姫騎士と餌付け
「今日はここまでだな」
夕方、直人はそう言い、キャンピングカーを止めた。
パネルに表示されているバッテリーのゲージが赤くなっていて、これ以上車を走らせるのは危険である事を示している。
「お兄ちゃん、後ろ開けてー」
「おー」
縁側の「変形」スイッチを押して、キャンピングカーの後方を解放する。
完全に開かれると、ミミと子犬が一緒になって車外に飛び出した。
渓流のせせらぎが聞こえてくる、キャンプに適した場所だ。
飛び出して川に向かって行く少女と犬を、直人は窓ガラス越しに見守ったまま、助手席に座るソフィアに話しかけた。
「あとどれ位でつくんだ?」
「今日と同じくらいの距離を走れば王都が見えて来る」
「そうか、じゃあ明日の昼過ぎくらいに出発しよう」
「朝じゃないののか」
「バッテリー使い切ったからな、午前中だけでも充電させないとうごけない。午後からでも、だましだましになるだろうし」
「そうか。すまないなナオト」
「いいや」
直人は微笑んだ。
「あんたがやる気になってくれたんだ。こたつを使うのさえ犠牲にしてさ」
にやりとする直人。
「先を急ぐならバッテリー使い切ってこたつ使えなくなるぞー、って言った時のあんたの顔をみてたらなー。あれほど『断腸の思い』という言葉が似合う顔をおれは知らない、初めて見た」
「そ、そんな顔してないぞ!」
ソフィアは顔を赤くさせて、反論した。
「そうかー?」
「そうだ。そ、それにもう温かくなってきたし、こたつくらいなくても大丈夫だ」
「そうなのか?」
「ああ、そうだ」
ソフィアがそういった直後に、ミミがパタパタと走ってきて、運転席のドアを叩いた。
直人はパワーウインドウを下ろして、肘をかけて顔を出した。
「どうしたー?」
「お兄ちゃんお姉ちゃん! 外さむい-」
「プッ」
「現在の外気温は15度です、夜になれば更に下がると思います」
思わず吹き出す直人に、背後から秘書っぽくパトリシアが報告口調で言った。
口を押さえて、半笑いでソフィアの方を向く。
「寒いってさ」
「うっ……」
「ちなみにミミが寒がってるけど、どうする?」
「うぅ……」
「そうだお姉ちゃん、たき火しよう? 火をだしてー」
「た、たき火だな? わかった今行く!」
まるで逃げ出すかのように、慌てて助手席から飛び降りるパトリシア。
ぐるっと車を回っていく彼女を目で追いかけた、彼女はミミと共に、薪を拾い集めて、河川敷の上に並べていった。
炎髪をともし、薪に火をつけるソフィア。
「さて、晩ご飯の調達でもするか」
直人はそういい、物置にある長鼻オークからもらった釣り竿とエサをだして、キャンピングカーからおりた。
小石を踏みしめて、川の方に向かって行く。
夕日を反射する川は静かで、綺麗だった。
「釣りをするのか?」
後ろからソフィアが話しかけて来た。
ミミと子犬がたき火の周りを駆け回っている。
「ああ、何匹か釣って晩ご飯にしようかなって」
「ナオトが料理してくれるのか?」
「ああ」
「そうか、ナオトの料理は美味いから、楽しみだ」
「はは、おだてても何も出ないぞ」
「本気だ、ナオトの料理は美味い」
「……そ、そうか」
直人は照れてしまった。
ソフィアのまっすぐな視線とストレートな言葉はどうにも照れくさい。
褒められ慣れてない彼は、ストレートに褒められると、それだけで照れくさくてつい目をそらしてしまう。
そらした視線の先にはミミがいた。
オークとエルフのハーフの子は無邪気な顔で、訝しむ様子で聞いてきた。
「褒めたらなにもでないの? ごはんも出ないのー?」
「どうなのだナオト」
「……ごはんはちゃんとでるから」
「わーい」
無邪気に喜ぶミミ。直人はさらにプイ、と顔をそらした。
視界の隅で、穏やかに微笑み、それ以上何もいわないソフィアの顔が見えたからだ。
まるで形勢逆転とばかり――な状況だが、直人がソフィアに意地悪したがるのに対し、ソフィアはそういう事をほとんどしてこない。
よくもわるくも一本気な彼女らしい反応である。
直人はそのまま、釣りの準備を始めた。
釣り針の先に蜂の幼虫をくくりつけて、川の中心に垂らす、
その横に、またもソフィアが寄ってきた。
「どんな魚がつれるのだ」
他意のない質問だ。
直人は少し考えて、そのまま答えた。
「夕方の川釣りなら、ヤマメあたりがつれるんじゃないか? いればの話だけど」
「ヤマメか」
「春のヤマメは美味しいぞ、塩焼きにするだけで充分美味くなる」
「塩、ご用意します」
パトリシアが言って、キャンピングカーの中に引っ込んだ。
元の世界から持ち込んだ調味料がまだあるので、それを用意するため戻ったのだ。
直人はそこで、夕暮れの川に釣り糸を垂らし続ける。
離れた所からミミと子犬がじゃれ合う声が聞こえる。
隣にソフィアが静かに佇んでいる。
ふと、彼女が口を開いた。
「影が長いな」
