レンゲツツジ
故郷を去る時、雪華は何も期待していなかった。
朱翠影と共に都を目指す旅は、きっと気まずいものになるだろう……そんなふうに思っていた。
なんせ、失ったものが大きすぎた。そして失うまでが急すぎた。突然愛する人たちと別れて新天地へ旅立つことは、雪華にとっては身を裂かれるような思いだった。
平静を装っていても心の中では落ち込んでいたし、道中一緒に過ごす予定の朱翠影とは出会ったばかり。
普通ならば、ふたりは雑談すらも弾むわけがない――育った環境が違いすぎる上に、天と地ほどの身分差があるのだから。
けれど不思議なことに。
彼との旅は、色あざやかなカワセミの羽根を眺めている時のような、新鮮な驚きを雪華にもたらした。
* * *
たとえば道中で温暖な盆地を通過した時のこと。
故郷では見たことがない、ほむらのような花が咲いていて目を奪われた。
「あの花は?」
尋ねると、朱翠影が答えてくれた。
「羊躑躅ですね」
香りを近くでかごうと身をかがめると、近くにいた農婦に声をかけられた。
「――羊躑躅には毒がありますよ。触れないほうがよろしいです」
雪華は鼻を弾かれた猫のようにびくりと身を震わせ、体を起こした。
「こんなに美しいのに……」
農婦がからりと笑う。
「美しいけれど一筋縄ではいかない、そこがまた良いのですよ」
そこがまた良い、か……世界には私が知らないことがたくさんある。
これまでは姐姐から口頭で教わったり、書物を読んだりして、色々と学んできたけれど、こうして自分の目で見て体験すると、世界が変わるような驚きがある。
雪華はしばらくのあいだ赤い花を眺めおろしたあとで、朱翠影のほうを振り返った。
「私は旅が好きかもしれません」
この言葉が彼の不意を突いたのか、涼やかな瞳に驚きの色が浮かんだ。一拍置き、朱翠影の瞳が物柔らかに細められる。
「それなら良かったです」
「なぜ良いのですか?」
新しいことに触れて心動かされるのは雪華の都合で、朱翠影には関係がない。
「私の隣にいるあなたが、好きなものを見つけてくださるのは嬉しい。この旅が終わり、あなたの新しい居場所に辿り着いた時、『私は都が好きかもしれません』と言ってもらえるといいのですが」
雪華は頭がぼんやりしてきて、ふたたび俯いて羊躑躅に視線を戻した。
……耳が赤くなっているかもしれない。
都までは長い旅になるが、朱翠影が一緒にいてくれて良かったと思った。




