XL.光の剣と闇の剣
「これが……精霊?」
アンミュレーネは、総身を丸ごと包み込む繭のような光の温かさにまず驚く。
精霊と一体になったことで意識が混在するのかと思いきや、自我崩壊はしていない。寧ろ、独りきりで戦闘していた時に比べ、より鮮明な意識を保っている気がする。まるで霞がっていた霧が四散したかのようだ。
今ならば、なんだってできる気がする。
ヘルクレスを救うどころか、ベラプを崩壊させるだけの力が、体の奥底から噴水のように溢れてくる。
剣を握り締める。
その瞬刻、千里まで及ぶほどの銀の光芒を帯びる。まだこの光の剣で何も斬ってはいないが、どんな万物であろうと細切れにできる気がする。この視界に続く世界全てを、自分の思うがままにできそうな気がする。
「やっぱり……最初から《精霊契約》なんて無茶だったんだ……。精霊に……《闇喰らう幻光獣》に精神を侵食しかかっている。これじゃあ、元の木阿弥どころか、脅威が増えただけだ……」
ナジットが、アンミュレーネの顔貌を見やってそんな的外れなことを呟く。
どうしてそんな世界の終末を予期するかのような瞳をしているのか、皆目見当もつかない。
そんなこと、言われなくたって分かっている。
壊そう。
――全てを。
スパン、と建物の屋根が斜めに斬れる。
何の前触れもなく――。
一瞬にして斬られた建物の屋根はそのまま地面にズレ落ち、盛大な音を立てながら土埃が舞う。
アンミュレーネは、ほとんど反射的に横振りしただけ。
ただそれだけで、建物一件が瓦礫の山となってしまった。あそこにはヘルクレスが斬り刻んだ人間の残骸が転がっていたはずだ。意図したことではなかったが、ちゃんと土葬できたので、これで地面を掘る手間が省けて良かった。
本当に、彼らにはいい事をしてあげた。
きっと死骸となり意識だけの存在となった今でも、心の底から感謝してくれているだろう。
男達には不当な扱いを受けてきたが、それを復讐するなんて短絡的な行動に移すつもりはない。そんなの不毛だ。やった後で絶対に後悔する。
だから、感謝の気持ちも込めて、彼らを自由にするのはどうだろうか。
それはいい。
いい判断だ。
今思いついたアイディアだが、思考を深めれば深めるほどに正しいものに思えて仕方がない。
奴隷乙女として、ずっと男達に隷属していたアンミュレーネだからこそできることだってある。思いつくことだってある。
肉体という呪縛から――心を解放させる。
それはきっと、とても素晴らしいことだ。
いつだって男達は奴隷乙女を縛って生きてきた。だが、それは間違いだ。必ず反発を起こす。ヘルクレスのように無垢な心を持つ人間が、腐ったシステムを破壊する。
そうやって、終焉は連鎖する。
だったら、最初から全ての枷を消滅させてしまばいい。
何もかも終わってしまえば――。
心を開放すれば――。
こんなにも、眩い光に身を委ねることができるのだから。
「アンミュレーネさんはベラプを――男達を憎んでいた。だけど、それを否定しづけ、無理やり心の奥底に封印していた。だが、その憎しみは膨張し、《精霊砂塵》を呼び寄せることとなってしまった」
Kは加害範囲外で、悠々と瓦礫の上。
だからこそ余裕たっぷりの顔をしながら、滑稽なアンミュレーネの姿を見下すようにして睥睨できている。
そんな奴の笑い顔なんて見るに耐えない。
……一番最初にあいつを斬っておこうか。
「奴隷乙女制度を変えることができないのなら、いっそ……このベラプごと壊す。そういうつもりなんでしょうね……」
ス――と、光迸る剣を構える。
目標は、もちろんK。
光の剣をひと振りしてしまえば、一瞬で生命を摘み取ることができる。
そのことは先刻承知なはず。
だが、Kは動こうとはしなかった。あくまで全てを見透かしたような双眼のまま、ただじっとしている。その確信に満ちた瞳が一体なんなのか分からない。分からないからこそ、苛立ちを助長させる。
だが、どうでもいい。
これでそんな葛藤ともおさらばだ。
あくまで空虚な心のまま、光の剣を横に一閃――
ガキンッ!! と、光の剣を真っ向から停止させる剣があった。
どこまでも剣先の伸びた光の剣は、建物を豆腐のように刻むだけの切断力がある。そんなものを受け止められるだけの刃なんて、同じ性質の剣でしかありえない。
ナジットの剣――ではない。
彼は満身創痍のまま、地面に這いつくばっている。息苦しく気息を乱しながら、アンミュレーネの剣を受け止めている奴を観て、瞳孔を開ききっている。
聴覚の神経が削られるような、不快な鍔迫りの音。
交差しているのは――光と剣と闇の剣。
互いに責めぎ合う膠着状態が続く。どちらの勢いも負けず劣らずで、どちらが絶命の一太刀浴びてもおかしくはない。それほどまでに破壊力のある剣を、アンミュレーネは躊躇いもなく押し付ける。
「どういうつもりだ? って言っても、お前は何も答えてはくれないんだろうな」
ヘルクレスはいつもそうだった。
