【怪談の誕生】
都市伝説や怪談の類い。
それはゼロからは生まれない。
今回はその誕生に関わった男の話。
残念ながら怖い話ではないが珍しい瞬間の話だ。
北海道の交通の要所。
海抜1000m以上の高所を抜ける峠がある。
低地でも高山植物の咲く北の大地。
寒冷地の峠は本州の2000m級に匹敵する難所だ。
天下の険と詠われた箱根峠でさえ800m級だと言えばその過酷さは伝わるだろうか。
故に事故が多い。
急カーブが連続するルート。
そして広い道幅で急勾配。
ひとたび事故が起きればその多くが悲惨な結末となる。
死が満ち花が手向けられ、鎮魂碑や地蔵が建てられれば、人はそこに背景を語り出す。
それは無数の噂話となり、怪談や都市伝説へと姿を変えて人々の間を彷徨う。
まるで幽霊のように……
それは雨の夜。
傘もささずに峠を歩く老婆の話。
運転手の間では有名な怪談だった。
民家も歩道も無い峠道を歩く老婆は何もしない。
車を停めたり襲うこともしない。
雨の中、傘もささずに暗闇をひたすらに歩くだけ。
「有名ですよね。っつーか、これ知らなきゃモグリでしょ」
透は同僚の運転手との雑談に盛り上がっていた。
相手は同僚とはいえ業界30年以上のベテランだ。
言葉には微妙な敬語が混じる。
「透ちゃんよ、俺、見たんだよ」
「は?」
「俺が最初に見たんだよ」
「島崎さんが最初?」
透は目の前のベテランドライバーが一瞬、化石クラスのレジェンドに見えた。
「まだ俺が内地便を走っていた頃なんだけどよ」
「ああ、CB無線全盛の頃」
リアルタイムでCBは知らない。
ベテランドライバーの話や映画で見聞きしていた古き良きトラック野郎の時代の話だ。
「そう。あの峠をランデブーでCBやってたら前の奴か騒いでよ」
「うんうん」
「女が歩いてて轢き殺しそうになったって言うんだよ」
「そりゃ焦るね」
「しかも夜中だぞ。歌うヘッドライトの始まる少し前だったな。霧雨で前が見づらくてな」
「丑三つ時に峠で人間は見たくないなぁ」
これはリアルに焦る。
透は実感を込めて言った。
「で、スケベ心で俺が拾うことにしたのよ」
「キャビンは動くホテルだからねぇ。天晴れゲスいわぁ」
ニヤリと笑う島崎と一緒に笑う。
「路肩を見ながら走ったら、レポートの通りに女が歩いてたんだわ。|クラクションを鳴らした《ラッパあてた》らよ、止まって振り返ったから俺もトラック停めて話し掛けてな」
「よくもまぁ、そんな気味悪い女に声を掛けたもんですね」
「下心は恐怖を越えるんだよ」
「それ、名言違いますからね」
透は笑ってツッコミを入れた。
「まあ、声を掛けたら当たり前だけど人間でな。走りながら事情を聞いたら泣き出す始末よ」
「夜中に峠を歩くんだからそれ相応の事情はあるってことですか」
「平たく言えば夫婦喧嘩だと」
「あらら、それで母ちゃん飛び出しちゃったの」
「山を越えた向こうの町にある実家に歩いて帰る途中だったって言うんだよ」
「無茶でしょ!」
透は呆れるあまり声が大きくなった。
「途中までは月明かりも歩道もあったんだけどな。最初に歩道が無くなって、次は霧雨で、終いにゃ完全に月も隠れて…でも悔しいから意地でも帰らないって歩いてたんだとさ」
「マジ迷惑」
「とりあえず山向こうの実家に降ろしてやったんだけどな。その後は仲直りしたかどうかは分からん」
「いやぁ、ご苦労さんですわ」
「そしてこの後からなんだよな。この峠であの老婆の怪談が流行り始めたのって」
幽霊の正体見たり枯れ尾花。
その大半が枯れ尾花。
その大半が創作話。
そして僅かに残った真実だけが、不思議の扉を開く鍵。




