第四十五話 「姫様抱」
「涼太、私を【お姫様抱っこ】して。」
あれは、俺達が小学校2年生の頃だっただろうか。
紅葉が突然、自分を【お姫様抱っこ】しろと言うのだ。
「【お姫様抱っこ】?・・・・・・って何?」
まだお姫様抱っこそのものの存在を知らなかった俺は、紅葉に聞き返す。
「え〜っとねぇ・・・・男の人が両腕で、女の人を抱き上げるの。」
「・・・・・・良く分からないよ。」
とても具体的とは言えない説明だったので、イマイチ頭の中に入ってこない。お姫様抱っことは、一体どんなものなのだろう。
「ホラ!たまにドラマとかでやるじゃない。男の人が女の人を抱きかかえるヤツ。」
そう言われてみると、確かに、男性が女性を両腕で抱きかかえているシーンがあったかもしれない。・・・・・・【お姫様抱っこ】とは、あれの事なのか。
「それなら分かる・・・・・・ような気がする。けど、どうやっていいかも分からないし・・・・・・」
「それじゃあ、私が誘導するから、やってみよ!」
紅葉が目をキラキラと輝かせながら言った。
こんな表情をされては、断るに断りきれないだろう。
紅葉は俺に、お姫様抱っこのやり方を一通り教えてくれた。
一見簡単に見えるが、少し難しそうだ。
「よし・・・・・・やってみよう・・・・・・」
俺は紅葉に言われた通り、紅葉をお姫様抱っこしようとするも・・・・・・
「ぐ・・・・・・」
出来ない。
俺の力が弱いのか、それとも、紅葉の体重が重いのか。
「お、重いぃ・・・・・・」
思わず口に出てしまう。
「し、失礼ね!」
紅葉は顔を真っ赤にすると、プンスカと怒りを露にしていた。
「だって・・・・・・持ち上げられないよ・・・・・・」
やはり俺の力不足なのかもしれない。
俺は少しだけ申し訳ない気分になった。
「・・・・・・まぁ、いいわ。本当に出来るだなんて思っていなかったし。」
紅葉は笑顔を浮かべながら、そう言った。
その顔が、少し残念そうに見えたことを、俺は今でも覚えている。
・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
「ふう。どっと疲れた。」
俺は紅葉が目覚めた後、すぐに医者を呼び、紅葉のケガをチェックしてもらった。最初に言ったとおり、打撲自体はそれほど酷くなかったため、入院などは必要ないそうだ。ただ、しばらくの間、激しい運動は控えるようにとの指示を受けた。
「なんか迷惑掛けちゃってごめんね。」
紅葉が申し訳なさそうに謝ってくる。
だが、逆だ。本当は、俺が紅葉に謝りたいのだ。
紅葉のケガは、俺の不注意が原因でもある。ましてや「紅葉を守る」と誓ったことを思い返していた直後の事だ、我ながら情けない。
「謝るのは、俺の方だ。」
「・・・・・え?」
紅葉が不思議そうな表情で、俺を見た。
「紅葉を守るなんて大そうな事言って、それでも結局守れなくて。紅葉を傷付けてしまった。心の中で、絶対に紅葉を守るって誓ったのに・・・・・ゴメン・・・・・」
悔しかった。
そして情けなかった。
紅葉を守れなかった自分が。
紅葉を傷つけてしまった自分が。
――悔しくて、情けなくて、たまらなかった。
いくら心の中で紅葉を守ると誓っても、実際に出来なければ意味がない。
俺は、紅葉を守れるのだと勝手に思い込んでいただけなのだ――
俺が今まで頑張ってきたことは、全て無駄だったのか――
「・・・・・・涼太は、悪くないもん。」
紅葉が静かに言った。
「・・・・・・え?」
「私、知ってるよ。涼太が私を守るために、あの日からずっと頑張ってくれてたこと。あの日から泣くのもずっと我慢してくれてたこと。みんな、私のためだったんだよね。お見通しだよ。涼太の事だから、【自分がやってきたことは無駄だった】とか思ってるんでしょ。」
俺の心をズバリと言い当ててくる紅葉。
俺は紅葉の言葉に、ただ黙って頷くしかない。
「涼太のやってきた事、全然無駄じゃないよ!」
「――え?」
