姫騎士とガソリン調達(上)
穏やかな午後、湖畔に止められたキャンピングカー。
直人は排水タンクにたまった廃水を処理し、ポンプを使って水を貯水タンクにくみ上げている。
バスコン型キャンピングカーであるパトリシアは、そのボディの大きさも相まって、数百リットルの水を積載して走ることができる。
それはどれほどの量なのかというと、飲用だけではなく、自慢の機能の一つであるシャワーをまかなう事ができるほどの貯蔵量でもある。
その自慢の機能の一つ、シャワーはここしばらくほとんど使われていない。
「なにしろガソリンがないからなあ」
ポンプが回転する轟音を聞きながら、車体に背をもたせかけながらつぶやく直人。
ガソリンがない、全てはそれにつきる。
「ガソリンで走ってれば電気はめちゃくちゃ余るんだよなあ、最高変換率のソーラーパネル積んでるし、回生ブレーキでなんだかんだで電気の回収もできる。ぶっちゃけ一日中ルームエアコンを回したって電気はまだ余るんだ。それがなあ」
パトリシアは本来、現実世界でガソリンが問題なく供給され、それで走行することを想定されたキャンピングカーだ。
その場合電気はあくまで補助的なものである、一応それで車を走らせることもできるが、メインはやはりガソリンだ。
なので電気そのものは、余裕をもって使うことができる。
だがガソリンがないこの異世界では、キャンピングカーを動かすためのエネルギーは太陽光発電でためた電気だけになる。
それは一日五分程度車を動かした上で、生活用電を最小限つかう分だ。
シャワーなんてほとんど使えない。
つまり、ガソリンがない現状では。
「こいつの性能が10%も発揮されてないんだよな」
車体をなでるように触れながら、直人がいう。
このキャンピングカーは彼の夢が詰まったもの、夢が具現化したものといっても差し支えないものだ。
それが100%の性能が出せない現状は、直人にとって歯がゆい状況である。
だが、どうしようもない。
そのことに黄昏れていると。
「へえ、便利なものがあるじゃないの」
「ティア」
横から魔人が話しかけてきた。
距離感を感じさせない口調の彼女。
いつも通り羽をあしらった髪飾りに、黒いレースドレスという出で立ち。羽を広げて宙に浮かんでいるのもいつも通りだ。
魔人サローティアーズ、幻獣を種族ごと一人で管理し、強大な力をもつ恐るべき存在だが。
「おはよう、今日は転ばないのか」
直人は至極軽いノリで返事をした。
色々あって、直人は彼女を恐怖の存在として見ることはない。
「い、いつも転んでる訳じゃない!」
「いまのところ、キミとあって転んでるのを遭遇する確率は66.6%くらいなんだが。ぶっちゃけピンチに陥った姫騎士が『くっ、殺せ』っていうのの3倍くらい高い」
「な、なんだその比較は!」
「不思議だよなあ、なんで飛んでるのに転ぶんだろ。姫騎士が姫騎士ホイホイに引っかかるのと同じくらい不思議だ」
「だからなんなんだその比較は!」
「不思議だよなあ」
「おまえ、わたしの事をなめてるだろ。わたしは魔人サローティアーズなのだぞ、偉いんだぞ! 恐怖の象徴なのだぞ!」
「……恐怖のしょーちょうなのだぞ、って言ってみて」
「私をなめるなー」
ティアは叫んで、ピンと伸ばした鋭利な爪を突き出してきた。
「うわっ!」
声を出して、頭を抱えてしゃがみ込んで、それを避けた直人。
しゃがみ込んだ彼の目の前を、爪が通り過ぎていった。
頭上ではなく、目の前を。
ぴたーん、という音を立てて、ティアは前のめりになってずっこけた。
瞬間、時が凝固する。
しゃがむ直人に、ずっこけるティア。
目と目が合う瞬間、気まずさマックスの一時。
「……」
「えっと、よかったな75%になったな」
「マスター、それはフォローになってません」
壁の向こうからパトリシアの声が聞こえてきた。
突っ込むならフォローしてくれ、と直人は密かに思った。
一方で、ティアの表情がかわる。
みるみるうちに、まなじりに涙がたまっていく。
「……うぐっ」
「うん?」
「うわああああん」
「げっ」
「またわたしの事をなめる! いじめる! うわああああ」
「待て待て、ちょっと待て」
「なんなんだおまえは、なんなんだおまえはー」
威厳など見る影もなく、わんわん泣き出してしまうティア。
魔人は地面にヘッドスライディングした体勢のまま、じたばたし出してしまう。
