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ベルサーユのバカ

 これは、少しだけ違う世界のお話です。




 スフラン国の外れにある村に、アンドレという男がいました。

 アンドレは、とても大きな男です。背は二メートルを超えており、体重は二百キロ以上ありました。その大きいことと言ったら、村の家に入ろうとすると、ドアのところで必ず頭をぶつけてしまうほどです。

 また、ものすごい力持ちでした。アンドレが力を込めて押しただけで、大木の切り株が地面から抜けてしまったこともありました。


 ただし、アンドレは人より頭が悪く、読み書きも計算もできません。しかも、いつもニコニコ笑っていました。誰かに悪口を言われても、言い返さずに笑顔を向けるだけです。その上、人と争うことが大の苦手でした。悪いおじさんから殴られても、殴り返したりはしません。

 そのため、アンドレは村人たちからバカにされていました。


「あいつはバカだ」


「図体はデカいが、臆病者だぞ」


「あんな情けないやつは見たことがない」


 村人たちは、そう言ってアンドレをいじめていました。

 ただし、花売り娘のシモーヌだけは別でした。彼女は、金色の髪と白い肌の美しい少女です。村の若い男たちは、みんなシモーヌに夢中でした。

 シモーヌは村で花を仕入れて、バリの都に売りに行くのですが……彼女だけは、アンドレに優しく接していました。


「アンドレ、おはよう」


 会うたび、笑顔で挨拶をしてくれるシモーヌに、アンドレもぎこちない態度で挨拶を返していました。


「お、おはよう」


 いつも村人からいじめられているアンドレにとって、シモーヌとの何気ない会話は、密かな楽しみになっていました。

 彼女はいつも凛とした立ち居振る舞いで、他の村娘とはどこか違っていたのです。そこもまた、不思議な魅力でした。




 そんな中、とんでもないことが起きたのです。


 ある日、村にスフラン国の王妃であるアリー・マントワネットがやってきました。美しいデザインの馬車に乗り、鎧兜に身を固めた騎士たちを従えたアリー王妃は、村の中をゆっくり見回っていました。

 村長や村人たちは、いったい何事かと戦々恐々としています。


 やがて、馬車が止まりました。アリーは、何かを発見したのです。

 彼女の視線の先には、大きな木を担いで歩くアンドレがいました。アリーは、そっと侍女に声をかけます。


「あの大きな男を呼んできなさい」


 侍女は困惑しつつも、アンドレを連れてきました。

 突然のことに、アンドレは戸惑いながら王妃の前に立ちました。すると、護衛の騎士が怒鳴りつけます。


「貴様! 下民の分際でなんと無礼な!」


 そう、王や王妃や貴族と話をする時は、一般市民は全て跪いた姿勢を取らねばなりません。それをしないと、首を斬られても文句が言えない世界なのです。

 しかし、アリーはその騎士を制しました。


「お前は下がっていなさい。この者は、礼儀作法を何も知らぬのであろう。これから教えてやればよい」


 そう言うと、王妃はアンドレの顔を見つめます。


「お前を、本日よりベルサーユ宮殿の雑用係に任命します。真面目に働くのですよ」




 こうしてアンドレは、ベルサーユ宮殿で働くことになりました。

 しかし宮殿内は、とても複雑怪奇な世界でした。貴族たちは、民衆の生活や政治の問題解決よりも、見栄の張り合いや足の引っ張り合いに血道をあげていました。

 一般市民の血税は、貴族らのくだらない見栄のための贅沢に消えていたのです。


 この異様な宮殿の空気は、使用人らの間にも蔓延していました。彼らもまた、見栄を張り合い足を引っ張り合っています。

 そんな彼らにとって、アンドレは格好の獲物でした。読み書きも計算もできず、その上に殴られても殴り返さずニコニコしているアンドレは、使用人や侍女たちのイジメの標的となってしまいました。

 使用人たちは、何か嫌なことがあるとストレス解消とばかりにアンドレを殴ります。また、侍女たちは疑うことを知らないアンドレにデタラメを教えたり、文字が読めず戸惑う姿を見てクスクス笑っていました。


