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花言葉をあなたに   sideハルカ

これは、以前短編用に書いたものを連載にしなおしたものです。

『1』は短編そのまま引っ張ってきてます。




―――帰ってきた。


 見慣れたワンルームの風景に、私はほっと息をついた。

 10畳ほどの広さでキッチンは玄関の横。築年数もそこそこ経った、ごくありふれた部屋。

 まぎれもなく自分の部屋だ。

 夜の闇の中、向こうに行く前に見ていたテレビの音と光だけがもの哀しく部屋を照らしている。

 部屋の真ん中に置いてある小さなテーブルの上には、愛用のマグカップにサンドイッチを食べた後のお皿。

 『今日は土曜日だからゆっくり起きて、だらだらしよう』雑然とした部屋の様子にそんなことを考えていたことを思い出す。

 変わらない部屋の様子に一気に肩の力が抜け、私はぺたんと床に座りこんだ。


 ああ、ついに帰ってきたんだ・・・


 懐かしいフローリングの感触に目を細める。

 とたん、何の前触れもなしにせつなさが胸を襲って私は思わず胸を押さえた。


『花の季節が、終わったな』


 脳裏に蘇る懐かしい声に、きゅうと胸が引き絞られる。

 綺麗な紫紺の瞳が、悪戯っぽい光を宿して私を映し出すのを、私はいつも幸せな気持ちで見つめていた。

 まだまだ少年っぽさを残した、あどけない笑顔にどれだけ私が癒されていたか。


『ハルカが、好きだ』

 まっすぐに見つめられた瞳に、胸がすごくどきどきした。

 私より8つも年下のくせに、時折みせる大人びた表情やしぐさに、どれだけ心が乱されたかわからない。

『俺を、好きになってよ?』

 いつもは無邪気な瞳が、怖いくらい真剣に覗き込んでくるのに、曖昧に目をそらすことを許さない強い意志を感じて。


『ここに残って・・・ずっと傍に、居て』

 私が帰ると告げた時、背がしなるくらいきつく抱きしめられた。

 覆いかぶさる明るいチョコレート色の髪が私の頬に触れて。

 その柔らかな猫っ毛に、いつか請われてしてあげた膝枕を思い出し、ずきりと胸が痛んだのを覚えている。


 どれもこれも、まだまだ新しい、彼との記憶だ。

 あちらで過ごした一年間、私が寂しいとき、悲しいとき、悔しいとき、楽しいとき、いつも傍に居てくれた。

 彼のおかげで、私はこちらのことを思い出して泣くことがずいぶん少なかったと思う。

 好きだと告げられた時、嬉しかったけれども決して受け入れられない自分も知っていたから、すごく胸が苦しかった。

 私も好きだと、その胸に飛び込んでずっとあちらで二人、一緒に暮らしていけたらどんなによかっただろう。

 でも、できなかった。

 それをするには私はもう10代の時のように若い柔軟な心を持っていなかったし、そしてなにより彼は若すぎた。

 それに。

 私は、還りたかった。

 あちらで過ごした1年間でできた人間関係や居場所も、ものすごく魅力的であったのだけれども、それでも元居た世界を捨てるには未練がありすぎたから。

 だから、戻ってくることに決めた。

 花祭りの夜が終わり、私の役目が終わったとき。

 選択を与えられて、―――紫紺の色が私のことを瞬きもせずに見つめていたのに気づいていたけれども・・・『還ります』と、告げた。

 

 ―――その時の彼の表情が、忘れられない。

 

 ぎゅうっと瞼をきつく閉じ、浮かんだ彼の顔をやり過ごす。

 それから、ふぅぅ、と長い息をつき、気持ちを整えてから瞳を開けた。

 

 とにかく、私は還ってきた。

 これから、やり直そう。

 

 うん、と頷いてから、私は久しぶりに自分の部屋のシャワーを浴びるため、動き出した。



  

              

                    ※      ※      ※


 


 ここではない何処か。

 私はさっきまで、「ゼリア」と呼ばれる国に居た。

 私はその国に伝わる、100年に一度女神が選ぶという異世界の花育人ラダムとして、召還された。

 この国の守り神である女神は、とても花を愛していて、珍しい花を好むという。

 なので、この国の人々は100年に一度開かれる大祭『花祭り』で、女神が選んだ異世界からの花の種をはぐくむ客人―――花育人ラダムと呼ばれる異世界人の育てた花を奉り、女神に感謝の心を贈る風習があった。と同時に国の繁栄と女神の守護を請うという重大な役割もあるんだけど。

