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夫の子①、彼の子②の、③つ子ちゃん ~3兆分の1の奇跡に溺れた托卵妻の完全犯罪計画~  作者: 団田図


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第3話 不吉な冗談

 都内の外れにある、古びた雑居ビルの四階。

 エレベーターもないその薄暗い建物の、剥れかけた鉄扉を開けた先にあるのが、江上浩二の部屋だった。

 部屋の中は、高価な調度品で埋め尽くされた私の家とは対極にある。壁紙は煙草のヤニで薄汚れ、無造作に脱ぎ捨てられた衣服や空き缶が散乱している。向かいには建設中の無機質な雑居ビルが建っており、窓からは灰色の壁しか見えない。都会の死角のような場所だ 。

 だが、今の私にとって、この薄汚れた一室は、あの息苦しい鳥籠から逃れられる唯一のオアシスだった。

 「痛っ……ちょっと、浩二、乱暴すぎるわよ」

 「うるせえな。こういうのが好きなんだろぉ、お前は」

 シルクのブラウスのボタンが弾け飛ぶ音と共に、私は乱暴に安物のベッドへと押し倒された。背中にスプリングの硬い感触が伝わる。隆史が私を抱く時の、あの最高級のマットレスの沈み込むような柔らかさとはまるで違う。

 浩二の体重が容赦なく私にのしかかり、煙草と汗、そして安いコロンの匂いが鼻腔を突いた。

 彼は私の同意などお構いなしに、私の完璧な化粧や髪型を乱し、獣のように首筋に噛み付く。それは、夫の隆史が私に向ける「壊れ物を扱うような優しさ」とは対極にある、圧倒的な暴力と支配だった 。

 「……っ、あ……」

 悲鳴にも似た声を上げながら、私の身体は歓喜に震えていた。

 隆史の単調で安全すぎる行為では決して満たされることのない、私の奥底にある黒い渇き。それを潤してくれるのは、この男の容赦のない野蛮さだけだ。私は理性のブレーキを完全に外し、本能の赴くままに浩二の背中に爪を立てた 。

 月に二度。エステや買い物を理由にして都内へ出てくるこの数時間だけが、私が本当の私に戻れる時間だった 。

 激しい情事の後、浩二はベッドの縁に腰掛け、慣れた手つきで煙草に火をつけた。紫煙が薄暗い部屋に立ち上る。私は乱れた髪をかき上げながら、シーツを胸元に引き寄せた。

 浩二のことはオスとして強烈に惹かれている。彼の荒々しさは私の退屈を完璧に打ち破ってくれる 。

 だが、彼と一緒になる気など、私には毛頭なかった。

 私にとって最も重要なのは、矢絡深家の妻という「地位」と、何不自由ない「裕福な生活」だ。浩二のような裏社会の影がチラつくその日暮らしの男とでは、私の望む完璧な人生は手に入らない。隆史という金と地位を持ったお人好しの夫がいてこその、このスリリングな火遊びなのだ 。

 浩二もまた、私を抱くことで『金持ちの女を安アパートで泥にまみれさせている』という歪んだ優越感に浸っているのがわかった。彼は私の金や地位を嘲笑いながらも、それに屈服する私を見て自身の底辺のコンプレックスを埋めている。

 互いのどす黒い欠落を、暴力と肉欲で貪り合う。私たちは、決して交わらない世界に住みながら、互いの存在なしでは自身の狂気をなだめられない、滑稽でグロテスクな共依存に陥っていたのだ。

 「そういや、お前んとこのガキども、四歳くらいか?」

 浩二がふと、サイドテーブルに置いてあった私のスマートフォンを勝手に手に取り、画面を覗き込んだ。ロック画面には、三人並んだ三つ子たちの写真が設定してある。

 「ちょっと、勝手に見ないでよ」

 「いいじゃねえか。減るもんでもねぇし」

 浩二は鼻で笑いながら、画面に写る三人の子供たちの顔をまじまじと見つめた。

 「……へえ。三つ子って言っても、全然顔が違うんだな。真ん中のやつは、あの金持ちの旦那に似ておとなしそうなツラしてっけど……」

 浩二の指が、長男の鳳太と三男の創太の顔をトントンと叩いた。

 「この端っこの二人、やけに目つきが悪くて乱暴そうなツラしてんな。……もしかして、俺の種だったりしてな。ふぁっ」

 冗談めかした、無責任な笑い声。

 その言葉に、私の心臓がドクンと嫌な音を立てた。

 「馬鹿なこと言わないで。三つ子なんだから、隆史の子に決まってるでしょ」

 私は努めて平静を装い、彼からスマートフォンをひったくった。

 「冗談だよ、冗談。お前みたいな計算高い女が、そんなヘマするわけねえもんな」

 浩二は面白そうに煙草の灰を落とし、私の肩に腕を回してきた。

 私は彼に体を預けながら、心の中で冷笑した。

 (そうよ、あり得ないわ。ピルを飲んでいた私が妊娠する確率だけでもすごいのに。三つ子が生まれる確率。そして……同時に別々の男の精子で受精する確率? そんなものが重なるなんて、奇跡よ。天文学的な数字になるはず)

