第九話 「おかえり」
「はじめまして。今日からこのクラスでお世話になります、“秋月 紅葉”と申します。よろしくお願いします!」
目の錯覚だろうか。
はたまた疲れすぎて幻覚を見ているのだろうか。
それとも、本当に現実なのか。
教壇には、外国に行ったはずの幼馴染が立っている。
「か、帰ってきた・・・・・・のか・・・・・・?」
目の前の出来事に、まだ現実味を感じることは出来なかった。と言うより、本当に現実か・・・・・・?
「ええと・・・・・・喜んでいるところ悪いが、秋月さんは今日は授業に出られないぞ〜。今日は金曜日だから・・・・・・来週からだな。」
英子先生は少し考えるしぐさをした後、そう言った。
どうやら紅葉(まだ現実なのか定かでは無い)が勉強に参加できるのは、来週かららしい。やはり海外からの転入と言うことで、手続きやら何やらがたくさんあるのだろう。
先生の言葉に、教室内からは“え〜”、“そんな〜”など、生徒達のブーイングが上がる。
「チッ・・・・・・めんどくせぇな・・・・・・これだから子供は・・・・・・それじゃあ秋月さん、行くよ。」
「はい、先生。」
紅葉(まだ現実なのか定かでは無い)はそう返事をすると、英子先生と共に教室から出て行った。
紅葉が出て行った後も、教室内は相変わらず賑やかだった。
「紅葉・・・・・・本当に帰ってきたのか・・・・・・?」
イヤ待て。そう決定付けるのはまだ早い。最近の不幸から考えて、夢オチというパターンもありえなくは無い。
試しに、自分の頬を抓ってみる。
「・・・・・・痛ぇ。」
些安直な考え方のような気もするが、これは夢では無いという事になる。
目の錯覚というのも今まで経験はないし、疲れすぎというのも心当たりが無い。となると・・・・・・やはり、現実・・・・・・
「はは・・・・・・はははは・・・・・・はは・・・・・・」
口から、気の抜けた笑い声が自然と出た。紅葉は、帰って来てくれたのだ。俺との約束を果たすため・・・・・・
俺の中で、紅葉が帰ってきたという事実が現実味を帯びてくる。そして同時に、紅葉が帰ってきたことに対する嬉しさが膨れ上がっていく。
「なぁなぁ涼太!見たか!?紅葉ちゃん!可愛いなぁぁぁぁ!さっすが帰国子女だぜぇぇぇ!大和撫子って感じでもうベリーキュート!くっはぁぁぁぁ!!いやっほぉぉぉぉぉぉぉう!!帰国子女、バンザァァァイ!」
隣では颯人が大いに盛り上がり、叫び声を上げていた。普段なら突っ込む所だが、今日は控えておく事にする。と言うより、俺は颯人に突っ込む事が出来ない。何故ならば、俺も嬉しかったからだ。紅葉が帰って来てくれた事・・・・・・それは、叫びたいほど嬉しい事だった。
「え〜、【あり】という動詞は、ラ行変格活用であり、他のラ変動詞では・・・・・・」
教室では、国語の授業が行われていた。だが、俺の頭には授業内容などさっぱり入ってこない。俺の頭にあるのは、当然“紅葉”の事。
先程までは嬉しさに浮かれっぱなしの俺だったが、紅葉の帰国が現実味を帯びるにつれ、一つの不安が生まれてきた。
【紅葉は、あの約束を覚えているのか。】
この事だけが、俺には気掛かりだった。なにせ6年前の約束だ。忘れていても全く不思議ではない。
「・・・・・・おい!四季嶋!聞いているのか!?」
突然、先生の声が俺を指名する。
「は・・・・・・はい!聞いてます!」
「全く・・・・・・授業に集中しろよ。」
先生はそう言うと、また授業へと戻っていった。
「そうは言っても、授業どころじゃないよなぁ・・・・・・」
窓の外に浮かぶ雲は、俺の悩みなど知る由も無く、いつも通り穏やかに流れていた。
キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン――
帰りのHRの終了を告げるチャイムが鳴り響く。俺はすぐに荷物を鞄に詰め込み、真っ先に教室を出た。
外は、少し肌寒かった。やや冷たい風が、俺の肌を包み込む。
「よし・・・・・・行くか。」
俺はそう呟くと、俺は自転車にまたがり、“ある場所”へと向かった。
「今度再会するときは、この桜の木下で会おう。」
6年前の約束の場所――聖ヶ崎でも1,2を争うほどに巨大な桜の木、“絆ノ桜”へと。