「見ろ、なんだあの姿は」


「あんなバカ者は見たことがない」


「ベルサーユのバカだね」


 やがてアンドレは名前すら呼ばれず、バカとだけ呼ばれるようになりました。当然、宮殿を出入りする貴族たちも、彼をバカと呼びます。

 いつしかアンドレは、ベルサーユのバカと呼ばれるようになりました。




 そんなアンドレですが、楽しいことや幸せを感じることもあります。

 シャルル・アズナブルという金髪の美しい貴族がいました。彼だけは、会うたびに必ず声をかけてくれました。


「アンドレ、今日もご苦労さん」


 そう言って、毎回そっとお菓子をくれるのです。村では食べたことのない美味しい味に、アンドレは感動すら覚えました。

 ただ、時おりシャルルは呟きます。


「本来なら、お前のような優しい人間が笑って暮らせる世界でなくてはならんのだ……」


 アンドレに意味はよくわかりませんが、そう呟くシャルルの目は、ひどく暗い光を帯びていました。


 また、外で雑用をしていると、シモーヌが声をかけてくれることもあります。


「アンドレ、頑張ってるわね」


 彼女に声をかけられると、アンドレは嬉しくなりました。


「あ、うん」


 そうとしか答えられませんが、アンドレにとって彼女と言葉を交わす時間はとても幸せなひとときだったのです。


 さらに、庭で作業をしている時は、ふたりの子供が声をかけてくることがありました。


「アンドレ、遊ぼ」


「遊ぼ」


 そのふたりは、マリーとルイという名で姉と弟なのです。貴族の子供のようですが、アンドレをバカと呼ぶ他の者たちと違い、ちゃんと名前で呼んでくれます。

 アンドレは、このふたりが大好きでした。片手で空高く持ち上げて走ったり、ふたりを肩車して町中を歩いたりしました。 


 他の者たちにはバカ扱いされ、ひどい目に遭わされてきましたが……それでも、アンドレは幸せでした。たった四人でも、彼には友だちと呼べる人がいたからです。




 しかし、時代とは残酷なものです。

 ベルサーユ宮殿に集う貴族たちの横暴な振る舞いや、血税を湯水の如く使う生活に、民衆の不満は高まっていきました。

 

 その不満を憎悪に変えたのが、貴族のシャルル・アズナブルでした。


「貴族は自分たちのことばかり考え、贅沢の限りを尽くしている。今こそ、意識の変革が必要なのだ!」


 シャルルは、地下室で同士たちを相手に演説しています。部屋には、ざっと二十人の男たちが集まっていました。いずれも、町では名のある人物です。彼らが一声かければ、十人や二十人は動くでしょう。


「今こそ貴族は己の罪を償い、意識を変えなくてはならない。いよいよ明日、我々は決起し革命を起こすのだ。そうなった時、王は初めて自分たちの犯した罪に気づく! 諸君、今こそ戦いの時だ!」


 かくして、翌日に革命が起きました。




 革命軍の勢いは、凄まじいものでした。平和に慣れきった兵士たちは、次々と倒されていきました。

 貴族たちの中からも、隣国に逃げ出す者や寝返る者が現れます。ついに、アリー王妃も投獄されてしまいました。民衆の前で、斬首刑に処されることとなるでしょう。

 しかし処刑の前夜、信頼できる侍女の手引きによりふたりの子供を逃します。王妃は言いました。


「この子たちを外国に逃して。お願いよ……」


 侍女は、そっと子供たちを連れ出しました。ところが町を進んでいる時、かつて宮殿に仕えていた使用人に見つかってしまいます。


「おい、このガキは王妃の子供、マリーとルイだ!」


 侍女は必死で子供を守ろうとしまいましたが、暴徒と化した民衆に、無残にも殺されてしまいました。マリーとルイもまた、みんなの前で処刑されることになってしまったのです。

 幼い姉弟は、死の恐怖に怯え震えることしかできません──


 その時でした。獣のごとき咆哮と共に現れた者がいます。

 それはアンドレでした。彼もまた、事前に王妃の侍女から助けを求められていたのです。

 アンドレは、荒れ狂う民衆の中に飛び込んでいき、武装した男たちを蹴散らし進んでいきます。

 そして、マリーとルイを救い出しました。

 すると、ひとりの男が叫びます。


「てめえだって、宮殿で貴族に散々いたぶられてきただろうが! 何で貴族の味方をするんだ!」


 すると、アンドレは怒りも露わに怒鳴り返しました。


「子供に罪はない!」


 その一言に、みんなは怯み下がりました。アンドレが本気で怒った姿など、誰も見たことがなかったからです。

 今のアンドレは、まるで鬼神のようでした──


 アンドレは、その場にあった荷車に子供たちを乗せます。

 普通の男なら四人がかりで持ち上げる荷車を、アンドレはひとりで頭上に高く持ち上げました。

 そのまま、歩き出したのです。


 最初は唖然となって見ていた暴徒たちですが、やがてひとりの男が石を投げつけました。石はアンドレの体に当たり、鈍い音が鳴ります。

 それを見た暴徒たちは、遠くから物を投げ始めたのです。最初は、石や木片でしたが……やがて、ナイフや槍などを投げ始めたのです。

 それらは、アンドレに次々と刺さっていきました。当然、体からは血が流れていきます。

 それでも、アンドレは歩みを止めません。凄まじい形相で荷車を持ち上げたまま、大通りを歩いていきます。

 