 私は自分自身に強く言い聞かせた。

 しかし、浩二の何気ない冗談は、私の心の奥底に、小さく冷たい「棘」となって確実に突き刺さっていた。


+++


 数時間後。私は神奈川の高級住宅地にある、白亜の豪邸へと帰り着いた。

 車のミラーで乱れた髪を直し、化粧を完璧に直した私は、浩二の部屋で脱ぎ捨てていた女の顔を捨て、再び「完璧な妻であり、母」という仮面を顔に貼り付けた。

 重厚なリビングのドアを開けた瞬間、鼓膜を劈くような甲高い叫び声と、物がぶつかる激しい音が飛び込んできた。

 「僕のほうが先におもちゃ取ったんだぞ! 返せよ!」

 「やだ! 僕が遊ぶの! 離せ!」

 広大なリビングの絨毯の上で、長男の鳳太と三男の創太が、お互いの髪を掴み合いながら激しい取っ組み合いの喧嘩をしていた。周囲には、高価な木製の積み木や知育玩具が散乱している。

 「ほら、二人ともやめなさい! 怪我をしますよ!」

 ベビーシッターの舞子が必死に間に入り、二人を引き剥がそうとしているが、四歳になり体力がついてきた男児二人の力に押され、手を焼いているようだった。

 「あっちいけ! おばさん!」

 創太が舞子の腕を乱暴に振り払い、鳳太に向けてブロックを投げつけた。

 「ダメッ……ちょっと、やめなさいってば!」

 その一方で、次男の蓮太は喧嘩の輪から遠く離れた部屋の隅に座り込んでいた。彼は騒ぎなど一切気にする様子もなく、隆史が趣味で集めている旧車のミニカーを、ただ静かに、規則正しく並べ続けている。

 私はその光景を、リビングの入り口に立ち尽くしたまま、冷ややかな目で見つめていた。

 (本当に……全く違う)

 三人が赤ん坊の頃は、ただ泣いてミルクを飲むだけの存在だった。しかし、四歳になり自我がはっきりと芽生え始めた今、彼らの性質の違いは誰の目にも明らかなほど決定的なものになっていた 。

 鳳太と創太は、とにかく気が短く、暴力的だ。思い通りにならないとすぐに声を荒げ、手が出る。その粗暴な振る舞いは、上品な矢絡深家の血筋とは到底思えない。

 そして何より、彼らの「顔立ち」だ。

 おもちゃを投げつけられ、怒りで顔を歪める鳳太と創太の目つき。鋭く吊り上がった一重の目、薄い唇、不機嫌そうに歪んだ眉間。

 『もしかして、俺の種だったりしてな』

 数時間前に聞いたばかりの、浩二の無責任な笑い声が、脳内で不気味にリフレインした。

 鼓動が早くなる。嫌な汗が背中を伝う。

 私は慌てて視線を次男の蓮太に移した。

 蓮太は、ミニカーを並べ終えると、「パパのくるま、かっこいいな」と一人で呟き、優しく微笑んでいた。その少し下がった目尻、柔らかい輪郭、温厚で争い事を好まない性格。どこからどう見ても、お人好しの夫・隆史の生き写しだった。

 (二卵性だから。そうよ、三つ子でも二卵性なら顔が違うのは当然のこと……)

 私は自分自身を必死に納得させようとした。隆史も、「顔が少し違うね。二卵性だね」と、微塵の疑いもなく笑っていたではないか 。

 だが、一度意識してしまった「違い」は、呪いのように私の思考を蝕んでいく。

 鳳太と創太が放つ、ギラギラとした野性的なエネルギー。それは、私を力ずくで組み敷く時の、あの浩二の暴力性と酷似していた 。

 「……奥様、お帰りなさいませ。申し訳ありません、ちらかしたままで」

 舞子が床に散らばったおもちゃを片付けながら、申し訳なさそうに頭を下げた。

 「いいのよ、舞子さん。男の子なんだから、元気なのは良いことだわ」

 私は引きつりそうになる頬の筋肉を無理やり動かし、完璧な微笑みを作って見せた。

 「ほら、鳳太、創太。仲良く遊ばないと、ママ怒るわよ」

 私が優しく声をかけると、二人はピタリと動きを止め、こちらを振り向いた。

 その瞬間、二人の鋭い視線が私を射抜く。

 まるで、獲物を品定めするような、どこか冷たく、暴力的な目。

 私は息を呑んだ。

 気のせいではない。彼らの顔立ちは、成長するにつれて、だんだんとあの男に近づいている。

 完璧に構築された私の裕福な人生の足元で、何かが音を立てて軋み始めていた。

 私は無意識に、シャネルのバッグの持ち手を、指の関節が白くなるほど強く握りしめていた。


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