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フロンティアの王  作者: 魔桜
ベラプ編
29/42

XXIX.奴隷は井の中で永劫過ごす

 赤く亀裂の入った頬をそっと撫でるが、鋭い痛みは引かない。燃えるような痛さに唇の端を僅かに上げながら、コロッセオの薄暗がりへと進む。

 なだらかな歪曲を描く背中には、波のような歓声がどこか人ごとのように押し寄せてくる。どうやら次の試合が始まったようだ。観客の興味は自分から数刻も経っていないのに、興味はすぐさま他人の剣戟へと移ってしまう。剣を交えたと時に自分が確かに感じていた生きている実感も、観客にとって結局は有象無象でしかない。

 こうしてヒンヤリとした暗闇の中へと身を投じると、先刻までの高揚の余韻が掻き消えて妙に冷静になれる。

 コロッセオの舞台は華々しくて全てを忘我できる場所ではあるが、本来自分がいるべき場所はこういう虚無に包まれた空間なのだ。どれだけ足掻いたところで奴隷乙女ガベージという身分が、払拭できるわけではない。

 奴隷制度が社会制度に色濃く根付く小島――ベラプ。

 鉱山資源に恵まれていたベラプでは、遥か昔から腕っ節の強い男の方が社会で幅を利かせていたらしい。それでも女性には人権があった。だが男たちが何の計算もなしに洞窟内の資源を他島に貿易したせいで、島にある資源全てを枯渇させてしまった。

 それがそもそもの、悲劇の始まりだと言われている。資源が尽きてしまったベラプが滅びの道を辿らないために、社会制度は大きな変革を余儀なくされた。奴隷を売買することによってベラプは潤っていったが、その代償として女はあらゆる権限を剥奪された。

 それが四年前に起きた出来事だというのは、今でも信じられない。まさか奴隷乙女ガベージ制度がここまで社会に浸透するとは思っていなかった。その時自分は十二歳で、なにが起こったのかも理解できなかった。

 だが、この島に入船する男たちの反応を見る度に、これが逃れようのない真実だということに気づかされる。

 最初は、誰もがなんて残酷なことをするのかと批難の声を上げるものだ。だがそれも一時のことで、滞在日数が数日過ぎると爛々と瞳が輝き出す。下衆な嗤いが漏れるようになり、自分だけの従順な女を体つきや願望とか手持ちの金と相談しながら、選別して購入していく。そして我が物顔で首輪の鎖を引っ張りながら、往来を闊歩するのだ。

 コロッセオで戦えるだけの戦闘能力がある者は、そういった屈辱を受けることもない。だからコロッセオで戦いを志願する者も大勢いるが、過酷さに根を上げる人間は少なくない。他の奴隷よりも優遇されていることもあるが、辛く、そして男の支配下に置かれていることには変わらない。だからどっちの道を選んだところで大した意味はないのだ。

 陰鬱としたまま思考することに没頭していると、カツンと靴底と硬い床が擦れる音がする。眼鏡をかけている男が、石膏で塗り固められた壁を背にして待ち構えていた。考え事をしていたとはいえ、男の気配に気がつけなかったことに密かにショックを受ける。

 控えめに言っても筋肉質とはいえない華奢な脚付きをしている男は、当然ながらコロッセオの関係者ではない。というより、そもそもこの島の人間ではなかった。会話を交わしたのもここ最近の話。それにも関わらずコロッセオの深部にまで顔を出せるという時点で只者ではないことは確かだが、未だに正体が掴めない胡散臭い奴だ。

 奴隷乙女ガベージという身分上、男に関して不審な想いを腹に一物あるのは確かだが、ぶっちぎりで眼前の男は信用ならない。

「久方ぶりにコロッセオの試合を拝見しましたが、どうにも危なかっしいですね。いくら殺害禁止の一撃ルールとはいえ鎧や兜といった防具が一切なしとは私から言わせてもらえば、野蛮極まりない。そしてあなたの戦い方は輪をかけて野蛮で危険ですね」

 どうやらまだ奴隷乙女ガベージ制度について考えが足りない男の物言いに、少なからず苛立ちを覚える。敢えてこちらを挑発して、本心を引き出そうという魂胆らしいが、そんな古典的な策に引っかかりたくない。反駁を押し殺すような声で、

「……確か、Kとか言ったな……」

 男の名前を呼んでみると、どこかキザっぽく肩を肯定の意味で竦ませる。本名は明かせないと宣っている時点で、信用もあったものではない。

「私達奴隷はコロッセオでどうなろうと構わないっていうのが、開催者の意向らしいからな」

「そんな熾烈な戦いを300戦以上勝ち残ってきたあなたも、奴隷の女同士では賭けにならない。だから、今日は男と戦ったというわけですか? あちらとしてはねじ伏せるつもりだったのでしょうけれど、あなたの連勝記録に待ったをかけらえるのは、ベラプにはいらっしゃらないかも知れませんね」

 ベラプには、というところを強調して、皮肉めいた口調で言い募る。どうやらよほど井の中の蛙に、外界の強敵と戦って欲しいらしい。名誉や地位や金を約束すると言われているが、そんなものに興味はない。

 空を仰ぎ見ることすら忘我して、井の中でのんびりと過ごすのもそこまで悪いことではない。

「いくら私を挑発したところで意味はない。外界などに私は微塵も興味などないし、自分の強さなど疎ましいとさえ思っているのだからな」

「それだけの強さを持ちながら、もっと強い敵と戦いたいと思っていないはずがないと思うのですがね。奴隷乙女ガベージのあなたにはうってつけの相手だというのに、話すらまともに聞いてくれないとなると、こちらとしてもお手上げです」

「そうしてくれ。私はこれから行くところがあるからこれで失礼する」

 そう嘯いて、拒絶の意志をたっぷりと見せつけるように、シャカシャカと早歩きでKを横切る。だが、そんなこと知ったことではないと言いたげに、背中越しに面白がっているような声が投げられる。

「それでは、また――伺います」

 最早反論する気も失せた女は、湿った苔の生えている石畳を駆ける。これ以上埒外な押し問答に付き合っていられない。


 女の名はアンミュレーネ。彼女は総ての奴隷乙女ガベージの頂点に君臨する誇り高き戦士だった。

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