母、恐るべし。
「お母様、他に読みたい本があるのですがよろしいでしょうか?」
「あら!もちろんよ、クリスティーナ。この絵本は気に入らなかったかしら?それならどちらの本が良いかしら。うーん、やっぱりクリスはこっちが良いわよね?」
そういって母が俺に差し出したのは、キラキラしたお姫様らしき人が描かれた絵本だった。
それに対して俺は笑顔で違う本を手に持ち、弾けんばかりの笑みを浮かべて母を見やる。
「いいえ、私はこれが読みたく存じます!」
お察しだとは思うが、俺が選んだ本は、可愛らしい装丁の子供のためのものではなく、厳ついこの国の歴史書だ。
それを見た母は、一瞬凍りついた。
しまった、と思った。しかし、もう我慢ならなかった。
俺は4歳になった。
言葉がしっかりと分かるようになり、読み書きもできるようになったというのに、毎日毎日母は俺にお伽噺などの簡単な本を読み聞かせてくる。母としては当たり前の行為ではあるが、日に日に俺のこの世界に対する知識欲をついに抑えることができなくなってきたのだ。
おそるおそる母を見やる。
俺の母はとても美しい。俺とおそろいの金色の髪に、緑の瞳。その瞳の色は新緑を思い起こさせ、いつまでも若々しさを失わない強さを秘めている。すらりと伸びる手足は健康的だが、どことなく儚さを感じさせ、未だに世の男性を虜にして止まない。世に名を轟かせるユークリッド公爵の妻であっても、恋慕を感じさせる手紙がやまないことがそれを証明しているといえよう。
そう、俺はなんと公爵家の令嬢としてこの世界に生を受けた。身分が高い家というものは堅苦しそうに感じるが、公爵である父が堅苦しいのが大嫌いで王位継承権を放棄し就いている地位らしいので、俺は比較的のびのびと成長させてもらってきたと思う。少女趣味は勘弁してほしかったが…
母は震えていた。
やはり、口にしなければ良かった。中身はアラサーの俺だが、確かに四歳の幼女が絵本よりも歴史に興味があると言うのはかなり無理がある。それに、この世界の貴族事情は知らないが、普通金持ちのお嬢様は自分磨きをして良いところに嫁いで行くのが義務と思われているのではなかろうか。そうすれば余計な知識は持っていないほうが良いと判断されてしまうだろう。
「クリス!!」
「はいぃっ!!」
突然母が声を荒げる。こんな母の声は生まれてこの方聞いたことがなく、びっくりして声が裏返ってしまった。
そして、母が豹変した。
「さすがは私の娘だ!こんな齢で政治に関心をもつとは…!ほらみろエドワード、やはりこやつも私たちの子だ!普通ではあるまいよ!ふ…ふふ…はははははは!!」
誰だ、この人。俺が知る母はおしとやかで、まさに育ちのいいお嬢様といった人で、こんなに声を荒げ、豪快に笑う人ではなかったはずだ。父を呼ぶ時もあなた、だったり、名前で呼ぶ時も呼び捨てにすることなく必ずエドワード様と呼んでいた。
不思議そうに、また恐ろしいものを見るように母を見つめる俺を見た母が、ふっと微笑んだ。いつも通りこの上なく上品に。
「すまないな、クリスティーナ。少々取り乱してしまった。
お前は女だ。お前に対する教育は上の兄どもとは違い、貴族の令嬢として社交界に出ていけるような教養と気品をまず身につけさせなければならないとエドワードや爺どもにきつく言われてな?そのためには普通の子育てをしろということで徹底させられていたのよ。
だがお前はこんなに完璧な演技をしていたこの母に対して、難しい歴史書が読みたいと言ってきた。これは何と喜ばしいことか!!」
急変した男前な母の話を聞きながら、俺がこの人から生まれてきたことに初めて納得したのだった。
そして、もう良い子ぶりっこ可愛い子ごっこしなくていいかと思うと、心から安堵した。
「お母様は、いったい何者なんですか?」
素直に疑問を投げかける。だって可笑しいことこの上ない。過去は伯爵家令嬢、現在は公爵の妻である女性がこんなにも豪快な女性だとは誰も思うまい。
「母に何者か問うとはなかなか面白い。
そうだな、何者かというと…私は昔男のふりをして騎士として国に仕えていたのだよ。
この通り昔からはねっ返りでな。腕っぷしも魔法の腕もそこらの男には負けなかった。だから身分を偽って騎士団に入団し、それなりの功績も残した。
そして、騎士団の中でも負け知らずの私だったが、唯一勝負に負けたのが当時まだ王族だったエドワードだったんだ。」
わが母の破天荒すぎる生き方に半ば呆れたが、ふと手紙のことを思い出す。今思うと、手紙の内容は、恋する相手へ恋慕の気持ちを綴ったというよりも、憧れの英雄にあてたファンレターのようなものが多かったような気がする。
わが母、恐るべし。