【幸せの遺書・5】
その場所は沢木家の出身地の外れにあった。
周囲を睥睨するような小高い丘。
そう、まさに睥睨。
かつて此処には小作人を束ねる豪農の屋敷があった。
沢木家もそこの小作人。
半奴隷のような扱いだったそうだ。
享保の大飢饉。
この地も例外無く不作ではあったが、凶作は免れた。
しかしその翌年、豪農からの上納の要求が苛烈を極め、小作人達の中に少なくない餓死者を出した。
ついに耐えかねた小作人達は密かに集まり血判状を交わした。
共に立ち上がり搾取を続ける豪農の屋敷と蔵を襲うことを誓った。
時を置いては悟られる。
夜明け前、計画は実行された。
正門と屋敷裏、そして蔵へとなだれ込む。
次々と蔵から作物が運び出された。
正門を破った小作人達は積年の怨み、豪農の首を狙って寝所を襲った。
夜明け、血まみれの小作人達数人が屋敷から出て来た。
主人もその妻も息子も、祝言を控えた娘も全て打ち殺した彼らは、極限に達した興奮に気が触れたのか意味の分からない言葉を喚いていたそうだ。
そしてそのままその場で自刃して果てたという。
事態の収拾と、この不祥事を大事にしない為に隠蔽したい藩主の意向で自刃して果てた者達の私怨としてこの蜂起は処理された。
その年、この地域を疫病が襲い多くの人々が命を落とした。
地獄絵図のような光景に豪農の娘の祟りだと誰とはなく言い始めた。
気が触れて死んだ小作人達の事も、あれは呪われたのだとまことしやかに囁かれた。
そして恐れおののいた人々は豪農の屋敷跡に社を建てて霊を祀り赦しを請うようになったそうだ。
子供達には豪農の一族を讃えるわらべ歌を歌わせておもねった。
透は目の前の社に手を合わせた。
今では忘れ去られたようにひっそりと佇む小さな社に。
その後も度重なる天災の被害を被った彼らは藩から特別な許可を得て、血判状の生き残りを東北へ送り出した。
事実上の追放だった。
なぜ東北の彼の地か?
そこに名前は記されてはいなかったが、東北のその藩から来た学者の帰路の従者として送り出したそうだ。
それがきっと芹山なのだろう。
彼らは住み着いた東北の地に、忌み名であるその地名を付けた。
もちろんそれは呪いをこの場所に転封するため。
これは資料を集めた透が推測と想像と空想を交えて導いた答え。
祝言を控えた娘が幸せを妬み祟る。
数百年経とうと晴れぬ想いはあるのかもしれない。
透はもう一度手を合わせた。
湯島の家も江戸の終焉まで半奴隷を抱えていた。
使役する側とされる側を先祖に持った透は感慨深く長い祈りを捧げた。
あれからもう、幸せを書き連ねた遺書は親族の中では見ていない。




