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詩のオアシス

作者: 柳原 春

「旭さん、新作の詩は出来ましたか?」


都会の真ん中にある小洒落たカフェ、詩集出版の打ち合わせ終わり、担当の編集者の茜にそう問われた。


「すみません、まだちょっと続いていて…」


そう、僕はスランプの真っ只中、いくら若手の天才詩人といわれていても、スランプには勝てずにいた。


「悩みがあればいつでも相談してくださいね」


茜さんにそう言われるが相談できるわけがなかった。


茜さんのことが好きでそれに悩んでいて詩が書けないなんて、恥ずかしくて言えるわけがない。


「それでは今日はこれで、ありがとうございました」


茜さんは綺麗なお辞儀をし、会計へ向かう。


お辞儀をしたとき左手の薬指が光の反射で輝くのを僕は見逃さない。


そう、彼女には婚約者がいるのだ。


ただの恋ならば良かった。それなら詩人として、文化人として詩や手紙を送り彼女を振り向かすことができる。


しかし彼女には婚約者がいる。そんな人に恋文を出すのは同じく詩人として、文化人として僕の信条に反する。


でも平安時代の貴族なら…と考えていると、とっくに茜さんが会計を済ませて店をでていったのに気が付いた。


「あ、お会計…」


今日こそ男らしく自分が出そうと一昨日から脳内シミュレーションしていたのに結局出せなかった。やけにお札の多い財布を確認しため息が出る。


「さて」


席を立とうとした時だった。


「あの…」


少し小柄な女性が僕に話しかけてきた。


「ほんとに詩人の旭さんですか?」


彼女はそう尋ねてきた。僕は顔が割れるような仕事は一切していないので、先ほどの打ち合わせを聞いていたのだと察した。


「はい、詩人の月岡旭です」


簡単に自己紹介する。この出会いを詩的な言い回しができたならばよかったが、あいにくスランプ中だ。


「あ、えーと私は葉本咲です、詩集を読むのが趣味です。あ、えーと」


どうやら向こうはなにか言いづらそうにしている。

おそらく今持っている詩集にサインして欲しいとかだろう。ここは助け舟を出さなくては。


「サイン…」


「私と友人からでいいので付き合って下さい」


なるほど、そう来たか。


僕はこの生まれて25年間、告白された経験など一度もない。そして初めて女性に好意を抱いたのもつい最近で、今も初恋に踊らされている。


「急過ぎるのは分かっています。でも旭さんの詩を読んで、こんな繊細な表現するのはどんな人なのかって気になっていて、そしたら今日偶然旭さんに会えたんです。私はこの出会いに運命を感じるほど乙女ではないですが、この出会いに何も感じないほど現実主義者でもありません」


そう語る彼女は真っすぐ僕を見つめる。


「友人からでいいので付き合って下さい」


繰り返し彼女は言う。その顔に迷いはなく後悔もない。


それでも僕は答えを出し渋る。友人になるということはこの状況でいうと付き合うことを受け入れているのと同義だ。だが、


「分かりました。友人からお願いします」


そう僕は答えた。


理由は単純で付き合ってみたら茜さんのことも忘れられると思ったからだ。茜さんのことさえ忘れれば、僕の脳内のカラカラに乾き何も存在することのできない詩の砂漠から抜け出せると思ったのだ。


そのカフェで僕らは連絡先を交換し店を出て解散し、そのまま真っすぐ家に帰る。


家に帰り手を洗わず最近ずっとこもっていた仕事部屋のデスクに向かう。筆を持ち何か書こうとするが、脳内にはカラカラに乾いた詩の砂漠しかない。やはり駄目かと残念がっているとポケットに入れたスマホから着信音が鳴った。


葉本咲からだ。


そこには、今日のお礼の文書と可愛いスタンプが送られてきている。僕はその返事をすぐ終わらせると、再びカラカラの詩の砂漠を歩き出す。するとまた着信音が鳴った。


茜さんからだ。


そこには業務連絡が書いてあった。僕はその返事に何十分もかけ、了解しました、とだけ打つ。


あぁ、そうか。


僕は自覚してしまった。偽物や借りものじゃ本物は超えられないと。


なら、本物じゃなきゃダメだ。


その瞬間、砂漠に大きなオアシスを発見する。いや、正確に言えば今まで目を逸らしていたがようやく焦点をあてた。


詩人や文化人の信条などという理由で逸らしてきた目を、それ以上の本物を求める強い欲望が無理矢理に焦点をあわせさせたのだ。


もうどこかで吹っ切れた僕は、そのオアシスからありったけの水を汲み上げる。


目の前にある真っ白な紙がみるみる文字で埋まっていく。久しぶりの爽快感、言いたいことが言える満足感、何でもできるという全能感が駆け巡る。


僕は書き続けた。どれだけ水を汲み取ってもオアシスは枯れなかった。


そして、


「できた」


最高の一作が出来た。


何百作書いた中で一番の出来だ。


僕は急いで茜さんへ、新作が出来ました、と連絡する。夜通しで詩を書いていたためとっくに日は昇っていた。僕は一晩で詩集を書き上げた。


そしてこの中の詩の最高傑作を彼女に…彼女に?


僕は彼女にどうするのだろう。


そう、僕は書きたいという欲望が上回っただけで、詩人や文化人としての信条を捨てたわけではないのだ。


その日すぐ同じカフェで茜さんは僕に会ってくれた。


僕は、彼女に詩の書いた原稿を渡す。


「すごい、こんなに。一体何故隠していたのですか」


茜さんは呆れながら少し責めた口調で問う。


「昨日一晩で書きました」


「え?」


僕が冗談でも言っているのかと僕の顔をまじまじと見てきたが目の下にある濃い隈を見て真実だと悟ったようだ。


「何か昨日あったのですか?」


昨日のこと、昨日は色々あった。茜さんと打ち合わせをし、茜さんに会計をさせてしまい落ち込んだり、茜さんからの業務連絡の返答に何十分も時間をかけたり、でも彼女はこんなことを聞きたいんじゃない。


「昨日打ち合わせ聞かれちゃってたみたいで、その聞いていた子がたまたま僕のファンで僕に告白してきたんです」


僕はなるべく早口にならないよう気を付けながら答えた。


「なるほど、本当ですね。この詩、全部恋文みたいですね。この詩からは強い思いや情熱が伝わってきます。つまり、昨日会った子に強く惹かれてスランプが解けたということですね」


違う、そうじゃない。


僕は心から叫びたかった。


だができない。本物を書きたいという欲望と同じくらい中枢に詩人や文化人としての信条があり、叫んでしまえばおそらく今まで自分の中で積み上げてきた物が全て崩れてしまう。


僕は、欲望はあるが勇気のない臆病者だったのだ。


僕が一晩で書いた僕の詩しかない詩集はベストセラーとなった。


そして茜さんの姓も変わってしまった。


今の僕はもう若手の天才とは呼ばれず、恋人を思う深い愛の詩人と呼ばれるようになった。


咲もそのことに満足し、今日も僕に夕飯を作ってくれている。


だが、ぼくはずっと砂漠の中にいた。


何もかもが充実し、満たされているはずなのに僕はカラカラの砂漠にいた。


そんな砂漠にも、以前と変わらずそこにオアシスはあった。


そして僕は一生、そのオアシスから水を汲み続けた。


最後までお読み頂きありがとうございます。今作品は僕の初めての短編小説ですので、つたなく読みにくい部分があると思いますのでご指摘いただければ幸いです。少しでもこの小説に魅力を感じていただけたならばリアクションを下さると嬉しいです。 

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