姫騎士とうつった風邪
補給物資を積み込んだ翌日、街外れにとまったキャンピングカーの中。
布団の中で、直人がうんうん唸っている。
顔が赤く、息も荒い。
時々思い出したかのように激しく咳き込んだりして、風邪を引いている様子だ。
昨日ソフィアに礼を言われて、その後つきっきりで看病した直人が、朝方くらいになって、完治した彼女と入れ替わる様にしてダウンしたのだ。
そして今、ミミがタオルを絞って彼の額に当てている。昨日の直人と同じ事をしている。
「ゴホッゴホッ――ミミ、わんこ連れて外で遊んできな……」
もうろうとしていく意識の中、かすれた声でミミに言う。
看病してくれるのは嬉しいが、このままでは明日が彼女の番になりそうだ。
そうならないためにも、遠ざけようというのだ。
「オゴォ……お兄ちゃん苦しそうだよ?」
「いいから、外で遊んできな。ミミにまでうつったら大変だ」
「あたし、風邪引かないよ?」
「いいから」
弱々しくも、有無を言わさない口調の直人。
ミミはしばらく彼を見つめたが、やがて不承不承ととうなずき、立ち上がった。
「……わかった、じゃあいくね」
そういい、子犬を抱いて、キャンピングカーから出て行った。
最後にもう一度直人を見て、後ろ髪を引かれる思いで、車から離れていく。
ミミが見えなくなるのを待ってから、それまでずっと黙っていたパトリシアがドアを閉めて、直人の横にやってきた。
「大丈夫ですか、マスター」
「ゴホッ! 大した事ない。会社を辞める前なら普通に出社してるレベルだ」
弱々しく言う直人。
脳裏に一瞬だけ、出社を強要してくるくせに自分は待避する上司の事を思い出した。
それがムカムカして発作的に咳き込んでしまう。
咳が一段落した後、パトリシアに聞いた。
「あんたは大丈夫なのか」
「はい、わたしは車ですから、風邪なんて引きません」
「そうか。それじゃあ悪いけど、看病を頼む」
「はい」
パトリシアは穏やかに微笑み、頷いた。
車の精霊で風邪を引く心配がない、その事を思い出して気が緩んだのが、頭が急激にもうろうとしていった。
喉が痛い。鼻が詰まって息が苦しい。
風邪は確実に悪化する途中だ。頭の片隅でそう考えた彼は、パトリシアに言った。
「ソフィアが戻ってきたら……伝言、頼めるか」
「はい、なんでしょう?」
「また移したりするときりがないから、今日はミミ連れて街のどこかに泊まってきてくれ、って。街の長にいえばなんとかなるだろ」
「わかりました」
「後はあんたに任せる。おれは少し休むよ」
「お任せ下さい」
パトリシアに見守られる中、直人はそのまま、意識を手放す様に眠りに落ちた。
しばらくして、変な匂いに起こされた。
ダイレクトに脳を揺らすような、強烈な匂い。
鼻が曲がってしまいそうな薬草のような匂いに、直人は眉をひそめ、目を開けた。
「なん……だ、これは……」
さっきまでに比べて、声が更にかすれているのがわかる。
自分でも聞き取れない程のかすれた声だ。
「ああ、起きたかナオト」
振り向くソフィア、彼女はキッチンでパトリシアと肩を並べて何かをしている。
体の向こうからなにやら煙が立ち上っていて、そこが匂いの発生源であるようだ。
直人は体を起こして、聞いた。
「何をしてるんだ?」
「薬を作っているのだ、すぐに出来るから待っていろ」
「薬?」
「そうだ、さっきとってきたのだ。こっちは予備分だがな」
ソフィアはそういい、余っているという薬草を掲げて見せた。
葉っぱについてる根っこが人型になっている、特徴的な薬草である。
「それって、マンドラコラ――」
「よし、できた。パトリシア、直人をつかまえててくれ」
「はい」
パトリシアがうなずき、直人の背後に回った。
そのままオッパイで直人の顔をはさみ込むようにして、抱きかかえるように支えた。
「なんだ、これは」
「少し苦いが、効果は保証する」
ソフィアはスプーンで薬草を掬い、直人の口元に運んだ。
「さあ」
「うっ」
間近で匂いをかいだ途端、直人は吐き出しそうになった。
生まれてこの方、これほど強烈な匂いを嗅いだことはない。手に力が入るのなら鼻をもいでしまいたいくらいの匂いだ。
「さあ、一気にいくんだ直人」
「うぅ……」
「さあ」
ぐいぐいとすすめられたので、直人は意を決してぱくっといった。
瞬間、生臭さと苦さのなんとも言えない感覚が口の中で爆発した。
「うぇ……」
それは、吐きそうなくらいまずかった。
「よし、ナオトはそのまま寝てろ、次のを取ってくる」
「つぎ?」