「こいつ、なんで歩けるんだ……」


 ひとりの男が、唖然とした顔で言いました。すると、別の男が怒鳴ります。


「こんなバカに邪魔されてたまるか! 絶対にぶっ殺してやる!」


 直後、男は近づいていき棒で殴りました。しかし、折れたのは棒の方です。アンドレは、表情ひとつ変えず進んでいきました。


「クソ、これならどうだ!」


 今度は、マサカリを持った男が現れました。アンドレの腹に、思い切り打ち込みます。

 マサカリは、アンドレの腹に深く刺さりました。普通の人なら、痛みのあまり悶絶しているでしょう。死んだとしても不思議ではありません。

 しかし、アンドレは歩みを止めません。なおも進んでいきます──


 アンドレにとって、彼らふたりは特別な存在でした。宮殿で「バカ」としか呼ばれていなかったアンドレにとって、自分の名前を呼んでくれる数少ない人……マリーとルイは、アンドレにとって友だちだったのです。

 ふたりとは、生まれも育ちも年齢も全く違います。それでも、心を通わせた本当の友でした。彼らと過ごした時間は、アンドレにとって何より幸せなひとときだったのです。

 その幸せをくれたふたりが、危機に瀕しているのです。今こそ、マリーとルイのために命をかけ恩返しをする……その一念が、アンドレの両足を支えていたのでした。


 それでも、暴徒たちは諦めません。手に手に武器を持ち、アンドレに襲いかかりました。しかし、アンドレの歩みは止まりません。刃物で切られ、棒で殴られ、石を投げられ……それでも、アンドレは突き進んでいきます。

 子供たちの乗った大きな荷車を持ち上げたまま進んでいく姿は、吟遊詩人の語る英雄譚よりも、遥かに勇猛かつ気高いものでした。


 やがて、バリの町外れに到着した時です。突然、白馬に乗った少女が現れました。少女はレイピアを振り回しながら、馬で暴徒の中に突進していきます。暴徒たちは、悲鳴をあげ逃げていきました。

 乱入してきた少女は、花売り娘のシモーヌでした。彼女は、実はアリーの密命を受けて動く私兵だったのです。

 シモーヌは、アンドレに呼びかけました。


「もう大丈夫です! 早く、マリーとルイを馬に乗せて!」


 アンドレは、その場で荷車を下ろしました。

 マリーとルイは、呆然とした表情で彼を見つめます。それも当然でしょう。アンドレは全身が血まみれで、槍やマサカリなどが刺さったまま歩いていたのです。

 そんな状態でありながら、アンドレは子供たちに微笑みました。


「もう大丈夫だよ。早く行きな」


 その時、シモーヌが動きます。急いでふたりを抱き上げ、馬に乗せました。

 直後、アンドレに言います。


「アンドレ、あなたのことは絶対に忘れない!」


 そう言うと、涙を堪え一気に走り去っていきました──




 アンドレは笑顔のまま、そこに立っています。暴徒たちも、その巨体の迫力に怯え、遠巻きに見ているだけです。

 そこに、シャルルが馬に乗って駆けつけました。


「もうやめろ! 我々の敵は腐敗した貴族だけだ! 貧しき者や女子供には手を出すな!」


 叫びながら、アンドレのそばに来ました。その瞬間、シャルルは愕然となりました。

 アンドレは、既に息をしていなかったのです。笑顔で立ったまま、死んでいました……。

 シャルルは衝撃のあまり、無言のまま彼を見つめていました。

 その時、血に濡れた上着のポケットから、何かがはみ出しているのに気づきました。そっと引き抜くと、それは粗末に畳まれた一枚の紙でした。

 広げてみると、絵が描かれていました。身体の大きな男が真ん中にいて、小さなふたりの子供と手を繋いでいるものです。

 その下には不慣れな文字で「ぼくのともだち アンドレへ」と書かれていました。


 シャルルは絵を見ているうちに、瞳から涙がこぼれ落ちてきました。その口から、言葉が漏れ出ます。


「バカよ……まさに、本物のバカ。だが、こんな綺麗なバカで生きられる者が、果たして何人いるだろうか」


 言った後、シャルルはアンドレに向かい片膝を着き、頭を垂れました。






 

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― 新着の感想 ―
 >「戦場で生き残るのは…『強者』と『臆病者』だ 『勇者』は死ぬと相場は決まってる…!!!」  ワンピースからの引用ですが、   まさにアンドレのような蛮勇は早く逝き、心根が腐りきった連中はうまく立ち…
ぐおおおーーーーん… なんて大馬鹿野郎なんだ… アンドレ…お前のことは忘れないから……
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