姫騎士と企み(上)
朝日がまぶたの裏をさす。今日も目覚ましに起こされることなく、直人は自然に目覚めるまで寝ることが出来た。心の赴くがままに、好きな時間まで寝て起きる。
そんな社畜時代に味わう事のなかった贅沢をかみしめつつ、体を起こし伸びをする。
ふと、異変に気づき、キャンピングカーの中を見回す。
車内はしーんと静まりかえっている。停滞する空気、誰もそこにいない。
立ち上がり、タンス兼用の階段をのぼってロフトに顔を出す。誰もいない。
布団が畳まれていなかったので、畳んで、階段を降りる。
今度はキッチンの方にいって、シャワールームやトイレをチェックする。やはり誰もいない。
「わんちゃんまでどこかいってるのか?」
みかん箱も、敷きタオルだけ残して、住人はその姿を消している。
手で触れてみると、離れて大分経つのか、ぬくもりは既に消えている。
「どうしたんだろ」
六畳間の方に戻ってくる。ふと、寝るために横によけていたこたつの上に一枚の紙が貼られている事に気づく。
手に取ってみる。子供の字で何かが書かれていた。
ミミが書いたものだろう。直人は読めないが、文字の後に冷蔵庫らしきイラストが描かれている。
なので冷蔵庫を開けて中を確認すると、歪な形の、皮を剥いたリンゴが置かれていた。
朝ご飯、と言うことなのだろう。
「ええ子や……」
どこに行ってるのかはわからないが、朝ご飯を残してくれるなんて、と直人は少し感動した。
見栄えは悪いが、リンゴは美味しく食べた。
芯をゴミ箱に捨て、自分の布団を畳んで、こたつを部屋の真ん中に戻す。
日中の配置に戻ったところで、こたつの前に座った。
「さて、何をしようかな」
声にだしてつぶやく。が、何も思いつかなかった。
なにかしなければと思うのだが、何も思いつかない。
「飯……は食べたよな。掃除……もいっか。洗濯……は昨日の湖に停まった時にしたばかりだ」
何もする事がなかった。
……。
「……そういえば、一人になるのって初めてなのか?」
異世界にやってきてからの事を考える、最初にソフィアと出会って以来、キャンピングカーには常に誰かが一緒にいた。大した事は何一つしていないのだけれど、その誰かと何かをしてきた。
ソフィアをいじったり、ミミに遊びを教えてやったり、子犬と戯れたり、オッパイに埋まっていやされたり。
何かを常にしてきた。こんな風に一人っきりになったのははじめてかもしれないと気づく。
「もしかして……十年ぶりくらいか?」
社畜時代も常に誰かと一緒にいた。基本は仕事につぐ仕事で、一人暮らしの部屋には帰って泥のように寝るだけ、というサイクルで生活をしていた。
だから、こんな風に一人っきりで、何もする事のない時間はここ十年なかった経験である。
「どうしようかな」
だからつぶやいてしまう、間が持たなくて、独り言をつい口にしてしまう。
それでも、何も思いつかない。
「絵でも描くかな」
そういって紙を取り出して、ペンを持つ。ペン先を紙につけたところで――やはり手が止まる。
「何を描こうか」
思いつかなかった。頭がもやもやとしていて、何を書けばいいのか思いつかない。
とりあえず「小野直人」と自分の名前を書いてみた。それでも何も思いつかないので、「おのなおと」、「ナオト・オノ」、「ナオッティーヌ・オノグラッチェ」と変化させてみた。
キャンピングカーの見取り図でも描けばいいのだが、それすらも今は思いつかない。
仕方ないので、縁側を変形させて、表にでた。そこに座って、ぼうっとする。
ぼうっとする、ぼうっとした、とにかくぼうっとした。
まったりではなく、ぼうっとした。
ふと、そこに数羽の鳩が飛んできた。縁側の先に着地して、首をひょこひょこと動かして歩きながら、地面をくちばしでつっついた。
それがまるで救世主のように見えた。直人は立ち上がり、貯蔵庫の中から乾パンをとりだした。いざという時の為に作り置きした保存食だ。
それをもって縁側に戻ってきて、手で割って、鳩の前に放り投げる。
鳩たちは一瞬でそれに群がった。乾パンのかけらをくちばしでつっつき、くわえ、飲み込もうとする。
ほとんどの鳩は乾パンを飲み込んだが、一番大きいかけらに食いついた鳩はしばし苦戦した後、飲み込めなくてあきらめた。
歯がなくて丸呑みしか出来ないので、大きいものはどうしようもないのだ。
直人はさらに一口で飲み込めるように割った乾パンを投げた。あきらめた鳩はそれに食いつき、今度はちゃんと丸飲みした。
