11、記録石
スパイダーシルク店の店員たちが指先まで緊張させて、
「壊れ物注意。壊れ物注意。壊れ物注意」
と呪文のように口の中でブツブツと繰り返して、これ以上はないほど慎重に茉莉花に対してガクブルで接していた頃。
冒険者ギルドでは大騒ぎとなっていた。
白い髪の冒険者が記録石を再生したところ、兄の所属する6人パーティーがボス部屋に挑戦する前に、万が一を考えての6人のメッセージが入っていたのだ。
6人のうち2人の家族はヴァイリカスにはいないが、白い髪の冒険者を含む残る4人の家族はヴァイリカスに在住していた。
すぐさま伝令が走った。
最初の家族がギルドに転げるように飛び込んできたのが、30分後だった。
「旦那様っ!」
「父上っ!」
冒険者の妻と息子であった。冒険者であったが由緒ある貴族の家柄で、爵位を継承するために最後のダンジョンへの挑戦だった。
それから次々と髪を乱して別の家族が駆け込んでくる。
到着した家族は順番に個室に案内されて、記録石の再生画像を見た。花の上で300年眠った蝶々が見る夢のような記録だった。
淡く蛍火色に光って記録石が輝く。
薄いカゲロウの羽根のような透き通った姿が現れた。
300年前の。
夫が「愛している」と微笑む画像が。
父親が「おまえは立派になった。父の誇りだ」と手を伸ばす画像が。
弟が「兄さん、俺さ、100階まで来たんだよ」と胸を張る画像が。
息子が「親父、剣を教えてくれてありがとう」と笑う画像が。
兄が「帰ったら、次はおまえとダンジョンに行きたい」と語りかける画像が。
それぞれが、300年の前の姿でそれぞれの家族に呼びかけた。
家族がその言葉に応える。
妻が「わ、わたくしも愛しています……今も、これからも」と泣きながら微笑み返す。
息子が「父上……! 父上……!」と自分も画面に向かって手を伸ばす。
兄が「……ああ! やったな、アウロラダンジョンの100階への挑戦はおまえの夢だったものな!」と顔をくしゃくしゃにして泣く。
父親が「バカもんが……! 待って……ずっと帰りを……待っておったのに……。バカもんが……親より早く逝くなんて……っ!」と画像に縋り付く。
弟が「俺! 俺! ごめん、俺が下層まで下りていたら、300年も暗いダンジョンで冷たい想いをさせずにすんだのに……! ごめん……」と啜り泣いて唇を噛む。
心と心が共鳴するみたいに。
糸が織りあわされるように300年前の声と現在の声が響きあい、響きと響きが重なった。
300年前から覚悟はしていた。
すでに墓もある。
それでも遺体はないのだから、と闇に灯る小さな明かりのような僅かな希望を手放すことができなかった。
その希望も消えてしまったが。
それでも。
夫と、父親と、弟と、息子と、兄と、思いがけない邂逅を果たすことができたのは奇跡に近い。
嗚咽する家族の姿に、冒険者たちも俯いてまぶたを押さえている。誰の胸にも刺すような哀しみが去ることがない。
かすかに息を吸い込み、重い空気をふりはらうみたいに白い髪の冒険者が、それぞれの家族に半透明な花びらの花を渡していく。
「画像にも映っていた花です。形見は何もないので、せめてこの花を」
「……ありがとう……」
「記録石を持ち帰ってきてくれた少女が、この花をくれたのです」
「……少女? 100階に?」
「未知の他大陸から無理矢理に強い力の魔術師によって、アウロラダンジョンの100階に転移をさせられたそうです。幸運にもそこで番と出会うことができて、無事にダンジョンから脱出できた、と」
「……何という運命の少女なのだ。かわいそうに。いや、番と出会えたことは幸運ではあるが……、それでも家族から引き離されて哀れなことだ」
行方不明の家族を待つ辛さは身に沁みて知っていた。夫を、父親を、弟を、息子を亡くした家族が茉莉花に同情する。
茉莉花に。
茉莉花を失った家族に。
10年経とうとも、100年経とうとも、300年経とうとも心の中の哀しみは消えない。触れれば痛むのだ。心の奥底で失くした者の夢を見るから。離すことができずに抱きしめているから。
「しかも、その少女は人間なのです」
「そんな……っ!」
夫を亡くし、慟哭していた夫人が立ちあがった。
「わたくしが後見になります……! 人間は寂しいと儚くなる、と聞いたことがあります。わたくしが守ってあげますわ」
「賛成です、母上。父上の恩義があります。当家で後見になりましょう!」
「いいや! 当家で保護しよう、弟の恩を返さねば!」
弟を亡くした兄が拳を握る。
息子を亡くした父親が涙をぬぐって顔をあげる。
「……番がいるのだろう? 番の邪魔をすることは許されぬ。だが、無理矢理に転移させられたのならば困ることも多かろう。小鳥の雛のように弱い人間であるのならば尚更に。当家が助け手となろう」
読んでいただき、ありがとうございました。