「影か……。子供の頃、影を踏んで遊ばなかったか?」
「影を踏む?」
「ああ」
うなずく直人。
糸を引き上げて、エサを確認して、また川の中に戻す。
「自分の影を追いかける遊びだ。頭を踏んだら勝ち、とかそういうルールで」
「自分の頭の影なんて踏めないのではないか?」
「ああ、踏めないな。夕方になって影が伸びてくるとますます踏めなくなる」
「なのに、踏もうという遊びか?」
「そうだ。普通は友達と鬼ごっこのルールでやるんだけど、友達と別れた後の帰り道とかよくやったよ
「ふむ……」
あごを摘まんで考えるソフィア。
よく分からない、という顔をする。
そこに、ミミが聞きつけてやってきた。
「なんか面白そうだね! 一緒にやろうお姉ちゃん!」
「……そうだな、やってみようか」
ソフィアは微笑んで、立ち上がって、ミミと一緒に影踏みをはじめた。
二人並んで、ひょい、と影の先端に向かって飛ぶ。
影が逃げる、ひょいと飛ぶ。
飛ぶと逃げる、それを追いかけて飛ぶ。
追いつけそうで、当然のことながら追いつけない遊びだ。
「やっぱりふめないねー」
「そうだな」
「じゃあ相手のを踏むってのはどうだ? さっきも言ってた鬼ごっこで」
直人が釣り竿を持ちながら横から口出しした。
「相手のをか?」
「そうだ……こうしよう。おれが魚を釣り上げるまでに、ミミがソフィアの頭の影を踏めたらミミの勝ち、それまで逃げ切れたらソフィアの勝ち。ってのはどうだ?」
「おー、なんか面白そう」
「勝ち負けがつくのか……」
「で、勝った方が晩ご飯魚二匹、負けた方は魚抜きな」
「なに! ナオトそれは――」
「じゃあいくぞー。レディー……ゴー!」
「きゃははは」
ミミがソフィアの影に飛びついた。
「うわっ!」
「あ、お姉ちゃん避けた」
「奇襲するなどずるいぞミミ!」
「えい! えい!」
ミミがピョンピョン跳ねる。
ソフィアが慌てて避ける。
傍から見てじゃれ合っているように見えるが、晩ご飯が掛かっている分、ソフィアはかなり真剣になっている様子だ。
「くっ、こうなったら……王技!」
炎髪をともし、手の平をかざして炎の玉を出す。
空に炎の玉がソフィアを照らし、地面に映る彼女の影をかき消した。
「どうだ、これでもう踏めまい!」
「お姉ちゃんそれずるいー」
「なっ! ずるい?」
「ずるいっていうか、想像の斜め上って言うか。普通は踏まれない様に木の陰とかに隠れるもんなんだよな」
「木の陰……そうか、大きな影の中に隠れてしまうのだな」
「おねえちゃん! それ禁止ー、炎禁止!」
「いやしかし」
「よし、それ今から反則にするから。三秒以内でやめなかったらあんただけ生魚な」
「なんだと!」
「サーン、ニー」
「くっ」
ソフィアは呻いて、炎の玉を消した。
そして再び出来た影に、ミミがピョン、と飛びつく。
「マスター、生魚ですが、一応醤油が――」
「しー、刺身は奥の手だから今日はまだ使わない」
「わかりました」
うなずくパトリシア。
二人が見守る中、ソフィアとミミは西日が落ちきるまで影踏みを続けた。
「うぅ……」
夜、たき火を囲む一向。
ソフィア以外、串に通して塩をまぶし、たき火で焼き上がった魚を食べている、
内訳は直人、ミミ、パトリシアがそれぞれ一匹ずつで、子犬が二匹だ。
一人だけ魚なしのソフィアが心なしか涙目になっている。
「わたくしだけ抜きだなんて」
「ルールはルールだからな」
「うん、お姉ちゃん、わんちゃんに影を踏まれちゃったから、しょうがないよね」
日が暮れるまで、ソフィアはミミからよけ続けた。
最後の方になると、影が長くなって避け辛くなったので、かなりムキになって避けていた。
そうして直人が人数分つり上げて、タイムアップを迎えた。
逃げ切ったと安堵するソフィアに、パトリシアが指摘した。
足を止めた彼女の影、その頭の部分が丁度、子犬が寝そべっている所にあったのだ。
踏まれた訳じゃないが、格好としては踏んでいる形になった。
その結果、彼女の分の焼き魚が子犬にわたった、と言う事である。
「うぅ……ナオトが焼いた魚を食べたいぞ」
ソフィアは涙目で、しっぽの干し肉をかじっている。
その姿がさすがにかわいそうになってきて、もう一匹釣ってやろうか、と思ったその時。
「わん!」
子犬が焼き魚を一匹くわえて、ソフィアの前に置いた。
「わ、わたくしにくれるのか?」
「わん!」
「おー、良かったねお姉ちゃん」
「おめでとうございます」
ミミとパトリシアの祝福の中、ソフィアは焼き魚をほおばった。
「ありがとう! 美味いぞ子犬!」
しきりに感謝するソフィアをみて、直人はぼそっと「納豆」とつぶやいた。
「……あんたが餌付けされてどうする」
王都到着前の、最後の夜。
相変わらずの、笑い声が絶えない夜なのであった。
えづけしようと思ってたらえづけされてたでござる……そんな話した。