4、最弱な人間は弱すぎるのでサワルナキケン
窓から射し込む光が柱の影を床に長く伸ばしていた。
ギルドの隅にうずくまる闇のように、たくましい体格で厳つい顔面の冒険者たちが壁に貼り付いている。黒いヤモリのようだ。
しかも。
「てめぇら、まとめて消毒だっ!!」
と洗浄魔法の得意な者に身体の汚れを浄化してもらったのでピカピカの黒ヤモリとなっていた。
「人間は病気にも弱いんだ。てめぇらはバイキンなんだよ。人間がいる場所では身綺麗にしろよ」
中央には、箱にジャストフィットした茉莉花。
肌触り最高のスパイダーシルクのクッションが茉莉花をふんわりと柔らかく包んでいた。
「……あの……」
箱の中でハムスターのようにモソモソと回転して、茉莉花がちょこんと顔を出す。可愛い。ジークは噴き出しそうになった鼻血を気合いで止めた。
「ん? どうした?」
「どうして私は箱入りに?」
「あ~、そうか。マリには常識とか知識とかがないもんな。マリが人間だからだよ。ほら、皆が壁にくっついているのはマリが弱いから、マリに触れないようにするためなんだ」
うんうん、と壁の黒ヤモリもとい冒険者たちが頷く。
「昔はけっこういたらしいんだけど、弱すぎてね。今では滅多にいない。人間は絶滅危惧種なんだ」
衝撃の事実に茉莉花がびっくりしてジークを凝視する。
「人間は、その、数が少ないのですか?」
「めちゃくちゃ少ない。俺も人間を見たのはマリで2人目だ。マリのいた所では人間が多くいたのか?」
「……はい。お父さんもお母さんもお兄ちゃんもお姉ちゃんも人間です。近所の人も。全員が人間です」
「凄いな。まだ人間の村が残っていたのか」
ギルドの職員が興奮する。
「人間の村ですって!」
だが、すぐさまジークが冷水を浴びせた。
「無駄だぞ。マリの出身は未知の他大陸だ。人間の村なんて探せないぞ」
「残念です……。種族的に人間は本当に絶滅寸前ですから」
「それよりよぉ、早く人間ちゃんの手当てをしろよ。出血多量になったらヤバいって」
壁の冒険者がジークに向かって真剣な口調で言った。
「いや。治癒魔法をかけたら、受けた魔力が過多となってしまって血を吐いた、って記録があるから逆に危ないぞ」
別の冒険者が抗議する。
「じゃあ、どうするんだよ。人間ちゃんは怪我しているんだぞ」
「あんなにも小さくて弱そうなんだから、怪我を放置したら危険だぞ」
深刻な表情で冒険者たちがやんやとジークに迫る。
茉莉花がジークの袖口をきゅっと掴んだ。
「かすり傷です。出血多量になんてなりませんから心配ないです」
番が! 俺の袖を!
ジークの双眸がデレレと甘く甘く蕩けた。
「かすり傷でも治療をしないと。人間は少しの傷でも致命傷となることがありますから」
ギルド職員が薬箱を持ってきた。
「これは赤ちゃん専用の薬です。刺激が少なくて安全な薬ですから人間にも使えますよ。こっちが消毒液、こっちが傷薬、こっちが化膿止めです」
「助かるよ」
ジークが薬箱を受け取る。
「俺、部屋を替えたいんだけど最上階は空室か?」
ジークが尋ねるとギルド職員がにこやかに答えた。
「はい。空いていますよ。それと、その箱は差しあげます」
「ありがたいが俺にはスリングがあるから、箱はマリがギルドに来た時の専用にしてくれ」
「スリング?」
「マリと出会った時にあまりにも弱かったから知り合いから貰ったんだよ。マリが人間だったのは予想外だったが。役に立ちそうだ」
ジークが鞄からピンク色のスリングを取り出す。
ピンク色!
冒険者たちもギルド職員たちもゴクリと唾を呑み込んだ。おそらくジークが人生で一度も身につけたことのない色だろう。そのピンク色を。番のために躊躇いもなく着用するジークに番への深い愛情を感じて、冒険者たちもギルド職員たちも改めて番は偉大だと盛大に萌えたのだった。
「それからギルドマスターはいるか? マリのことで相談したいんだけど」
「あいにく商業ギルドに出向いていて、戻り時間は未定なのです」
「明日は?」
「午前中に面会の予約を入れておきます」
ジークとギルド職員の会話を茉莉花が箱のクッションにもたれて聞く。
喉が乾いたので人差し指を口に入れた。指先から口内に地底湖の水が流れる。鑑定をすると調薬に最適、くわえて味も最高で微弱回復ありの飲料水と表示されたのだ。百戦錬磨のジークが少し濡れた茉莉花の口元を優しく拭いた。
「赤ちゃんだ。指しゃぶりをしている」
「人間ちゃんは可愛いな」
「ミルクの時間じゃないのか」
可愛い、可愛いと壁の冒険者たちが屈強な身体を捩って身悶えしている。もはや茉莉花は冒険者たちにとって赤ちゃんと同レベルであった。
茉莉花としては複雑な気分であったが、自分が弱いことは自覚している。
弱いというよりも人間以外が強すぎるのだ。他種族も、動物も、魔物も。
不本意であるが仕方ない。
致命傷以外は全部かすり傷と言う種族が多い世界なので色々とアッサリ諦めることにしたのだ。
「あっ!」
茉莉花がジークの袖を引く。
「箱から出てもいいですか?」
「窮屈なのかい?」
「快適です。でも、あそこに落とし物があるんです。拾いに行きたいです」
冒険者たちが壁一面に貼り付く前に右往左往してオタオタと混乱したので、床には雑然と細々したものが散らばっていた。
だから落とし物だらけともいえたが、茉莉花は散乱したものの中でも5センチほどの灰色の丸っこいものに興味をひかれたのだ。
茉莉花が指差す方向を見て、
「卵? 石? 何かな」
とジークが拾う。
「これ、誰のものだ?」
ジークが灰色の丸いものを掲げる。が、冒険者たちもギルド職員たちも首を横に振った。
「俺んのじゃない」
「俺も違う」
「え? 持ち主不明?」
「きちんと床は毎日掃除をしていますから昨日はそんなものなかったはずです」
「不思議ですね。まぁ、出入りが多いですから誰かが落としたのかも知れません」
「人間ちゃん、欲しいの?」
「落とし物は拾った者の権利となるよな」
「ジーク、人間ちゃんにあげちまえよ」
「文句が出たら俺たちが証人になるからさ」
「マリ、手を出して」
ジークが茉莉花の手のひらに灰色の丸いものを置く。
「いいんですか?」
「ルール的に拾得者が取得していいんだよ」
嬉しそうに茉莉花がニコッと微笑む。
可愛い。ジークも、冒険者たちも、ギルド職員たちも心を一致させた瞬間であった。
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