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新緑の森の賢者

 霧が立ち込める朝だった。

森を包む濃い緑は陽の光を遮る雲よりも深く、濡れた苔のような静けさで世界を支配している。

この”新緑の森”は、古くから魔力の吹き溜まりと知られ、魔物たちの棲み処であると同時に、最も精微な

魔力の揺らぎが観測できる希少な場所でもあった。


 だが、この森の奥深く、魔物さえも近づかぬ結界の内側に一人の少女が住んでいる。

白い実験用ローブの裾を結び、濃桃の髪を無造作に束ねたその姿は、まるで森の精霊のようでもあったが、

頭にはくるりと巻いた羊のような角が1対生えていた。その少女は精霊でもなく、人族でもない。れっきとした由緒正しき魔族である。


「・・・うむ、この魔力のふるまい・・・やはり”偏極”しておるのう・・・」


 低い木棚に並ぶ魔石を手に、少女はじっと魔力の波紋を観察していた。

その少女の名は、ミミル・ロープス。

魔族が収めるエルメロ国の第4王女にして、国内に数人しかいない公的に認定された称号”賢者”を授かっている。


 「ふむ、夜明けの潮と重ねると波長が乱れておる。

 つまり・・・この魔力の源は・・・”意思”を持っておるのではないかの・・・」


 独り言のように呟きながらミミルは鉛筆をなめ、走り書きのスケッチを手早く書き込んでいく。

顔を上げたその額には、うっすらと汗がにじんでいた。ミミルは魔力の波紋を観察しながら口元は緩み、

不気味な笑みを浮かべている。


「ふひひ、ついに・・・魔力の性質が見えてきたのう・・・うへへ」


ミミルが不気味な笑みを浮かべながら興奮気味に立ち上がった瞬間、背後の壁に立てかけてあった骨董棚

がぐらりと揺れ、


「っふぎゃああああああああ!?」

ーーーガシャアアアアン!


小さな木造の家に響く、書物と魔石と悲鳴の大合唱。

しばらくして棚から這い出してきたミミルは、魔石粉まみれの頭をかきながら苦笑いした。


「・・・何年たとうがわしには、片付けという魔術は使えぬのじゃ・・・」


とほほ、と呟いたその時だった。

外に張っている結界を静かに揺るがす音がきこえてきた。


「むっ?」


 ミミルは目を細めた。

結界には高度な反応式を組み込んであり、魔物であろうと魔法であろうと簡単には干渉できぬ設計だ。

だが、今の揺らぎは間違いなく人為的な接触。かすかではあるが懐かしい魔力の反応があった。


「まさか・・・!?」


家の扉を押し開き、霧の中に身を乗り出すと案の定、一人の影が立っている。

馬を引き連れ、軽装の鎧を身にまっとた青年ーーエルメロ国王宮直属の伝令隊、レイブンであった。


「よお、3年ぶりだなミミ、生きてたか?」


レイブンはミミルを見るや否や軽々しい言葉で、言い放った。ミミルはこう見えても一国の王女であるにも関わらずだ。

ミミルはその口調を気にも留めていない。レイブンの態度はいつものことのようだ。


「ふむ・・・レイブン、おぬし、わしの領域に立ち入るには不可視の結界と3つの不可侵の結界を

 突破せねばならんのじゃぞ。それを軽々と・・・!」


渾身の4つの結界が一瞬にして突破されたことにミミルは少し落胆していたが、突破した方法が気になり始めていた。


「結界は1つしか起動していなかったぞ。」


レイブンの満面の笑みから放たれた言葉にミミルは目を細めた。


ーまた、何か弾けたかーと考え込んだが、レイブンはそれには触れず深いため息をついた


「お前・・・そろそろ王都に顔を出さないと、王様が”探索隊を差し向ける”とか言い始めてるんだが」


ミミルはわざとらしく空を見上げて、明後日の方向を向いた


「う、うむ・・・その件については、じゃな・・・」

「研究が忙しく手ての。ついつい約束の”月一の帰還”をわすれておったわ・・・」

「まぁ・・・よいではないか・・・元気にしておったのじゃし・・・」


ミミルは王女でありながら森の中で研究できているのは、ミミルの父である王様と結んだ”月一帰還”の約束があるからである。決して約束を忘れていたのではなく、ミミルはただただ帰るのがメンドウだったのである。その後ろめたさがあるのかミミルから出てくる言葉にはたどたどしさが感じられた。


