第1話:目覚めれば、湯けむりの中
目が覚めると、俺は岩場にいた。
いや、正確には「岩場」そのものになっていた、と言うべきか。
(……なんだこれ?)
視界は三百六十度、周囲の景色を捉えている。鬱蒼とした森、ゴツゴツした岩肌、そして自分の体(?)から立ち上る白い湯気。
動こうとしてみる。だが、手足の感覚がない。そもそも手足がない。
声を出そうとしてみる。
「…………」
音が出ない。喉がないから当たり前だ。
その代わり、ポコッ、ポコッ、という気泡が弾ける音が、自分の内側から響いてくる。
(嘘だろ……俺、温泉になってる!?)
状況を整理しよう。
確かなにかの事故に巻き込まれて、意識が途絶えて……気づいたらこれだ。
転生。異世界転生というやつだろうか。
だとしても、普通は勇者とか、あるいはスライムとか、動き回れるものになるんじゃないのか?
なんで「場所」なんだよ!
(動けない。喋れない。これ、一生ここでただお湯を沸かし続けるだけなのか?)
絶望感が漂う。
俺の感情に呼応したのか、水面がボコボコと激しく波打ち、湯温が急上昇した。
周囲の草が熱気で少し萎れる。
(あ、やばい。落ち着け俺。温度下がれ)
深呼吸をするつもりで意識を鎮めると、湯温は徐々に適温へと戻っていった。
どうやら、ある程度のコントロールは効くらしい。
温度調節ができる温泉。……だからなんだというのだ。
その時、ガサガサと茂みが揺れる音がした。
誰か来たのか?
期待と不安が入り混じる中、姿を現したのは一人の少女だった。
長い耳。透き通るような金髪。
エルフだ。ファンタジーの定番、エルフの美少女だ。
だが、その姿はボロボロだった。
服は裂け、泥と血にまみれている。脇腹を押さえる手からは、赤い血が滲み出していた。
「はぁ……はぁ……ここまで来れば……」
少女はふらつく足取りで、俺(温泉)の縁までたどり着くと、力尽きたようにその場に崩れ落ちた。
おいおい、大丈夫か?
助けてやりたいが、俺には手も足もない。包帯を巻いてやることも、ポーションを渡すこともできない。
「水……」
少女は渇きを癒やすように、震える手で俺のお湯を掬い、口に運んだ。
「……温かい」
そのまま、彼女は服を着たまま、ゆっくりと俺の中へと身を沈めた。
傷口にお湯が染みるだろうに、彼女は安堵の表情を浮かべた。
(……生きろよ、姉ちゃん)
俺はせめてもの情けで、湯温を「ぬるめ」に設定し、成分を「傷治癒効果アップ」に意識してみた。
できるかどうかわからない。ただ、そう念じただけだ。
すると、不思議なことが起きた。
少女の傷口から淡い光が漏れ出し、見る見るうちに塞がっていく。
顔色も良くなり、荒い呼吸が穏やかな寝息へと変わっていった。
『入浴者が満足しました』
『満足度ポイントを獲得:10pt』
脳内(?)に無機質なアナウンスが響いた。
なんだこれ? ゲームのログか?
意識を向けると、視界の端に半透明のウィンドウが浮かび上がった。
【名前:なし(源泉)】
【種族:温泉】
【所持ポイント:10pt】
【獲得可能スキル一覧】
・温度調節Lv2(5pt)
・効能付与:美肌(10pt)
・効能付与:疲労回復(10pt)
・スキル付与:農業(10pt)
(スキル付与……農業?)
なんで農業? 温泉関係なくないか?
だが、今の俺にはこれしか選べないようだ。
この少女には助かってもらいたい。この森で生きていくには、何か力があったほうがいいだろう。
農業スキルがあれば、食いっぱぐれることはない……かもしれない。
(よし、これだ。えいっ)
俺はなけなしの10ポイントを消費し、「スキル付与:農業」を選択した。
対象は、気持ちよさそうに寝ているこのエルフの少女だ。
カッ!
俺の水面が黄金色に輝いた。
光は少女の体を包み込み、そして吸い込まれるように消えていった。
「ん……?」
眩しさに目を覚ました少女が、体を起こす。
彼女は自分の体を見下ろし、傷が消えていることに気づいて目を見開いた。
そして、体の奥底から湧き上がる「何か」を感じ取ったようだ。
「傷が……治ってる? それに、この力は……」
少女は震える手で、近くの地面に生えていた枯れかけの草に触れた。
すると、草は一瞬にして青々とした葉を茂らせ、小さな花を咲かせたのだ。
「土と……植物の声が聞こえる……?」
彼女は驚愕の表情で、俺(水面)を見つめた。
そして、バシャリと膝をつき、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、泉の神様……! この命、そして授かったこの力、大切に使います!」
(いや、神様じゃないし。ただの温泉だし)
俺のツッコミは、ポコッという気泡の音になって虚しく響くだけだった。
こうして、俺と彼女の奇妙な共同生活(?)が幕を開けたのだった。