なぜ、そう言い切れるのだ。
俺は、紅葉に何も――
「私は嬉しいの。涼太が、私のために頑張ってくれていたことが。私は守ってもらえなくても、傷ついても構わないわ。ただ、涼太が私のために頑張ってくれたこと・・・・・・この事実が、私に何よりも強い力をくれるの。・・・・・・これほど嬉しいことなんて、他にはないよ。だから、あなたが頑張ってきたこと・・・・・・無駄だなんて言わないで。」
「――!」
無駄ではない――
紅葉は、確かにそう言った。
自分を守ってもらうことよりも――
自分が傷つくことよりも――
涼太が頑張ってきたことの方が重要だと、彼女は言ったのだ。
「・・・・・・紅葉、俺は、お前のために頑張れたのか?」
紅葉に問う。
紅葉は顔をしっかりとこちらに向け、
「もちろんよ。涼太の頑張りは、私が一番知っているわ。」
優しく微笑みながら、そう言った。
あの日誓った目標――
男らしくなること。
紅葉を守ること。
結局、目標は達成できたのか良く分からない。
だけど――
紅葉が認めてくれた。紅葉が喜んでくれた。
それだけでも、俺が今まで頑張ってきた価値はあったんじゃないだろうか。
今は、そう思いたい。
「さて、そろそろ帰りましょうか。」
紅葉が言った。
「そうだな。」
そろそろ夕方になる時間だ。
少し早いが、紅葉も怪我をしている。今日くらいは早めに帰ったほうが良いだろう。
「歩けるか?」
「全然へっちゃらよ!・・・・・・痛ッ!」
休んでいたベッドから降りた紅葉が、小さな声を上げた。
「どうした?紅葉?」
「うん・・・・・・やっちゃったみたい・・・・・・」
見ると、紅葉は自分の足首を押さえていた。
どうやら、足首も打ってしまったようだ。これでは歩くのは難しいかもしれない。
「それじゃあ・・・・・・よいしょ!」
「キャッ!」
俺は紅葉をゆっくりとおぶった。
「ちょ・・・・・・!涼太!大丈夫だってば!歩けないほどじゃないし・・・・・・」
紅葉が俺の背中から降りようと、ジタバタと暴れている。
正直、相当おぶりにくい。
「まぁまぁ。痛いのは変わらないんだし、安全にしとくに越したことは無いだろ?」
「だけど・・・・・・」
紅葉は顔を少し赤らめ、顔を伏せた。
「それに、小さい頃は俺がおぶられてたんだ。たまにはお返しさせてくれよ。」
「も、もう・・・・・・分かったよ・・・・・・」
紅葉はしぶしぶ納得してくれたようだ。
大方、俺の筋肉痛を心配して、あまり負担を掛けたくない等と思っているのだろう。
・・・・・・全く、紅葉らしいな。
紅葉を背負い、町を歩く。
空は茜色に染まり、町の人通りも昼間と比べれば幾分か安定してきていた。
「しかし、綺麗な夕日だなぁ・・・・・・」
「そ、そうだね。」
紅葉はまだ恥ずかしがっているのか、しきりに周りを確認している。
そんな紅葉を少しからかいたくなり、わざと目立つように、道のど真ん中で一回転してみた。
「ちょ・・・・・・ちょっと!やめてよ!目立っちゃうじゃない。」
紅葉はビシビシと俺の頭を叩き、回転を阻止しようとする。声からも、紅葉の必死さが伺えた。
・・・・・・やはり、恥ずかしがっていたのか。
「・・・・・・いいじゃん、面白いし。」
「面白くない!」
紅葉はそう言うと、俺の耳を思い切り引っ張った。
「いたたた!はいはい・・・・・・」
これ以上余計な事をすると、本当に何をされるか分からないので、素直に止めておく。
ふと、目の前の真っ赤な夕日が目に入った。
燃え盛るような、それでいて神秘的な夕日。本当に綺麗だ。
こういうのを、ロマンチックって言うのかな・・・・・・。
【女性にロマンチックな景色を見せてあげる・・・・・・それが、男らしくなるコツなんだ。】
―――!
不意に、七年前の俺の思考が頭に浮かぶ。
七年前の、俺の曲がった解釈・・・・・・。
夕日・・・・・・。
ロマンチックな景色・・・・・・。
男らしく・・・・・・。
・・・・・・これだ!
