姫騎士と元社畜
小野直人、昨日まで社畜。
三年ぶりに有給を無理矢理使った直人は、朝からワクワクした気分で23区外にある自動車ディーラーにやってきていた。
今日、納車する予定の車を受け取るために。
「こちらが小野様のご注文のディアクィーン5となります」
店員に案内された、郊外ならではの広大な駐車場に新品のマイクロバスが駐まっている。
青をベースにした外装は清潔感と上品さを感じさせる見事なものだ。
「ご注文された通りのオプションをとりつけました。順に説明いたします。まずは屋根全体に効率が40%を越える最新式のソーラーパネル、その先に希望されたとおり車体の限界ぎりぎりまで搭載したバッテリー群、さらには内部の家電をオール電化させたことによって、エンジンをかけなくても生活用電は太陽光発電だけで――」
店員がなにやら横でごちゃごちゃ説明しているようだけど、直人の耳には入らなかった。
彼はそのまま、これから愛車となるバスの中に入っていく。
マイクロバスの中、そこは通常あるべきシート類がまったくなく、代わりに畳が敷き詰められてて新品のい草の香りがした。
畳の上にこたつがあって、天井近くにはふすまを使った収納がある。
横に木製のシンク台と、IHクッキングヒーターがつけられている。
さらにバスの後部に値する部分にはトイレ一体型のシャワー室がある。
一人暮らしのアパートのような作りだ。
一言で言えば六畳間の和室、車外からでは到底予想がつかないような内装だ。
「こちら後部ドアを開くと縁側になります。小野様のご希望通りのオーダーメイドですので、時間が掛かりました」
直人はドアを開けて出来た縁側に座って、足を下ろしてぶらんぶらんとさせた。
風が吹いてきて、気持ち良かった。
気持ち良かったが、若干風情が足りなく感じた。
「やっぱり縁側だよな。よし、あとで風鈴を買ってきてつけよう」
「いいですね!」
営業スマイルで同意してくれた店員をひき連れて、今度はマイクロバスの反対側に回った。
青色をベースにした車体の横に、「パトリシア」の五文字がデザインロゴででかでかと掲げられていた。
彼が注文した、愛車の名前をプリントしたもの。
大学時代、パソコンに名前をつけていた時の気分を思い出す。
そうして、店員から車の細部の説明をうけながら、くるり、とバスを一周した。
半オーダーメイドのマイクロバスは、彼の望んだ通りのものに仕上がっていた。
大満足、目の前の車の仕上がりはその一言に尽きた。
「ふ、ふふ」
「小野様?」
「ふふふふふ、ふはははははは」
心の底から笑いがこみ上げてきた、久しぶりに楽しくて笑った。
社畜生活十年。
日々のストレスと節約の果てに、彼はようやく念願のキャンピングカーを手に入れることが出来た。
納車されたパトリシアを運転して、あれこれ買い出しに行った。
布団とかの寝具は新しいものを調達した。
パトリシアと同じ六畳一間だが築五十年のおんぼろアパートには長年使ってきたせんべい布団があるが、新しい生活をはじめるので、これを機に良いものに買い換えた。
服も買った。昨日まではスーツさえあればとりあえずは困らないという、実に困った生活をしていたので私服はあまりなく、これを機に量販店で大量に買い込んだ。
食料など日常消耗品も買った。米は床下の貯蔵室に、生鮮食品はそこそこの容量がある冷蔵庫に保管した。
十年前の新社会人時代を思い出させるような、新居への引っ越しにする行動の数々。
それを彼は六畳間和室のキャンピングカーでやった。
楽しくて仕方がなかった。
『家』を駐車場に駐めて、買った物を積み込んで、足りないものがあればまた店に戻って買ってくると言う行動は彼を興奮させっぱなしにした。
そうして、生活に必要なものを一通り揃えると、時刻は夕方になっていた。
最初に立ち寄ったホームセンターを出て、直人はパトリシアを駆って勤務先の会社に向かった。
パトリシアを向かいの駐車場に駐め、つかつかとビルに入って、会社のある階に直行。
夕焼け小焼けの時間をとっくに過ぎているのだが、会社の中はまだほとんどの社員が残っていた。同僚達は私服で会社にやってきた直人をみて驚いた。
それらの眼差しを全部無視して、直属の上司である部長の所に行った。
「おお小野くん、ちょうどいいところにきた、きみに任せていた案件だが――」
部長は休んだはずの直人の出現をまるで当たり前の事のように、彼に仕事の話をした。
「部長、話があります」
「なんだね、仕事の話があるんだから手短にたのむよ」
「はい、これを」
直人はあらかじめ用意した白封筒を部長のデスクに叩きつけた。
辞表、と書かれた白封筒だ。
それを見た部長の眉がつり上がった。
「なんの真似かね」
「今までお世話になりました」
「ふざけるな、こんな勝手が許されると思ってるのかね! 会社をなんだと思ってるんだ」
「社畜製造工場」
怒鳴る部長に、直人は前からずっと思っていた言葉を臆せず言い放った。
部長の顔がますます怒りで赤くなった。
横から心配そうに見つめてくる同期の男が見えた、鬱と過労で二度休職しながらもその都度復職し、周りから憐憫をこめて「不死鳥」とあだ名付けられた男だ。
入社当時は100キロあった体重も、今は60を割り込んでいる。
こんなにはなりたくないと思った。
「では」
「待ちたまえ小野くん! 小野ォ!」
怒鳴る部長の声と、困惑する同僚達の視線。それらを丸ごと袖にして、直人は十年間勤務した会社を後にした。
会社のあるビルを出て、道路を挟んだ向かいにある駐車場に駐めたパトリシアに戻る。