 で。今回、見事に私がその花育人ラダムとして召還されてしまったというわけだ。

 それは2月のある土曜日の昼下がり。

 金曜日に仕事でミスして落ち込んでいた私は、自棄酒して次の日起きるのが遅く、むかむかする胃を抱えながら軽く昼ごはんを食べ終わってぼんやりしていた。その時、そういえば、と思い出したのだった。前の日にお酒を買った地元のスーパーで、サービスとしてもらった花の苗のことを。

 せっかくもらったんだからお水をあげようと、うちにはジョウロなんて気の利いたものなんて置いてなかったのでコップに水を入れて、窓際に置いていた花の苗にお水をあげた時―――それは起こった。

 ぱあっと白い光に包まれて眩しくて目をつぶり、目を開けたときにはもう、違う世界に、居た。

 小さな黒の鉢植えをひとつ、手にもって。

 

 ―――残念ながら私は好んでよく読むファンタジー小説の主人公みたいに豪胆な性格はしておらず、まずパニックになった。

 だって、それまで部屋に居たのに光が収まったとたん、祭壇みたいなところに立っていて、周りには色彩鮮やかで煌びやかな人種が私を取り囲んでいたんだ。

 私がまず思ったのは誘拐か、ということだった。変な宗教の人に勧誘でかどかわされたんだ、と。

 青い顔をして首を横に振り、びくびくと祭壇の上で震える私の様子に人々が困ったように目を見交わすのがわかったけど、私は女神の像に背を張り付けたまますべてを拒否した。

 怖い、怖い、怖い。なにこの人たち。どうして私、こんなところにこんな格好でいるの。

 家でだらだらする予定だった私の姿は、柔らかなベージュのスウェットの上下姿だった。もちろん顔だってスッピンだった。

 そうしてぶるぶる震えてしゃがみ込み、両腕で顔を隠す私に手を差し伸べてくれたのが、チョコレート色の髪に紫紺の瞳が印象的な、彼、レオンだったんだ。

 中世の衣装のような、金色の文様が入った白色の騎士風の衣装を着た彼は、私の数メートル前でしゃがみ込んで、にっこり、と人懐っこい笑みを浮かべた。

「ようこそ、花育人ラダム

 ―――君の名前を、教えてくれる?」

 きらきらと輝く、大きな瞳。屈託のない、その笑顔。

 まだあどけなさが残る顔立ちながらも、充分に美少年と呼べるその表情に見惚れながら、私はその純粋な瞳に警戒心がするすると解けていくのが、わかった。

 それが、ゼリア国の王の甥っ子である、彼、レオン=ド=ヴァンテと私の、出会い。

 向こうの世界では一年前、私が24歳、レオンが16歳の時だった。



 ―――それまで私は、人と係わることが怖くて、どこか遠慮して、びくびくと顔色を伺いながら生きてきた。

 それが普通だと思っていたし、変われると思えなかった。そんな自分が大嫌いだった。

 だけど、あちらで過ごした1年間で、私は私をちょっと、好きになれた。

 欠点だらけの私だけど、そんな自分が愛しく思えるようになった。

 それを気づかせてくれたのは、・・・彼、レオンだった。

 


                 ※      ※      ※


 


 日曜日は、疲れのためほとんど寝て過ごしてしまった。

 それから週明けの月曜日。

 会社に出勤してきた私は、エレベーターの所で背の高い紺のスーツ姿の見知った顔と鉢合わせした。

 同じ会社の営業さんだ。

 眠そうにしていた彼は、私の顔を見ると皮肉げに口元を歪めた。


「どうも。すっきりした顔してるね?

 こちらは金井さんのおかげで、金曜日は夜遅くまで駆け回ってたんだけどね」

 とげのある言葉に、私はあちらに行く前の日に起こった出来事を思い出していた。

 営業事務の仕事をしていた私はごく単純なミスをした。

 発注ミス。良く似た商品の名前を間違えて発注してしまい、その間違えた商品を納入されたお得意さんからクレームが来た。

 よりにもよって、あちらにとっても納期間近な商品だったらしく、かなりご立腹だった。

 幸いなことに商品の在庫はあったので、担当営業の人が得意先に直接、持っていってくれたんだけど、ものすごく怒られた。注意力が足りない、こんな簡単なミスをするなんてどうかしてる云々ちくちくと嫌味を言われ続けた。

 何をやっても駄目な私。

 そう思って、とてもとても落ち込んで、金曜日は家でやけ酒をしたのを覚えている。

 

 面と向かって言われる皮肉の言葉に、いつものように胃がきゅうと痛くなった。

 そのまま顔をうつむけようとして―――その時、脳裏に声が蘇った。


 ―――ハルカは年上なのにバカだなぁ。なにうつむいてんの?