俺は、「ある事」を思いついた。
「紅葉、少し寄り道していいか?」
俺の背中にいる紅葉に向かって、そう尋ねる。
「良いけど・・・・・・どこに?」
「秘密!」
俺はそう答えると、歩みを少しだけ早めた。
これからやろうとしている事に、胸がドキドキしている。
まるで七年前、あのドラマを見ていた時みたいに――
Another View「秋月 紅葉」
涼太におぶられ、町を歩く。
視点は、いつもよりも少しだけ高い。
まさか、私が涼太におぶられる日が来ようとは。
しかし、この年になっておぶられているのも結構恥ずかしいもので、ついつい周りを気にしてしまう。
涼太はそんな私を面白がっているのか、道のど真ん中で回転しだすし・・・・・・
涼太って、こんなにやんちゃだったっけ?
「紅葉、少し寄り道していいか?」
突然、涼太がそんな事を言い出した。
集合時間まではまだあるし、少しくらいなら大丈夫だろう。
「良いけど・・・・・・どこに?」
「秘密!」
そう言う涼太の顔は、まるで子供のように無邪気なものだった。
ホテルとは正反対の方向に、涼太はどんどん歩いていく。
「ねぇ涼太。どこまで行くの?」
「もう少しだよ。」
そうは言うが、目的地が全く予想できない。
この先には、建物はあまり無いはず。ましてや、涼太が寄りたいような建物など、全く無かった様な気がするのだが・・・・・・
そう思っている間にも、町はどんどん遠ざかっていく。
一体どこに向かうというのだろうか?
「ふぁぁ・・・・・・」
少し眠くなってきてしまった。
顔を伏せ、涼太の背中に頭を預ける。
「さぁ、着いたぞ。」
少しウトウトし出したところで、涼太に声を掛けられる
その声で、私は顔を上げた。
そこには――――
「――――!」
目の前にあるのは、真っ赤な夕日。
夕日に照らされ、オレンジ色に染まった海。
赤く色付いた地平線。
私達がやってきたのは、一日目に寄った崖だったのだ。
「うわぁ・・・・・・・・・」
その景色に、私は絶句した。
夕日は燃えるようなオレンジ色で、辺り一帯をオレンジ色に染めるほどの光を放っていた。その夕日を反射する海は、一点の濁りも無いまでにオレンジ色に染まり、キラキラと光を反射している。
美しい。
私が今までに見たどんな絵画よりも、どんな芸術品よりも、またどんな景色よりも、その景色は美しいものだった。
「すごい・・・・・・すごいよ涼太!」
まさか、こんな景色が直に見れるなんて思っても見なかった。
「涼太、こんな所、いつ見つけたの?」
「一日目にここに来たとき、まだ昼間だったのにすごく景色が綺麗だったろ?だから、『夕方になったらもっと綺麗だろうなぁ』って思っただけだよ。まぁ、半ば勘みたいなもんかな。そしたら、本当に綺麗だった。ははは。」
確かに涼太は昔から勘が鋭かったような気がする。
こんな綺麗な景色が見れたのだ、涼太の勘に感謝しなければ。
「でも、どうしてこの景色を私に?」
「前に話しただろ、【女性にロマンチックな景色を見せてあげるのが、男らしくなるコツなんだ。】ってさ。今考えるとバカらしい考えだけど・・・・・・せっかくだから俺が男らしいところを見せてやろうと思って。」
そう言えば昔、涼太がそんな様な事を言っていた。
『紅葉、女性にロマンチックな景色を見せてあげるのが、男らしくなるコツなんだぜ!俺、後で紅葉にロマンチックな景色を見せてやるよ!』
『もう。バカねぇ。そんなの、男らしくも何とも無いわよ。』
その時の涼太のガッカリした顔といったら・・・・・・
「クスクス・・・・・・」
あの時の涼太の表情を思い出し、つい笑いが堪えきれなくなる。
「な、なにいきなり笑ってんだ!」
「だって・・・・・・あの時の涼太の表情といったら・・・・・・」
「し、仕方ないだろ!あの時は本当にガッカリしたんだから!」
でも・・・・・・
その時の考えを実行してくれたことは、正直嬉しい。
まさか涼太が本当にロマンチックな景色を見せてくれるなんて、思っても見なかったから。
昔の涼太じゃないけど・・・・・・本当に男らしいよ、涼太。
『涼太、私を【お姫様抱っこ】して。』
