【手】
「お医者さんはいませんか!」
泣き喚くような母親の叫びがキャンプ場にこだました。
10数分後、母親はようやく到着した救急車に、もう動かない我が子を乗せた。
1年前、この海浜キャンプ場では痛ましい海難事故があった。
偶然居合わせた沢木一家は母親の悲痛な声を聞いていた。
本当ならば今シーズンはこのキャンプ場には来たくは無かったのだが、英雄の勤め先主催のキャンプ。
行かない訳にはいかない。
本社からは社長である義理の父も来る。
やはり行かない訳にはいかない。
渋々来た割にはテントの設営を終えて同僚達とビールを回す頃にはすっかり上機嫌。
浜辺は迷惑この上ない騒がしさだ。
大人達が酒で盛り上がっている頃、子供達は浜辺で砂の城を作って波に勝負を挑んでいた。
城と言っても防波堤に毛が生えた程度。
芸術的要素は一切無い。
それも当然。
透は小2だったし、周りの子供達もだいたい似たような年齢だった。
透は30cm程に盛った堤防を守る為に、海に背を向けて堀を作っていた。
掘って出た砂は堤防の上盛る。
一石二鳥の治水工事だ。
夢中で掘っていると何か短い叫び声が聞こえた。
それが何を言っているか理解する前に後ろから砂浜に叩きつけられる。
(波に呑まれた!)
理解したその時には引き波が透の身体を引きずりこんでいた。
四つん這いで必死に抗うが、波は足元の砂をも海中に呑み込む。
絶望的だった。
もがこうがどうしようが、砂ごと持って行かれてしまえば後は海の藻屑となる運命。
海底の深淵へ向けて崩れゆく砂地は、そのまま透の命をカウントダウンする砂時計のそれだった。
よく聞く話。
こうした怪談では無数の手が海へ引きずりこむなどと語られる。
透の場合はそうではなかった。
『何かが押しとどめた』
透の身体を後ろから何かが押さえて止めた。
足元は崩壊を続けているのに身体はその場に留まっていた。
もがくと何故か前に進む。
わけが分からなかったがとにかくもがいた。
手足を亀のようにバタつかせて砂浜を這い上がる。
そうして次の瞬間、腕を掴まれた。
気付いた大人が透の腕を掴んで引き上げてくれたのだった。
こうして透は一命を取り留めると同時にこっぴどく叱られた。
それにしても誰が後ろから押しとどめてくれたのだろうか?
憶測は言わない。
ただ事実としてあるのは、あの日の死亡水難事故以来30年以上。
この浜辺で死者は出ていない。
「ありがとう」