 

 子犬のような丸い瞳が、悪戯っぽい光を浮かべて。


 ―――大丈夫、相手も人間なんだから。怖くなんてない。

   ほら、顔を上げて。うつむいてると、いろんなこと、見落としちゃうよ?

   俺にかわいい顔、見せてよ。 

 

 その懐かしい声に私はすうっと頭の中に風が通りすぎた気がした。

 ああ。そんなこともあったね。

 口元に、少しだけ笑みが浮かんだ。

 ほら―――顔を上げて。


 私はまっすぐ、営業の人の顔を見つめた。


「ご迷惑をおかけして、すみませんでした」

 その目が驚いたように見開かれるのを見つめ返し、深く頭を下げる。


「本当に、ごめんなさい。

 それから、助かりました。商品を届けていただいて、ありがとうございます。」

「あ、ああ・・・」

 営業さんの顔に面食らったような表情が浮かべた。

 それから、罰の悪そうな顔に変わる。


「・・・俺も。言い過ぎた。

 疲れてたんだ、ごめん。・・・これから、気をつけてくれればいいよ」

 頭をかきつつ、そんな風に言ってくれるのに、少しだけ目をぱちくりとしてしまった。

 思い出す限り、謝ってもらったことなんてなかったはずだから。

 いつも怒られてばかりで・・・苦手で、避けていた。

 でも今、目の前で頭を搔き目を逸らす彼は。

 とても、居心地の悪そうな表情をしている。

 直情型に見える彼は、思ったことはすぐ口に出すタイプだ。

 もしかしたら、それで彼自身後悔することもあるのかも、しれない。

 今までも。私が気付かなかっただけで。


 ―――ほら、相手が、みえてくるだろ?


 響く言葉に、じんと胸が震える。じんわりと、目が潤んでしまった。

 

 レオン。ねえ、なんだか私のすぐ隣にいるみたいだね?

 ・・・あなたの言葉が、近くにいるみたいに聞こえるよ。


「ありがとうございます」

 私はもう一度、私の表情を見て何故だかあせったように目を見開いた営業さんに向かって、深々と頭を下げた。


      



「金井さん、これ、急ぎでお願いできる?」

 目の前に差し出された書類を見て、私はちょっと考えた。

 今、私の手元には別の人に頼まれた、午前中に仕上げなければならない納期の迫った別の仕事がある。

「あ、すみません!」

 そのまま返事も待たずにそそくさと去っていく相手を引き止めると、何故だかその人はびっくりした表情を浮かべた。

 私は書類を手に持ち、立ち上がってその人に近寄った。

「実は今、こちらの案件をしてるんです。ですから、出来上がるのは昼過ぎになるかもしれないんですがいいですか?」

「・・・あ~」

 相手は困った顔になった。

「弱ったな。これ、急いでるんだよな」

「・・・そうなんですか・・・」

 どうしよう。でも、今やってる仕事も急ぎの仕事だと渡されたものだ。

 と、私たちの話を聞いていた私の席の隣の女の人―――木坂さんがくるりと椅子ごとこちらを向いた。

 いつも綺麗にメイクされた小さな顔が、私たちを見上げる。


「あ、私手、空いてるよ。やろうか?」

「マジで!助かるよ。じゃ、頼むよ」

 そう言うと、その人は軽く木坂さんに手を挙げて去っていった。

 私が目を向けると、木坂さんはぱちんとウインクした。


「貸しひとつね。後で何かおごってよ」

 その茶目っ気ある仕草に私は思わず笑ってしまった。

「はい。期待しててください」

 そう言うと、木坂さんはちょっと目を丸くしたけど、同じように笑い返してくれた。


「じゃ、今日の昼ごはんよろしく」

 