次ってなんだ、と聞こうとしたが、ソフィアはそれを待たず、キャンピングカーから飛び出していった。
ドアの向こうで、炎髪になって炎の馬にのって颯爽とかけていく姫騎士の姿は頼もしくあったが、同時に恐ろしくもあった。
今度は何を取ってくるのだろうか、という怖さだ。
「なにか別の薬を取ってくるということなのでしょうか」
「みたいだな」
「では、それまでもうしばらくお休み下さい」
「……ああ、このまま頼む」
後ろ頭を包むオッパイが心地よかったのでそう言ったが、怒られてしまう。
「ダメです、ちゃんとお布団で寝ないと治りません」
「……オッパイ」
名残惜しいが、仕方がない。直人は言われたとおり布団に戻る。
口の中が生臭いのでしばらく難儀したが、やがてうとうとして、再び寝入ってしまった。
しばらくして、今度は震動におこされた
ドーン、と言う音のあと、姫騎士の綺麗なかけ声が聞こえてきた。
「はあああ!」
今度はなんだ、と思い体を起こすと、縁側が空いていて、その先に炎髪をきらめかせるソフィアの姿が見えた。
丁度、炎でできた巨大な包丁を振り下ろしている所だ。
そこにある人の倍くらいはあるトカゲのような生物が真っ二つに両断され、ソフィアはその背中辺りから何かをとって、キャンピングカーに戻ってきた。
手に持っているのは鱗のようなもの。
「起きたかナオト」
「何してるんだ、お前は」
さっきにくらべて、大分はっきりとした声を出せる様になった直人。
そんな彼に、ソフィアは持っていた鱗を差し出した。
「なんだこれは」
「偽竜の逆鱗というものだ、あしきものを取り除く効力がある。それを布団の中に入れれば、病気をある程度外からすいとってくれるはずだ」
「外から?」
「ああ、さっきの薬草と合わせて、内外からということだ」
「そか」
直人はうなずき、もらった鱗を布団の中に入れる。
すると、そこからすっきりとした何かが体に広まっていくような、それでいて悪いものが吸い取られていくような、そんな不思議な感じがした。
「よし、ではもう少し寝ていろ。次のを取ってくる」
「次――ってまた行った」
またしても呼び止める前に、ソフィアが駆け出していった。
仕方ないので、また寝ることにした。
今度はすっきりと眠れた。
しばらくして、今度は幼女の声におこされた。
「うわあ、お姉ちゃんすごい!」
目をあけて、むっくりと体を起こす。
縁側の向こうに、肉を担いだソフィアの姿が見えた。
「なんだ、それは」
「鳥王の尻肉、滋養強壮で知られる一品だ。これを食べれば体力がついて治りがはやくなるはずだ」
「なんかさっきから、べらぼうなものばかりを持ってきてる気がするんだが」
頭がすっきりしてきたのもあってか、直人はそこに気づいた。
マンドラコラらしき薬草、偽竜の逆鱗、鳥王の尻肉。
どれもこれも、『べらぼう』なものばかりである。
「それにあんた、なんかケガしてないか」
「うん? ああたいした事はない、かすり傷だ」
「かすり傷って」
彼女はそういうが、かすり傷には見えない。
体のあっちこっちに、鎧が覆っていないところにたくさんの生傷をこさえている。
「さて、もう――」
「ソフィア!」
またどこかに行こうとするソフィアを今度こそ呼び止める。
動き出す前に、強い口調で。
「どうしたナオト?」
「……」
直人は口籠もるが、体のあっちこっちに傷を負っているソフィアを見て、言わなきゃいけない気がした。
だから彼は、ソフィアの目をまっすぐ見つめて、言った。
「あ、ありがとう」
「え?」
「おれのために色々してくれて……ありがとう」
「た、大した事じゃないっ」
言った直人も、言われたソフィアも顔を背けてしまった。
「オゴ? お兄ちゃんもお姉ちゃんも顔が赤いよ? どうしたの?」
「お礼を言って、言われたからですよ」
「ありがとうを? それでどうして顔があかくなるの?」
「さあ、どうしてなんでしょう」
分からないミミに、明らかに分かっていてとぼけるパトリシア。
このままじゃいけないので、直人は立ち上がって、キッチンに向かう。
「もういいのかナオト?」
「も、問題ない。残ってる尻肉で何か作る。ソフィアもミミも一緒に食べよう」
「う、うん! ナオトの料理なら安心だ」
なにやらぎこちない直人とソフィア、それを素直に喜ぶミミと、穏やかに微笑むパトリシア。
それも、直人が元気に動き回って、料理を作りあげるまで。
尻肉の料理が出来る頃には、キャンピングカーの中はいつものまったりした空気に戻っていた。
鶴の恩返しならぬ、姫騎士の看病返し。
身を削って恩を返す、そんなお話。