ミミルの言い訳を聞きながらレイブンは「はぁー・・・」とため息をつきミミルの顔を見る。


「”ついつい”で3年だ・・・お前が元気でも王国中が不安になってんだよ。」


レイブンの顔には、長年の知己としての苦笑いが浮かぶ。

それを受けたミミルもまた、少しだけ素直な声で言った。


「・・・すまぬ。わしは、研究に夢中になると時が見えぬのじゃ」


ミミルの反省した顔を見たレイブンは仕方ないなというような動作を取り、ミミルに歩み寄る。


「それで今回は帰還なさいますか王女様」


ミミルは一度「うむ・・・」と考え込み、その場でぐるぐると回りだした。

ひとしきり考えたのちにレイブンの前に立ち、指をレイブンに突き刺した。


「帰還じゃ!王宮の叱責を受ける覚悟も、王族としての務めも、わしにはあるのじゃからな!」


がははと笑い言い放ったその言葉と態度にレイブンは呆れたが、ミミルが王宮に帰還する事には素直に喜んだ。



「本当ですか!それなら私がきたかいがありましたね。それではいつ出発なさいますか。」

レイブンは、彼女の気まぐれが再び森の奥へと引き戻す前に、今すぐにでも出発したかった。しかし、

無理に背を押したところで、『やはり、もう少しここにいたい』と拗ねた顔をされても困りもの、

──今すぐでも、少し先でも構わない──そんな穏やかな気配を漂わせ、彼は彼女の決断を待った。



「うむ……今すぐ出発してもよいのじゃが、研究の整理をせねばならん。少しだけ待つのじゃ」

ミミルはそう言うや否や、パタパタと家の中へと駆け戻った。


 レイブンは肩をすくめながら、玄関先で小さくため息をついた。

「……まったく、相変わらずだな」

いつものように駄々をこねると思いきや、あっさりと帰還を受け入れたミミル。その意外な一言に、彼の表情から緊張が溶け、ほっとしたような安堵の気配が漂った。


 家の中からは、再び棚の崩れる音と、何かの壺が割れるような悲鳴が響く。

「おぬし、今の音は気のせいじゃ! 大丈夫なのじゃ!」

「……全然大丈夫じゃなさそうなんだが」


 やがてミミルは、荷物を無理やりひとまとめにした大きな鞄を抱え、全身ほこりまみれで出てきた。

その姿は、一国の王女という威厳や気品を脱ぎ捨て、ただの一人の探求者としての顔をさらけ出していた。

「ふう……よし、これで準備は整ったのじゃ!」


「それ……荷物多すぎないか? どれだけ研究資料を詰め込んでるんだ」

レイブンは半ば呆れ顔で鞄を覗き込むが、中には分厚いノートや魔石、奇怪な金属片などがぎっしり詰まっていた。

「研究は命じゃからな! この成果を持ち帰らねば、わしの三年は無駄になる!」


「三年も放置してた時点で、国王陛下はお前を雷で打ちそうだがな」

レイブンの冗談めいた言葉に、ミミルの顔が一瞬ひきつった。

「……父上、怒っておるのかの……?」

「そりゃあ怒ってるに決まってるだろ。母上なんて、『次に帰ってきたら首根っこ掴んで城の地下に閉じ込める』って息巻いてたからな」


 ミミルは目を白黒させ、角をぷるぷる震わせる。まさか王妃や王様が、そんなにも激しい怒りを抱いているとは思いもせず、ミミルは一瞬、森の静寂が割れるような緊張を覚え、胸の奥がひやりと冷えた。


「ひええ……それは、さすがに……のう、レイブンよ。おぬしが一緒なら、わしの命は保証されるかの?」

「……まあ、あの王妃様の前じゃ俺でも庇いきれるかどうか分からん」

レイブンは肩をすくめ、吐息ひとつ漏らした。

声は乾いていて、まるで冬の枯れ枝のように冷えきっていた。

瞳は空の向こうを見ているようで、相手に向けられているのかすら定かでない。


「ぬああああ! もう少し優しい言葉をかけぬのか!」


 そんな掛け合いをしながら、二人は新緑の森を抜けていく。

森の木々が高くそびえ、朝靄が残る道を、馬の足音とミミルの愚痴が彩った。



 森を出た瞬間、ミミルは大きく伸びをした。

「ふおおお、三年ぶりに森の外じゃ! ……太陽がまぶしいのう」

彼女の頬には心なしか緊張が走っていた。


 レイブンは横目でミミルを見やり、ふっと微笑む。

「なんだかんだで、お前も王宮が恋しかったんだろ?」

「ば、ばかを言うでない! わしは研究者じゃぞ、世俗のことなど──」


 そう言いかけたミミルの言葉は、ふと宙に溶けた。

胸の奥がひりついたのは、意外にも懐かしい面影のせいだった。

王宮の石畳に響く兄の笑い声。庭園の陽だまりで無邪気に語り合った姉の瞳。

そして、威厳に満ちつつも、どこか暖かい父母のまなざし。

ミミルは小さく目を伏せ、ほのかに笑んだ。

「……いや、少しは恋しかった、かもしれぬのう」

その声音は風のように静かで、彼自身さえ驚くほどに、優しかった。






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