―――そして、その日のランチタイム。

 何とか渡された仕事を終わらせた私は、木坂さんと共に外にランチを食べに出てきていた。友達が少ない私にとっては実に久しぶりのことだった。


 職場近くの洒落た店構えのパスタ屋さんで、二人で「本日のランチ」を注文してしばし料理を待つ。

 お昼時ということもあり、店内は人でごったがえしていた。

 私はふうとため息をついて、ウエイトレスさんが持ってきてくれたお水を一口、飲んだ。

 心地よい疲れが私を支配していた。

 一年ぶりに来た職場は、なんだか少しだけ違っているように感じた。

 当たり前なんだけれども私にとっては一年ぶりの仕事なので、まずその内容を思い出すのに苦労した。

 幸いにも、ペーペーの私は自分だけの仕事、というものがなく、私一人いなくても誰かがフォローできる立場にいるので、訊けば解決するのでよかったけど、それまで毎日していたことを急に忘れてしまったように周囲には映るらしく、色々訊き回る私の様子に怪訝な目を向けられたり、「どうしたの?」と訊かれて困ったりもした。

 けどどうしてだか。向こうに行く前の職場より、なんだか居心地のよい場所のように、私は感じていた。

 

「それにしても、何かあった?」

 肩に手をやり、こきこきと肩を鳴らす私の様子を見て、丸い木のテーブルに頬杖ついた木坂さんが聞いてくる。

 胸元まである緩やかなパーマが、綺麗なラインを作って肩から零れ落ちている。

 頬杖をつくその細い指にも、きっちりと派手でない程度のマニュキアが塗ってあるのに、ぼんやりと見惚れながら私は「え?」と聞き返した。

「なんだか金井さん、雰囲気が変わった」

「・・・そう、ですか?」

 聞き返すと、うん、と木坂さんは頬杖をついたまま頷いた。

「前はなんだか、いつも緊張してた感じがしてたよね。さっきのことだって、昔ならあんな風に無理だって言ったりしなかったじゃない?両方がんばって、いつもなんか追い詰められてる感じがしてた」

 まあ、金井さんが断らないのわかってて頼みにいく馬鹿も多かったけどね、と木坂さんはちょっと肩をすくめるのに、私は苦笑を返してしまう。

 確かに、そうかもしれない。

 昔は、嫌われるのがこわかったから、使えないやつと思われるのがこわかったから、あんな風に自分の事情を相手に告げたりすることはなかった。

 ただ、がむしゃらにがんばろうとしていた。

 そうして、必死になりすぎて、・・・単純なミスを連発したりして、相手を怒らせたり。

 それで余計にがんばって、またミスをしてしまって・・・なんだか悪循環だった気がする。

 だからいつまで経っても重要な仕事を任せられないのだと、そう嫌味を言われたこともあった。

 そういえば、向こうの世界に行く前に起こしたミスも、そうやって起こしてしまったものだった。


「―――うん。なんだか今日は、雰囲気が柔らかくなったし、伸び伸びしてるように見える」

 木坂さんは、また私の顔を覗き込んでそう言う。

 私は思わず、お礼を言っていた。

「ありがとう、ございます」

「ああもう、敬語はいいよ。普通に話して。そのほうが、話しやすいから」

「―――分かった。」

 木坂さんの言葉に頷くと、私は笑みを浮かべた。

 二人、なんとなく目を合わせて微笑みあう。

「うん、なんだかすごく、肩の力が抜けたね、金井さん」

 木坂さんが、そう言ってくれた。

 私はすっかり、嬉しくなってしまった。


 それから注文したパスタセットを食べて職場に戻ったのだけれども、結局私が木坂さんに奢ることはなかった。

「またランチ付き合ってよ」

 そう言って、木坂さんはまた綺麗な笑顔を浮かべた。

 





               ※         ※         ※





「じゃあね、また明日」

「うん、また明日、お疲れ様」

 仕事が終わり、木坂さんと別れた帰り道。

 私はふと思いついて、商店街にある花屋さんに寄った。

 こじんまりとした佇まいの、小さな花屋さん。

 足を踏み入れると、色とりどりの花が私を出迎えてくれる。

 その懐かしさに、胸が詰まった。

 向こうに居たときは、毎日毎日、花たちの声を聞き、話をしたり、お世話をしていた。

 まだたった二日しかたっていないのに、もうずっと前にあったことのように思えてしまう。


「いらっしゃい」と、ふっくらした体格のおばさんが、笑顔で近寄ってくるのに、

「―――花かんざしを、下さい」

 足元に咲く、かわいい白い蕾をつけた、その鉢植えを指差した。

「はいよ、ありがとうございます!