こちらの話に耳を傾けることなく、ただ自分の想いを貫き通し続けた。例えどれだけ忠告したって、躓いて転んだとしても、それでも這い上がるだけの想いの強さがあった。
きっと、心を喪失してしまったように視えるヘルクレスであっても、それだけは変わらない。呆れ果てるほどの頑固者だけど、筋を通すことに命懸けだ。
どういう意図で、アンミュレーネの前に立ち塞がるのか分からない。
だが、だからといって、アンミュレーネの意志は変わることがない。ヘルクレスのように、心の強い人間になりたい。だから、初志貫徹に、このベラプの人間全員を開放してあげたい。
「私はお前のために剣を握っている。お前を救うために。それを邪魔するのなら……ヘルクレス。立ちふさがるのだったら、お前であっても斬り殺す」
ビキビキッ、と足元の地面に無数の亀裂が入る。
踏ん張っていただけだったのに、剣圧だけで粉々だ。
しめたとばかりに、アンミュレーネは隙を見せたヘルクレスの横っ腹を刻もうとするが、瞬時に防御させられる。
「止めろ! アンミュレーネっっっ!!」
ナジットの口から悲鳴のような声が迸る。
どうでもいい。
今ここで背中を見せてしまえば、アンミュレーネがヘルクレスによって殺害されてしまう。脇目も振る余裕もなく、ただ黙々と眼前の敵を最優先で分裂させることだけを考える。
「お前にとって、ヘルクレスはどんな奴だったんだっっっ!?」
剣が激突する度に光芒が四散する。
武器そのものの強度を精霊によって底上げしているがため、破壊はされないだろうが、だからこそお互いに決定打に欠ける。
だが、今のままでは不利だ。
何度も何度も切り傷を受けているのはお互い様なのだが、ここに来て精霊の性質の変化がでてきた。
厄介なことに、ヘルクレスの闇の剣で斬られれば斬られるほどに、体力が著しく削られている感覚がある。アンミュレーネは《精霊契約》して気分が高揚しているため、それほどまでにダメージを受けている感覚はない。
だが、それは錯覚だ。
今にも昏倒しそうなぐらい追い詰められている。
しかもヘルクレスは人斬りによって、より精霊と深いところで繋がっている。だから闇の剣を使いこなすことができている。あまりにも差がありすぎる。今はまだ互角の戦いができているが、長期戦になればなるほどアンミュレーネが不利になるのだけは確かだ。
「殺していい存在だったのか? お前はどうでもいい奴のために、プライドを捨てて俺に土下座したのか?」
別にプライドを捨てたわけじゃない。
ただそうしようと思ったから、としか応えることはできない。今でも後悔なんて感情は一欠片もない。
「思い出せ……アンミュレーネ。お前が――本当に大切にしたかった存在を!!」
救ってみせる。
ヘルクレスを、他でもない自分の剣で。
だから――アンミュレーネは容赦なく、嵐のような剣の間隙を縫って、ヘルクレスに致命傷とも思われる一撃を叩き込んだ。
さしものヘルクレスも建物を一閃できるほどの光の剣に膝をついた。卵の殻のように肌を覆っていた闇がポロポロと溢れ出す。精霊との精神接続が途切れたようだ。今までのダメージが、そのまま生身のヘルクレスに襲いかかることだろう。
つまりは、そういうことだ。
「馬鹿……野郎……」
ナジットが呆然とした顔で、口を開ける。
そして地面に伏したヘルクレスは顔を上げる。ポロポロと顔をコーティングしていた闇がとれ、
「…………あっ」
剥き出しになった片目に光が宿る。
定まらなかった焦点が、アンミュレーネに注がれる。
「アンミュレーネ……様……?」
ようやく、ヘルクレスの声が聴けた。
随分と久しぶりな気がする。
アンミュレーネは笑おうとするが、ぐっ……と激痛走る腕を抑える。完全に精神崩壊する前に、光の剣で自分の腕を突き刺したのだ。そのおかげでどうにか正気に戻ることができたのだが、それなりの強さで刺さなければならなかったせいで血だらけだ。
光の剣で削ったのはヘルクレス本人ではなく、その中の精霊。最後の最後でようやく光の剣の性質を理解し、ものにすることができた。
まさに奇跡的だ。
「これで――」
アンミュレーネは、綺麗にアーチを描く歯を見せる。
「これで完全に終わりですね」
どっ!! と強烈な衝撃によって、アンミュレーネは紙くずのように吹き飛ばされる。
「なっ――」
飛来してくる礫を弾きながら、声の主であるKに双眼を向ける。
「アンミュレーネさんの攻撃によって、ヘルクレスさんの精神汚染が解除されたのでありません。精霊がヘルクレスさんの精神を完全に乗っ取るために、自我を一時的に回復させたに過ぎないんですよ」
ヘルクレスは意識を取り戻した。
だがそれは、今までの所業全ての記憶が蘇ったということ。
たくさんの屍の山を築き。
あまつさえ憧憬していたアンミュレーネさえ殺そうとした。
そんな事実を叩きつけられたヘルクレスは、精霊に脆弱な精神をいとも簡単に支配されてしまった。




