2 方舟
「カズさんて、ハルの恋人だったの?」
ワゴン車の後部座席の勇斗がスマホをいじりながらドライバーの城戸に向かって言った。
クルマは新宿の歌舞伎町から新大久保あたりをゆっくり走っている。
深夜だというのにそこかしこに赤いネオンが毒々しく輝いていた。
「...だったよ」
ハンドルに手をかけ、城戸がぽつりと答える。
城戸はハルが死んで3か月ほどして、男性専用風俗店の契約ドライバーとして雇われた。
すると、キャストの間で、カズさん、城戸和弥はハルの恋人だったという噂が広まった。
「やっぱり」
勇斗がうなずき、
「俺、ハルに聞いてたんだよね、カズさんのこと」
スマホの画面から顔を上げた。
先週、新しいドライバーの城戸和弥という名を聞いた時、実際に会った時に、彼がハルの恋人だとピンときた。
ドライバーとキャストがプライベートな話ができる機会はあまりなかった。他のキャストが同乗していない時くらいのものだ。
勇斗は今夜はまだ客がついていないが、さほど腐ったふうでもない。売れっ子でもこんな日はある。
「俺のこと、なんて?」
城戸がタバコに手を伸ばしかけてやめた。クルマは城戸の持ち込みだが、営業中は禁煙だ。
「カズさんていって、すてきな人だって自慢してた。大手の銀行で働いてるエリートなんだ、って」
「そうか。ま、エリートでもなかったんだけどな」
実際に城戸は上司との関係のいきさつで出世コースからは外れていた。
「だから辞めてドライバーなったの?」
「まあ、いろいろあって」
「ふうん」
「俺も勇斗のことは聞いたことがあるよ。キャストの中で仲がいいやつがいるんだって」
「仲がいいつっても、仕事上がりにモーニング食うくらいだったけど。あ、いつだったか、ハルの奢りで焼き肉食べにいったよ」
勇斗の照れた笑いにまだ少年の名残があった。
「ハル、友達いなかったみたいだからな」
「う、ん」
勇斗の声が湿った。
「俺も」
「そっか」
「...ハル、なんで死んじゃったんだろ。カズさん、何か知ってる?」
「いや、それが俺にもわからないんだ」
城戸のスマホが鳴った。
勇斗に常連客の指名がついて、クルマを回して歌舞伎町のホテル街で降ろす。
城戸の仕事はキャストの管理の意味もある。
店によっては街中で自由待機の場合もあるが、フリーの客についていったり、からまれてトラブルになったり、さまざまなリスクが考えられる。店が手配したクルマで待機させるほうが安全で確実だからだ。
またスマホが鳴って、ピックアップの知らせが入った。
ホテル街のはずれで、キャストの時生がワゴン車を見つけて後部座席に乗り込んできた。
「はい、これ」
肩越しに売上金の入ったポーチが手渡される。
「お疲れ」
城戸が確認して、半額を時生に渡す。
時生は黙って受け取り、財布にしまった。
「カズさんてメガバンクで働いてたんですか?」
時生がスマホに売り上げを書き込んで訊いた。
城戸が見知っているキャストの中で一番まともな外見をしているのが時生だった。髪の毛も染めず、派手な服装もせず、時生を見て風俗業のバイトをしているとは誰も思わないだろう。家族には夜勤のバイトをしていると言ってある。
「そうだけど?」
「もったいないなあ」
「う、ん?」
「やめちゃうなんて、まあ、事情は知らないすけど」
「ま、いろいろあるさ。どこでも同じだろ。銀行受けるの?」
「選択肢のひとつ、ですかね」
時生は大学生で、そろそろ就活の準備だ。キャストにしては珍しく、奨学金の返済のためにこの仕事をやっている。たしかに、ふつうのバイトよりは稼げる。ホストでも稼げそうな顔立ちだが、酒を飲んでの接客は苦手だったし、学業の両立させるにはウリの方が合っていた。
「ホントは商社が第一希望なんですよ。けど厳しいですからね」
「だろうな」
「ま、カズさんに愚痴ってもしょうがないか」
時生がコンビニの袋からサンドイッチを取り出した。
「ハルのこと、覚えてる?」
城戸が訊くと、
「ああ、カズさん、ハルの恋人だったって?」
紙パックの野菜ジュースを飲んで、時生が訊き返した。
「そうだね」
「ハル、ねえ、俺、あんまり話したことないし、ただ、ちょっと変わってたかな」
「変わってた、って?」
訊かれて、時生が考え込む顔になった。
「なんていうか、生きてない、みたいな。あ、ごめん、変なこと言って」
「いや、いいんだ」
「俺、正直いって、そんな驚かなかったんですよね、ハルが死んだって聞いて」
「それって...?」
「結局、この仕事って、ま、言ったら、カネじゃないですか。カネ稼いで、稼いだカネで何か楽しいことしたいとか、俺なんかだったら、返済のこと考えてカネ貯めたいとか、ね」
「うん」
「ハルはそういうのなさそうで、なんでこの仕事してんのかなって」
「辞められないんだ、って」
城戸が苦い口調で言った。
「恋人がいるのに...?」
時生も不思議そうだ。
「ハル、もういなくなっちゃったんだな」
ピックアップの通知が入って、ワゴン車を新大久保のホテル街に走らせる。
ハルもこうしてホテル街でクルマを待っていたのかと思うと、城戸の胸の奥にガラスの欠片が刺さったかのように新しい傷口が痛んだ。
元ホストの玲央が乗り込んでくる。
売り上げを受け取り、半分を渡す。
「ハルのこと話してたんだ。カズさん、恋人だったって」
時生が玲央に告げた。
「あ、そうなんだ」
玲央がエナジードリンクをひと口飲んで言った。
「彼氏さんって本当だったんだ」
「玲央、ハルのこと覚えてる?」
「そりゃ、覚えてるけどさ、俺、あんま絡みなかったしね、ハルって何かノリ悪かったじゃん?」
「玲央みたいなノリにはついてけないよ、俺も」
時生が苦笑した。
「ま、どうせ俺は売れないホストあがりだからな」
少しばかり容姿がいいからとホストにはなったものの、接客のレベルが低いためにヘルプ要員でしかなく、手っ取り早く稼げるからとウリの業界に入ってきたのが玲央だった。
「ハルねえ、ちょっとテンション低かったな。カズさんにはゴメンだけど」
「謝らなくていいよ」
「それに、やたらクスリ欲しがってたな」
「クスリ?」
城戸が訊きかけるのに、
「あ、ドラッグじゃなくって、睡眠薬とかそういうやつ」
玲央が慌ててつけたした。
「時生、薬剤師ついたことあるっしょ?」
「薬剤師、ああ、自称ね。薬剤師って呼ばれてるお客いるんですよ」
時生が城戸に説明した。
「ハルがよく指名されてて、その客にクスリもらってたみたい」
玲央が続けた。
この業界に足を踏み入れて、城戸がまず驚いたのがキャストの多くが国民健康保険に加入していないことだった。病気になっても全額自費治療になるからと病院に行きたがらない。ハルもそうしたひとりだった。今夜のキャストのうちで健康保険に入っているのは時生だけだ。
「眠れなかったからかな」
城戸が呟いた。マンションの寝室で一緒に寝ていたと思ったら、ベッドを抜け出してひとり暗いキッチンに座り込んでいたこともあった。
「暗かったけど、まさかホントに死ぬなんてさあ」
玲央は小さく溜息をつくと、スマホのゲームを始めた。