 かわいがってあげてね」

 白の袋に入れて手渡されるのを、私は大切なものを抱えるかのようにそっと抱きしめた。

 袋から覗く、白のしわしわの花弁に紫色のラインがが特徴的な花かんざしの蕾が、中で揺れるのが見えた。

 家に着くと、さっそくベットの傍にある南向きの窓の縁に鉢植えを置いた。 


 私はマグカップにコーヒーを淹れ、ベットに座った。

 白い湯気が立ち昇るそれを一口、口に含む。

 そろそろ3月になるとはいえまだまだ外は寒く、冷えきった体に温かいコーヒーは身にしみた。

 ほっと息をつくと、後ろを振り向いて、花かんざしの蕾を見た。

 白くて、丸い蕾はちいさくてかわいい。

 花が開くと、中から黄色の花芯がのぞいて、小さいながらも華やかな色合いになるのを私は知っていた。

 女神様に奉るお花畑で、一面に白い花弁が気持ちよさそうに太陽の光のもと、風に一斉に揺らめいていたのを私は見ていたから。

 しばらく脳裏に花かんざし畑の風景を思い出していた私は、ふと思いついてテーブルの脇に置いてあったパソコンを開いた。

 もともと花を育てたこともなかった私は、何も知らないままあちらの世界に行った。名前だって、鉢植えの中に『花かんざし』と書いた紙が土に刺さっていたから、わかったに過ぎない、そんなレベル。

 そもそもどんな花が咲くのかとか、どうやって育てたらいいのかとか、そういう基本的なことも知らなかった。

 かたかたとキーボードをたたき、「花かんざし」をインターネットで検索してみる。

 すぐに色々な候補が出てきたので、私は適当なものをクリックして、呼び出してみた。


「へぇ~、これって多年草だったんだ。

 ええと、なになに?

 花かんざし―――ヘリクリサムの仲間。ヘリクリサムはギリシャ語で『太陽と黄金』という意味で、花のイメージがそれに似ていることからつけられた。ピンクや白の花は乾燥しており、ドライフラワーとしても利用できる、と。

 『太陽と黄金』かぁ。うん、ぴったり」

 私はふふっと笑って、さらにカーソルを下にスクロールしていき・・・不意に、目に飛び込んできた項目があった。


「花言葉は―――思いやり・温順」

 とたん、襲われる・・・思い出の、情景。



『日本には、花言葉っていうのがあるんだよ。

 花に自分の思いを託して、相手に渡したり、ね。綺麗な文化でしょ』

『へぇ。なんかいいな、そういうの。

 ―――で、花かんざしの花言葉は?』

『・・・ええと・・・』

『知らないのかよ!』

 わははは、と明るい笑い声が太陽の下で響く。

 花かんざしの白い花弁が、きらきらと光に反射してとてもきれいだった。

『ああでも、知りたいな、『花かんざし』の花言葉。

 とても、あたたかい言葉なんだろうな。

 小さいけれど、ほっとする。きっとそんな言葉だ』

 紫紺の瞳が、愛しげに細められる。

 その目に映るのは、白と黄色の・・・『太陽と黄金』の名を持つ、女神様の守る、花畑。


『―――綺麗だな』


 茶色の髪が風に揺れて、彼の頬を優しくなでてゆく。

 初めて会ったときよりなんだか顔立ちが男らしく変わってきたように見える、瑞々しい彼の肌が太陽に照らされてきらきらと光っている。 

 私はその、一枚の絵画のような風景を、とてもとても愛しい気持ちで、見つめていた。


 


 脳裏を過ぎ去っていく風景に、どくん、と大きく心臓が音をたてる。

 頭の中で警報が鳴って、それを止めた方がいいのはわかっていたけど怒涛のように流れ込むそれにわたしは抗う術がなかった。

 くるくると場面を変えながら蘇ってくる、風景。


 