直人は慌てた。彼女の前にしゃがみ直して、両手をあわあわさせて、フォローしようとする。
「いやごめん、ゴメンって」
「うわあああああん」
「本当悪かった、あやまるから、なっ」
「びえええええええん」
「ガキ泣きかよ……」
直人は困り果ててしまった。
直前に殺されかけた(あの爪はたぶん食らったらとんでもない事になっていた)はずだが、こんな風に泣いてるティアをみていると、なぜか自分がわるい事をしたような気分になってきた。
実際はなにもしていない(はず)なのだが。
涙と鼻水まみれになった彼女のためにポケットを探ってみたが、男の直人にハンカチはおろか、ティッシュの類は入っていない。
代わりに、彼には有能な秘書のような存在がいた。
「はい、マスター」
窓から体をせり出して、綺麗に折りたたまれたハンカチを差し出してくるパトリシア。
フォローありがとう、と直人はハンカチを受け取って、ティアに差し出す。
「ほら、これで涙拭いて」
「泣いてない!」
「わかった、泣いてない、魔人は泣かないよな。じゃあとりあえず顔についた泥を拭こう、せっかくの可愛い顔、泥がついて台無しだ」
「……」
「ほらとりあえず、なっ」
直人はティアに手をさしのべた。
ティアはその手を取って、立ち上がった。
パトリシアはそれをみて、すぃ、とキャンピングカーの中に引っ込んだ。
「……ぐす、お前なんか嫌いだ」
「ごめんって」
直人は手を合わせて拝んで、下げた頭で上目遣いに彼女をみた。
「お詫びに一つ、なんでもしてあげるから、な」
「……本当?」
「本当本当」
「じゃあ、わたしの料理人に――」
「それ以外で」
直人は食い気味で断った、働くのはゴメンなのだ。
しかしいってから、はっとして後悔した。
やってしまった、という思いが脳裏を駆けめぐった。
案の定、彼女のまなじりに再び、みるみると涙がたまっていく。
「ご――」
「うええええええん」
短期間に同じ美少女を二度も泣かせてしまった。
直人は必死に彼女を宥めた。
慎重に、これ以上の失言をしないように、彼女を宥めた。
「そうだ。パトリシア、スイカバーがあっただろ? それを出してくれ」
「どうぞ、マスター」
直人のオーダーにパトリシアが即座に答えた。
窓から体をだし、彼手作りのスイカバーを出した。
受け取って、ティアに渡す。
「これは?」
「スイカバーだ」
「スイカバー?」
「スイカで作ったアイスだ。小さい冷蔵庫だから毎日ちょっとしか作れない貴重品だぞ」
「甘い……冷たい……」
「夏だからな、いろんなアイスにチャレンジしていこうと思ってる」
「……美味しい」
「それは良かった」
直人はうれしがりつつ、ほっとした。
「ちなみにただのスイカバーじゃないぞ。100%果汁の、無添加のスイカバーだ。まあこの世界じゃ添加する方が難し――」
「パーセント……」
つぶやくティア、彼女が口を尖らせるのを見て、直人はハッとして口をふさいだ。
これも地雷だ、パーセントという言葉は地雷だ。
彼はまだ、地雷原の中にいた。
「……」
ティアはむすっとして、スイカバーを食べた。
食べ尽くして、直人に串をわたした。
「ごちそうさま」
「お粗末様」
しばし、二人の間に気まずい空気が流れた。
何かを言おうとする直人、しかし今日は何を言っても地雷を踏みそうなので、うかつに何も言えなかった。
そんな彼に、ティアの方から聞いてきた。
「そういえば、さっきガソリンって言ってたけど」
「え? ああ言ってた」
「それ、なに?」
「ああ、この車の動力源みたいなものだよ。パトリシア、給油口あけて」
オーダーはすぐに応えられる、給油口がぱか、と音を立てて開いた。
運転する上ではガス切れを起こしているが、最後の一滴までなくなった訳ではない(物理的にそれは起きない)。
直人は串を使って、給油口のふたに付着してるガソリンを拭って、ティアの前にだした。
ガソリン特有の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「こういうものなんだ、これを中で燃やして、車を走らせるんだ」
「これ、わたし知ってる」
「え?」
直人は驚いた目でティアを見つめた。
ティアーズ=tears、という訳でびえええん、と子供泣きするティアちゃんの回でした。
次回、異世界にやってきてはじめてガソリンを目にする直人だが……?