ちなみに“絆ノ桜”という名前は、俺が紅葉と分かれた後に知った名だ。俺と紅葉を繋ぐ、“絆”の役割を果たしている桜の木。俺達の約束の舞台に、ピッタリの名前だった。
「紅葉・・・・・・約束、覚えてるかな・・・・・・」
俺の頭に浮かぶ、一つの不安――
忘れられているのではないかという不安――
“絆ノ桜”に近づくにつれ、その不安は増大していく。正直、“絆ノ桜”に着くのが少し怖い。もし、そこに紅葉がいなかったら・・・・・・
だが、逃げるわけには行かない。
紅葉は帰って来てくれた。6年前の約束どおりに、帰って来てくれたのだ。
俺だけが逃げるなんて、許されるわけが無い。
・・・・・・もしも紅葉が約束の場所にいなくても、温かく迎えてあげよう。
「・・・・・・よし!」
俺は決意を新たに、桜の木へと急いだ。
「・・・・・・着いた。」
自転車で走ること約20分。ようやく目的地の“絆ノ桜”へと到着する。
約束の桜の木。6年前の、約束の場所。
俺は自転車から飛び降り、“絆ノ桜”へと近づいた。
「・・・・・・」
探している人物・・・・・・紅葉の姿は――そこには無かった。
6年も前の約束だ。忘れてたって不思議じゃない。もし忘れていても、温かく迎えてあげようと決めたではないか。
「仕方無いよな・・・・・・6年も前なんだから・・・・・・」
しかし、そんな俺の思いとは裏腹に、悲しみが胸の奥から溢れ出してくる。果たされることの無かった約束に対する、絶望と悲しみが。
涙がすぐそこまで迫ってきていた。だが、泣いてはいけない。俺はあの日、決意したのだ。“泣かない”と。男らしくなるため、こんな所で泣いてはいけないのだ。
堪えなくてはいけない、堪えるんだ・・・・・・!
「・・・・・・ゴメンな、紅葉・・・・・・やっぱり、無理みたいだ・・・・・・」
悲しみに全てを奪われそうになった瞬間――
桜の木の裏側から、“声”が聞こえた――
「遅いよ、涼太。」
「――!?」
今のは幻聴だろうか。ひどく聞き覚えのある声が聞こえたような気がする。懐かしい、6年ぶりに聞いたあの声。
やがてその声の主が、桜の裏側から現れた――
「も・・・・・・もみ・・・・・・じ・・・・・・?」
俺の目の前に現れた少女――それは紛れも無い、俺の幼馴染・・・・・・紅葉だった。
「もう!一時間ぐらい待ったんだからね!」
紅葉はプンスカと少し怒った様子で、そう言った。
「全く・・・・・・肌寒かったよ〜!」
「あ・・・・・・う・・・・・・」
言葉にならない。
紅葉は、約束を守ってくれた。
6年前の約束を、忘れてなどいなかったのだ。
俺よりも早くここに来て、俺を待ってくれていたのだ。
「く・・・・・・」
途端に、堪えていた涙が出そうになる。だが、ここで泣く訳にはいかないのだ。
だって、俺は紅葉と約束したから。もう泣かないって。
だから俺は、泣くわけにはいかないんだ。
「泣いて、いいよ。」
「――!?」
紅葉は、優しい笑顔を浮かべながら、そう言った。途端に、俺の目から涙が溢れてくる。6年間我慢した涙。どうやらこの涙は、ちょっとやそっとの事じゃ止まりそうも無いみたいだ。
「ずっと、我慢してたんだね・・・・・・涼太の顔見たら、すぐに分かったよ。」
「でも・・・・・・俺・・・・・・今、泣い・・・・・・ちゃった・・・・・・ごめ・・・・・・ん・・・・・・」
涙を流しながら途切れ途切れに口から出した俺の言葉に、紅葉は微笑んで答えた。
「今だけ特別。私が許すよ。約束、守ってくれてありがとね・・・涼太・・・」
そう言った紅葉の目からも、涙が溢れ出した。
紅葉の事だ。きっと、俺が泣かないのなら自分も泣くまいと、必死で涙をこらえてきたんだろう。
俺と紅葉は、夕日を背に、抱きしめあった。
6年分のぬくもりと。
6年分の思いを込めて。
「おかえり、紅葉。」
「ただいま、涼太。」
いつもお姉さんぶってた紅葉。でも、その体はとても華奢で。前は俺よりも随分あった身長も、今は俺よりも随分小さい。
俺の前で泣き崩れているのは、ただの少女だ。
俺達はずっと抱き締め合っていた。
どれくらいかなんて覚えてない。
ただ、長い時間抱き締め合っていた。
綺麗なオレンジ色の夕日を背景に、「りょうた もみじ」と彫ってある幹が、抱き合う俺達を優しく見守っていた。
俺は6年間の思いを込めてもう一度言った――
「おかえり、紅葉」