飲み込んだ直後、先ほどの大きいかけらを目にした。また投げられたのかと思ったのか、それに再び挑んでいくが、やはり飲み込めなくて、あきらめてしまう。
「あはは」
なんかほっこりした。まさに鳥頭の鳩たちの愛らしさに直人は癒された。
大きいかけらを拾い上げて、割ってあげた。鳩たちは我先争ってそれをついばんだ。
鳩のえさやりで、やる事をみつけた直人である。
「あれ? 直人起きていたのか」
「ソフィア?」
声の方に振り向く、そこに炎髪を煌めかせて、炎の馬に乗って戻ってきたソフィアの姿があった。
「あんた、どこに――」
「すまないナオト、忘れ物を取りにもどっただけなんだ。話はまだ後でな」
「あ、ああ」
そう言われると何も言えない直人。彼はソフィアがキャンピングカーに上がり、貯蔵室から何かを取りだし、炎の馬に乗って去っていくのをそのまま見送った。
何だったのだろうかと訝しんでいると、今度はキャンピングカー横の地面から魔法陣が出現し、そこからミミが現われた。まるで召喚魔法のような感じだ。
「あっ、お兄ちゃんおはよー」
「おはよう。そこから出てきたって事は、ミミはティアと一緒に遊んでたのか」
「違うよー。ティアちゃんと一緒につのうまちゃんの所に行ってたの」
「つのうま……ユニコーンの?」
どういう事だ、と直人が首をかしげていると、魔法陣が残ってる地面からティアが首をニョキ、とだしてきた。
「ミミ、あれはちゃんとあったの? って、ナオト!」
「ティア、何してるんだあんたたち?」
「えっ? ううん、な、なにもしてないわよ」
何気なく聞いたが、ティアは何故か慌てだした。わかりやすく「なにかある」反応だ。
「あんた、何を――」
「ミミ、早くして。次の所に行くわよ」
「うん!」
返事をしたミミ。キャンピングカーの中にトタタと入って、すぐに出てきて、ティアが待っている魔法陣の中に飛び込んだ。
あっけにとられているうちにいなくなった二人。
直人はたちあがり、部屋の中に戻る。
疑惑が膨らむ。
「パトリシア? 聞こえたら返事してくれ。パトリシアー?」
「呼びましたか、マスター」
冷蔵庫の扉が独りでに開き、不思議空間につながったそこからパトリシアが出てきた。
「何かご用ですか? マスター」
「用って程のことじゃないんだが……あんたはなにをしてたんだ?」
「休ませていただいてました。オッパイですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……」
「そうですか」
パトリシアはそういい、不思議空間の中に引っ込んでいった。
「……」
ティアの慌てっぶりはわかりやすく怪しかったけど、パトリシアの平然とした振る舞いも怪しかった。
何かがある、何かをしてる。
それも全員で。
直人の中で、疑惑が確信に変わりつつあった。
「わん」
背後から声が聞こえた。振り向くと子犬がいつのまにか戻って来て、縁側の先に座ってつぶらな瞳で見上げてきた。
「おー、わんこか。お前も何かしてたのか?」
「わん」
子犬が返事をした。よく見るとその前の土の色がおかしかった。掘り返したばかりなのか、そこだけ盛り上がって、黒々としている。
「そこに何か埋めたのか?」
「わん!」
しゃがみ込んで、手を伸ばすと、子犬は大声で鳴いた。甲高くて、ちょっとだけ焦っているような声だ。
それだけではなく、子犬は直人の足元にやってきて、頭をつけてぐい、ぐいとおしてきた。
「くぅーん」
びくりともしなかったが、気持ちは分かった。くんでやることにした。
縁側に腰掛けて、声をかける。
「わんこ、一緒にまったりしようか」
「わん!」
今度は喜びを露わにした声で鳴く。まるでえいしょ、えいしょとかけ声をするかのように、直人の足を一所懸命によじ登って、膝の上に登って、あごを体にのせてきた。
「くぅーん」
甘えた声を出す子犬が可愛らしかった。
鳩が飛んできたので、近くにあった乾パンをたぐり寄せて、割って、放り投げた。
「わん!」
子犬がそれに反応して、飛び降りていった。鳩がパサパサパサと飛び立っていく。
「こらこら、邪魔しないの。それはわんこのじゃないから」
「わう?」
「めっ、だ」
「くぅーん」
戻ってきて、切なそうな顔をする子犬。直人は頭を撫でてやりながら、抱き上げて、直前までの体勢に戻す。
子犬が甘えてきた。それでやる事が出来たので、頭が働くようになった。
「さて、みんなは何を企んでるのか?」
何を企んでるのかはあきらかである、それが何なのかと直人は期待した。
それは、彼の予想を遙かに超えていた。