タラップの玄関で靴を脱いで、和室に入る。
「何からやろうかな……ゲームでもするか」
そう決めた直人はオプションでつけた32インチの液晶テレビに、さきほど買ったばかりの最新型ゲーム機を取り付けた。
一緒に買った何本かのゲームの一つを本体に入れて、こたつの横に座って、ほぼ十年ぶりのゲームをした。
面白かったけどすぐにゲームオーバーになってしまったので、今度はゲームをやめてテレビを見た。
時間帯的に何の変哲もないニュース番組だが、それでもなんだか面白かった。
季節は夏だけど、なんとなくこたつをつけてみた。
熱かったので、エアコンもついでにつけた。
そうして新居の中で、適当に意味のないことでゴロゴロと過ごした。
「最っ高……」
目的のない、のんびりとした生活。
昨日まで社畜だった事から想像もつかないような、最高の贅沢……時間の使い方。
この贅沢の前では、オーダーメイドで1500万円かかったキャンピングカーですら安く感じてしまう。
彼はいつしか、こたつに潜り込んだまま眠ってしまった。
「すいません今すぐ出社します!」
パッと起き上がる直人。
ぜえぜえと息をする、しばらくして、自分が悪い夢を見ていた事に気づく。
大した夢ではない、昨日までは彼にとっての現実だったので、大した夢ではないのだ。
深夜だろうが休日だろうが、自宅だろうが北海道にある実家にいようが、電話一本あれば会社に呼び出されるという日常。
それに、うなされていただけだ。
「ふん、もうおれは会社を辞めたんだ、社畜なんかじゃない」
自分に言い聞かせるように言って、彼は壁に掛けられた鳩時計を見た。
時刻は夜の十一時半、そろそろか、と彼は思った。
靴を履いて、パトリシアからおりる。
数時間前に出てきた、道路を挟んだ向かいにある会社のビルを見る。
日付がそろそろ変わると言うのに、会社がはいってるフロアの電気はまだついていた。
「そろそろかな……」
直人がつぶやいたのとほぼ同時に、ビルから数人の男が出てきた。
スーツを着た、ついさっきまで同僚だった男達だ。
よれよれのスーツにくたびれた格好の彼らは同じ方向に向かって猛ダッシュした。
「終電ダッシュごくろーさま」
昨日まで自分もそこにいた、二度と戻りたくないと思った光景だった。
夜の街を鼻歌交じりで運転した。
海外有名メーカーの最新型である「ディアクィーン5」をベースに改造したパトリシアはガソリン車に相応しく、六畳一間を走らせているのにほとんど震動を感じさせない作りだ。
どれほど震動がないのかといえば、ついさっきスーパーで追加に買ったみかんがこたつの上におかれてもまったく転がらないほど震動がない。
巨体とは裏腹に、最高の乗り心地である。
ある程度荒地でも運転できるように設計された「ディアクイーン5」、公道程度で揺れないのは当然のことだ。
それを運転する直人は特にどこかに行きたいということはなかった。強いていえばナビをつけて、意識して会社と自宅の反対方向に走っているという事くらいだ。
「そういえば、これってフェリーに乗せられるのかな。もしそうなら沖縄とか行けるから、このまま日本一周もいいかもな」
そうつぶやき、じゃあ西の方に行こうと思って、ナビを設定した。
目を離した一瞬、フロントガラスの向こうが光った。まぶしくて目をさすような強い光。
手をかざしてめをこらすと、対向車のトラックが不自然に蛇行しているのが見えた。
トラックはまっすぐこっちに突っ込んでくる。
「ぶつか――!」
反射的にブレーキを思いっきり踏んで、ハンドルを切った。
瞬間、走馬燈が駆け巡った。うそだろ! と叫びたくなった。
直後、キュルキュルキュルと音が耳をつんざく。パトリシアは公道の上で盛大にスピンした。
衝撃は、ない。盛大にスピンしたけど、運良くぶつからず、横転もせずにすんだようだ。
すっかり息が上がって、背中があせでびしょ濡れになった。
「くそっ!」
ハンドルを叩いて悪態をつく、クラクションが盛大に鳴った。
事故ると思った、トラックにはねられそうになったのだ。
社畜のままならともかく、これから悠々自適な新生活をはじめる所に、トラックにひかれて死んでしまったら洒落にもならない。
しかしぶつかってなくてほっとした。
衝撃もなく、エアバッグも出ていない。
大丈夫だったか――そう胸をなで下ろしかけていると、視界の隅で、カーナビの液晶画面が真っ白になっているのが見えた。
タッチパネルも物理ボタンも反応しない、故障しているようだ。
「まさか、やっぱどこかぶつけたのか?」
直人は慌てて運転席からおりて、くるりと一周して確認した。
幸い、どこもぶつけていないようだ。
直人はほっとした。
総額1500万のキャンピングカー、これから自分の相棒となるパトリシア。
トラックにはねられて傷つくのなんてまっぴらゴメンだ。
だから目立った傷がなくて、ほっとしたその時。
「くっ、殺せ!」
すこし離れた所から若い女の声がきこえてきた。
どこかで聞いたような台詞だ。
「なんだ?」
目を向けると、そこに鎧姿だが木の下に拘束されてる姫騎士がいて、彼女を二体の豚のような怪物がゲヒゲヒと笑いながら迫っていた。
「……ファンタジー?」
夢か、それともやっぱりトラックにひかれたのか。
直人は思わず自分のほっぺたをつねる。
ちゃんと痛かった。
「ディアクィーン5」は架空の車種です。パトリシアはドイツのメーカー「Burstner」のバスコンタイプを和室に改造したようなイメージのキャンピングカーです。
姫騎士は凜々しいけど堕ちやすいタイプのお姫様です。