 セドム国は、穏やかな気性の人々が住む、国だった。

 女神を愛し、花を愛し、信仰深い人々が暮らす国だった。

 初めは戸惑っていた私の心も、その温かい人々と過ごすうちに緩やかにほぐれていった。

 けれどもそこまで深刻にならなかった理由に、一年後の『花祭り』の日に女神様に花を奉れば、元の世界に戻れるということも大きかった。

 すべて切り離されたわけではない、戻るときもほぼ時間軸がずれない時に戻してくれるというし、ちょっと変わった観光にきたと思えばいいか。好待遇だし。

 そんな風に、初めは気楽に考えていた。



『―――いいのか?』

 レオンとは違う、人に命令することに慣れた自信の溢れた声が聞こえる。



『お前は還れる。

 ―――でももうお前は二度と、ここには戻れない・・・・んだ。そのことの意味を、お前は本当にわかって言ってるのか?』


 最後の選択のあと。『還る』と言った私に、そう訊いてきたのはユリウス王子だった。

 碧い瞳、金の髪、まさに美青年を絵に描いたような風貌の彼は、見かけとは違い意外と俺様の性格をしていた。王族だから仕方ないのかもしれないけど。


 ―――その澄んだ湖のような瞳を思い出して、私は苦笑いが零れた。


 ・・・分かってる。

 分かってる、よそんなこと。

 

 私はゼリアには行けない。

 もう、二度と。

 あの不思議で、暖かな世界に行くことはない。

 ・・・そして。

 

 ―――次に紫紺の色の瞳を持つ彼を思い出して、胸がつきん・・・!と痛み、私は目を瞑った。  


 二度とあの、明るいチョコレート色の柔らかな髪を持つ、彼の姿を見ることは、ない。

 おはようの挨拶も、大好きだったルナの実を一緒に食べたり、出かけたり、笑ったり、嬉しいことを報告したり、もう二度と・・・一緒に、できない。

 もう二度と、あの屈託のない笑顔に逢うことは、できない―――・・・


「嫌・・・」

 気づいたら、私はそう口にしていた。

「嫌、だ・・・!」

 掠れた声でそう叫ぶと、私は呆然と目を見開いた。

 心の中に押し込んでいたものを吐き出すと、それまで誤魔化そうとしていたことがもう、どうしようもなくなってしまった。

 いつの間にか頬を伝う涙が、ぽたぽたとフローリングに落ちてゆく。


 もう二度と会えないなんて嫌だ。

 だってまだ、言ってない。

 花言葉の意味だって、知りたいって言ってた。

 ねえ、レオン、私調べたよ。『花かんざし』の意味。

 『思いやり、温順』だって。ぴったりだよね?

 小さいけれどちゃんと華やかで、かわいくて、見てると癒されるこの白い花に。

 ねえ、レオン・・・!

 

 ―――ふいに襲ってきた激情に、私は耐えられずに目をつぶってそれに耐えようとしたけどそれは叶わなかった。


 私が還ると言った時、あなたは私に好きだといってくれた。

 私は何も応えられなかったけど、本当はすごくすごく嬉しかったんだ。

 おかしいよね、私のほうが8つも年上なのに。

 必死に誤魔化そうと思ってた。

 あなたのその想いは、一過性のものだって。

 若さゆえの、一時的なものだって。

 怖かったの。

 だって私、そちらの世界に残ったら、私にはもうあなたしかなくなる。

 でも、あなたにはそうじゃない。

 いつかあなたが私に飽きてしまったら?

 そう思うと、全てを捨て去るなんて、出来なかった・・・


 でもね。

 私、わからなかったんだ。

 そちらに居たら、私はこちらの世界に戻ってきたくなる。

 でも。私、思わなかった。

 こちらの世界に来たら、私、そちらの世界に戻りたくなる・・・・・・なんて・・・!

 どっちを選んでも、苦しくなるなんて。

 私、わからなかったんだ。


 馬鹿だよね・・・!

 

 ―――胸に迫るせつなさに耐え切れずに、ぎゅっと胸元に拳を作り、爪が食い込むほど強く、握りこんだ。


 


 それは2月も終わりの、そろそろ春がやってくる季節。

 私は、花育人としての役割を終えて、異世界からの帰還を果たしたのだった。

 胸に大きな、せつなさを抱いて。

 

 ―――私はそっと涙に濡れた目尻をぬぐい、問いかける。

 

 レオン、あなたはまだあの花畑に行く?

 この部屋の花かんざしの花が咲いたら。

 あなたと同じ風景を見ることができるかな・・・

 ―――願わくば。

 ずっとあなたが、私を忘れませんように。

 まだ若いから、他に好きな人が出来て、結婚して、子供ができても。

 心のどこかで、私のことを、覚えてくれてますように。



 私はそう願いを込めて。

 窓際に置いた、白い花かんざしの蕾をそっと見上げた―――


 



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