ふと、七年前に私が涼太に頼んだ事を思い出す。
あの時の、私の願い・・・・・・あれ、結構本気だったんだけどな。
やっぱりと言うか、涼太はお姫様抱っこが出来なかった。
当然、予想はしていた。だが、少し残念だったのも事実だ。
だけど・・・・・・
今の涼太なら、もしかすると――
「ねぇ、涼太。」
「ん?」
私は意を決して、涼太を呼んだ。
「飛行機の中でやったババヌキ、まだ覚えてる?」
「・・・・・・ああ。俺がボロ負けしたヤツだろう。で、紅葉は一位。」
涼太は肩を竦め、ため息をつきながら言った。
「そうそう。それでさ、その時の【お願い】、まだ残ってたよね?」
そう。あのババヌキは、ビリの人が一位の人の【お願い】を、何でも一つだけ聞かなくてはならなかった。
一位になった私は、その時【お願い】が思いつかなかったので、後で使うために残しておくことにしたのだ。
「その【お願い】、今使ってもいいかな?」
「良いけど・・・・・・何に?」
六年前を思い出す――
もし、いつか涼太がたくましく立派になってくれたなら、そのときは涼太に【お姫様抱っこ】をしてもらいたい――小さな私の、小さな願い。叶えば良いと思っていたけれど、同時に『本当に叶うのかなぁ』とも思っていた。しかし、涼太はたくましく、そして立派になってくれた。私が憧れるほどに。
そんな憧れの涼太に、私は【お姫様抱っこ】をしてもらいたい。
「涼太、私を【お姫様抱っこ】して。」
私は意を決して、そう言った。
六年前と同じセリフ。しかし、涼太は――
「・・・・・・ああ。分かった。任せろ。」
六年前とは全く違う、たくましい返事。
涼太の言葉からは、自信が感じられた。
私は涼太の背中から降り、涼太と向き合う。
少しして、涼太が私に手を伸ばしてきた。
私は涼太に、身を任せた――
「―――!」
一瞬、体がフワリと浮いたかと思うと、もう私は涼太に【お姫様抱っこ】をされていた。
昔は持ち上げることなど出来なかった私の身体を、今は軽々と持ち上げている涼太。本当にたくましい。
「・・・・・・紅葉、軽いな。」
・・・・・・昔は「重い」なんて言ってたクセに。
まぁ、それも成長した証拠かな。
「夕日、綺麗。」
お姫様抱っこをされ、改めて見る夕日は、先程よりもさらに美しく見えた。
恐らく目の錯覚だろう。だが、仕方がない。幼い頃の願いが叶って、さらにはこんな綺麗な景色まで見せてもらっている。嬉しすぎて、錯覚など見ても全く不思議ではないのだ。
「涼太、男らしくなったよ。」
私は両手を涼太の首に回し、ギュッと抱き締めた。
どうしてだろう。今の涼太になら、全てを預けられる。全てを任せられる。
昔は涼太を甘えさせていた。だが、今は違う。
私が涼太に甘えたいのだ――
「も、紅葉・・・・・・恥ずかしいんだけど・・・・・・」
涼太は照れくさそうに、顔をキョロキョロとさせている。先ほどは私を恥ずかしがらせていたのに、これでは立場が逆だ。
私は少し意地悪に、涼太を更に強く抱きしめた。
それは、単なる悪戯心・・・・・・ではない。
私は本心から、涼太を抱き締めたいと思ったのだ。
男らしく、たくましくなった涼太を――
「涼太。」
「ん?」
私が呼ぶと、涼太は顔をこちらに向けた。
「ありがと。」
私は様々な想いを込めて、涼太にそう言った。
六年分の想い。今の涼太への想い。この「ありがとう」には、いくつもの想いが込められている。
「・・・・・・ああ。」
涼太は深く追求せず、ただ一言、そう言った。
「・・・・・・ふふ♪」
私は再び涼太の胸に顔をうずめ、本当に小さく、絶対に涼太に聞こえないような声で、言った。
「・・・・・・大好きだよ、涼太。」
次回予告
誰が何のために作ったのかも分からぬ遺跡――
「面白そうですね!行きましょう!」
そこに記された、謎の紋章と絵――
「分からないです・・・・・・でも、右側の人は、“天使”にも見えますね。羽も生えていますし・・・・・・」
そして、彼女との再会――
「お久しぶり・・・・・・と言うほどでもありませんね。」
解読不可の、謎の遺跡群――
次回 第四十六話「遺跡」