3、箱入りになりました
ゴクリ、と喉を鳴らしてダンジョンマスターは沈黙してジークの言葉を待った。どのような無茶な要求をされるのか、と。
「スリングが欲しい」
「はい?」
ダンジョンマスターがポカンと口を開けた。自分の耳が信じられない様子で言葉を繰り返す。
「スリング?」
「マリを入れる魔道具のスリングだ。俺が走っても戦っても振動を無効にして、魔法的にも物理的にも安全で、マリが快適に過ごせるスリングが欲しいんだ」
慎重に、ためらいがちにダンジョンマスターが確認する。
「スリングって、赤ちゃんをおくるみ抱きにするスリング?」
「そうだ、スリングだ」
再びダンジョンマスターはあんぐりを口を開けてしまった。文字通り開いた口が塞がらない。残念なことに美しい顔面がやや崩壊している。
茉莉花も渋い顔をしていた。
ジークは茉莉花を入れるスリングと言った。つまり自分は赤ちゃんのようにスリングに入れられて運ばれることになるのだ、と。
しかし、歩くにしても走るにしても足手まといの自覚があるので、茉莉花も強く拒絶できない。
三者三様が無言のまま、数秒停止する。
焦れたのはジークで、
「返事は?」
と鋭い声で促した。
あわてて我に返ったダンジョンマスターが真顔で念を押す。
「スリングでいいのね?」
「スリングがいいんだ」
ダンジョンマスターが片手を振ると、ピンク色のスリングが空中に浮かんで現れた。
「女の子だからピンク色にしたわ」
とダンジョンマスターは言ったが、本心はジークへの嫌がらせである。目立つピンク色のスリングをして赤っ恥をかけばいいとダンジョンマスターは思っていた。
「ちゃんと高性能のスリングよ」
「わかった」
受け取ったジークが嬉しげに頬をゆるめる。
「さぁ、ダンジョンから退出して。サービスで望みの場所へ転移させてあげるから」
「ヴァイリカスの冒険者ギルドで借りている俺の部屋がいいな。部屋は無人だから転移しても騒ぎにならない」
「ええ。ヴァイリカスね」
「マリ、手を繋ごう」
ジークが茉莉花に手を伸ばした。
「はい、ジーク」
「迷惑だから二度と来ないでね。せっかく三百年ぶりの下層到達者なのに、あなた嫌いよ」
ツン、と顎を上げてダンジョンマスターが手をひらひらと振った。
シュン、と空気を裂く音が響いてジークと茉莉花の姿がダンジョンから消える。
茉莉花が瞼を閉じて、開いた時にはもう見知らぬ部屋であった。
木の壁につけられた寝台と机がひとつ。
床には荒い毛織の敷物が敷かれていて色褪せていた。
「すまない。寝るだけの部屋なんだ。すぐにギルドに行こう、マリもいるから部屋を変更してもらおうか」
ギルドに隣接する冒険者用の宿泊施設から出ると太陽が眩しかった。
光の抜け殻のような残像に、思わず目をしょぼしょぼさせる茉莉花をジークが労った。可愛い、と表情筋を弛緩させている。
「ダンジョンは夕闇程度の明るさだったからね。大丈夫かい?」
「ちょっと眩しかっただけ。ありがとう、ジーク。平気よ」
「お腹はへっていない? 部屋の変更が終わったら食事に行こう。美味しい店があるんだ」
「私、お金が……」
「気にしないで。そうだ、女性用の服も買おう。靴も。マントも」
喋りながらジークが冒険者ギルドの扉を押した。
ギィ。
軋んだ扉の音に、ギルド内にいた一部の者が振り返った。
小柄な女の子と手を繋いだジークに目を真ん丸くする。
「うわっ! ジークがっ!」
「女の子を連れているっ!」
叫び声にギルド中の注目が集まった。
「俺の番だ。手を出すヤツは地獄に落とす」
ジークが手を離して、一歩進む。
背筋が凍るような声でジークが睨んだ。S級冒険者の睨みである。ギルド内部の温度が体感的に一気にさがったような気がして人々が青ざめた。
まだ正式な番ではないが牽制して釘を刺すジーク。
「睨むなよ。S級冒険者の番に手を出す命知らずはいないぜ」
「そうだよ。でも羨ましい。番だなんて」
「番を見つけられるのは奇跡に等しいもんな」
「祝おうぜ!」
「おお! 賛成だ!」
どっ、と沸き立つ。
ギルドを揺るがすような大声に、茉莉花がビクリとして僅かによろめいた。ギルドの床が古かったのも運がなかった。少しだけ窪みが床にあって、茉莉花はそこに足先を引っかけてしまったのだ。
ぺしょり、と茉莉花が転ぶ。
「マリッ!!」
顔色を変えたジークが茉莉花を助け起こすと。
茉莉花の膝が擦りむけて血が滲んでいた。
「血だっ!?」
ジークが狼狽える。
「「「「「血だ!?」」」」」
人々が叫ぶ。
「う、嘘だろ? 転んだだけで血が出るなんて!」
「信じられない!」
「ジークの番は赤ん坊よりも弱いんじゃないか?」
「赤ん坊よりも柔い種族なんていたか?」
「え? 待て、もしかして?」
「「「「「もしかして、人間?」」」」」
おそるおそるジークが尋ねた。
「マリ。マリの種族を教えてもらってもいいか?」
茉莉花が右に首を傾げる。ジークもギルド内の人々も人間の姿をしているのに、どうして質問するのかと疑問だった。
「……人間ですけど」
「「「「「ギャアアアアアァァッッッ!!!」」」」」
悲鳴が破裂して絶叫となった。
「人間だーーっ!!」
「しゅ、出血多量で倒れるんじゃないか!?」
「マズイぞ。呼吸はできているのか?」
「い、息はしてるみたいだぞ」
「ヤバい! ヤバい! ヤバい!」
血相を変えたギルド職員が、ギルドの奥から二人がかりで箱を持って机やら椅子やらを蹴散らして走ってくる。
「こ、こ、これは魔物が踏んでも壊れない箱です!」
「こ、こ、この箱に番様を入れてくださいっ!」
別の職員がクッションを箱に投げ込む。
「最上級のスパイダーシルクのクッションです!」
ジークがそっと茉莉花を抱き上げて箱に入れる。
「あ、あの……?」
左に首を傾げた茉莉花が戸惑ってジークを見上げた。
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