断する傷跡があり、手にこん棒を持っている。
愛嬌など微塵も感じられない、人相がかなり悪いオークだ。
「なんだ、そのオークの人は」
「ひましょうかんしらー」
「……どうするんだ?」
「わらひのりょうひひんにららないろ……こうら!」
更にパチン、と指を鳴らす。
オークが拘束されているソフィアに向かって行く。
「な、なにをするつもりだ」
鼻息を荒くして迫るオーク。それにソフィアが怯える。
ミミと一緒に過ごして徐々にオークになれてきた彼女だが、このオークには怯えている。
怯える原因は直人にもわかる、目の前にいるオークは明らかにあの村にいる優しいオーク達とは違う、すさんだ雰囲気を出しているのだ。
天敵の姫騎士でなくとも、怯えて当然というものである。。
「なおとー、ひょうひひんー!」
トロンとした目、そしてろれつの回らない口調で直人に迫る。
ちらっとソフィアを見た。涙目のソフィアの姿に、決意が揺らぐ。
「んもー、らっだたこうら!」
迷っていると、ティアが更に指をパッチン。
ソフィアの鎧がはじけた。普段着の、スカートとニーソックスの軽装になる。
そのソフィアにオークが向かって行き、手を伸ばす。
「まっ――」
直人が呼び止めようとした、次の瞬間。
「オゴオゴオゴ」
「あきゃきゃきゃきゃ!」
オークがソフィアの脇の下をこしょこしょとくすぐる。ソフィアが身をよじって逃げようとするが、拘束されていて逃げられない。
「や、やめ……」
「オゴオゴオゴ」
「あはははは」
「なーおと」
ティアがしなだれかかってきた。その体勢で見上げて、聞いて来る。
「ひょひひんにらってー」
ティアを見て、ソフィアを見て。
ある意味修羅場だが、直人は急速に落ち着いた。
そして、一言。
「働きたくないでござる」
「なおとひろいー。えい」
「オゴオゴオゴ」
「あはははは! もう、もうやめ――」
「オゴオゴオゴ」
「あはははは」
くすぐられるソフィア、笑って、足をばらつかせて。
次第にぐったりして、しなびた花の様になる。
顔が上気して、蕩けた表情になる。
「もう……ゆるひて……」
そして、ろれつも回らなくなってしまう。
「なーおーとー」
「うん、ごゆっくり」
害がない、そう確信した直人はソフィアの皿を回収して、シンクに持っていき、軽く水洗いした。
後ろからティアがしがみついてきて、その度にソフィアがオークにくすぐられるが、むこうは無視した。
「いっしょ……ころしぇ……」
その日、キャンピングカーはろれつの回らない女二人に占拠されてしまうのだった。




