竜を殺すもの
「さて、ほんじゃ秘宝とやらをいただきますか」
土煙が晴れたのを確認して、地に伏したコドラに意気揚々と近づく勇者。
しかし、
「…待て…」
その声を聴いて、ぴたりと動きを止める。
あ、ありえない。そんなことあるわけがない。
勇者は祈るように、恐る恐る上を見上げる。すると、なんと死んだとばかり思っていた古龍がムクリと起き上がっているではないか。
「ギイィヤアアアアアァァァ!!!!」
思わず悲鳴を上げる勇者。コドラは息も絶え絶えに、しかし鋭い視線を勇者たちに向ける。
「…秘宝…なるほどの。お主ら…教会の手の者か。ならば貴様らに渡すわけにはいかぬ」
「し、死にかけのおまえになにができるってんだよ! 黙って渡しやがれっ!」
「このまま黙って立ち去るならば見逃してやろうかと思ったが…どうやらそんなに死にたいらしい…」
勇者の背筋に悪寒が走った。瀕死とは思えない古龍の圧力。そしてその怒りに満ちた目に睨まれ、勇者の股間から染みが広がる。だが、それでも勇者は退かず、槍を構えた。それが彼の運命を決定づける。
「秘宝を持って帰らねぇと…薬がもらえねぇんだよおぉぉぉぉ!!!」
一直線に突っ込む勇者。その顔は醜く歪み、もはや正気ではない。
そんな勇者を一転、悲しそうな目で見つめるコドラ。その周囲に赤、青、緑…と色とりどりの、光の球体が出現する。それはまるで夜空を飾る惑星のようにコドラの周囲を周り、みるみるうちにその数を増やしていく。それは純粋な魔力の塊…触れたもの全てを灰塵と化す極光。
「…いけ」
コドラの声を合図に、一斉に光球が勇者めがけて襲い掛かる。
光球に飲み込まれた勇者は叫び声をあげる暇もなく、跡形もなく消し飛んだ。そしてそのまま光球は踊るように夜空を飛び交い、木々、岩、地面、触れるものすべてを音もなく蒸発させていく。
踊るように美しく舞っていた光球が消え去った後には、更地と化した森の中、腰を抜かして身を寄せ合う勇者以外の三人の冒険者の姿。
もちろん、彼らの力で生き残ったのではない。コドラが、三人に直撃しないように光球をコントロールしたためである。
そのことが、ある程度の実力があるがために否が応でも分かってしまう三人。震える彼らにはもはや古龍への戦意など欠片も残っていなかった。
「お主らはどうする?あやつのあとを追いたいか?」
「「「いやあああああああぁっぁぁぁぁぁぁ」」」
コドラが少し脅すと、途端に3人は悲鳴を上げながら逃げ去っていった。
後にはただ戦いの後が残るばかり。
いや、ぺたんと尻もちをついたように座り込む影が一つ。勇者が連れていた熊の獣人だ。
そんな獣人にコドラが「スッ」と視線を向けると、獣人が跳ねるように肩を震わす。
そんな獣人に、コドラは優しく語りかけた。
「お主もここから立ち去るがよい。国に帰るでもなんでも好きにするがいい…お主はもう自由の身じゃ」
息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。そんなコドラの言葉に、ハッとしたような表情をした熊の獣人は、一拍。コドラに頭を深々と下げると、踵を返して走り去っていくのだった。
コドラの瞼が落ちていく。意識が朦朧としている。
世界最強の古龍と言えども、体内を爆破されては死を免れない。
(わしもここまでか…)
そのまま意識を闇のなかに手放そうとしたコドラ。しかし次の瞬間、
「コドラぁぁぁぁぁぁぁ―――――――!!!!!」
自分を呼ぶ声に、意識が覚醒する。毎日のように聞いてきたあの声。
8年前、この森に来てからほぼ毎日のように自分に会いに来てくれ、たくさん話をし、たくさん笑いあった少年の顔が脳裏によぎる。
「…ケン…ケンなのか?」
「コドラぁ、大丈夫!? 死なないよねぇ?」
薄っすらと目を開けると、いまにも泣き出しそうな顔で駆け寄ってくるケンの姿が見えた。傍まで来て、傷口を必死に抑えるケン。
「お願いコドラっ!死なないで!」
残念だがその願いは聞き届けられそうにない。もう意識を保っているのもやっとな状態だ。
しかし、闇に飲み込まれそうな意識を必死につなぎとめる。
自分には使命がある。その使命を最後までやり遂げなければならない。最後の気力を振り絞り、口を開くコドラ。
「…ケン…最後に…お主に伝えなければならないことがある…」
「やだよっ…最後なんて言わないでよコドラぁぁぁ!これからもいっぱい話したり遊んだりしたいよぉぉぉ…」
ついにこらえきれなくなり、ケンの目からポロポロと涙がこぼれだす。駄々っ子のように泣きじゃくるケン。そんなケンに、必死に声を絞り出して言い聞かせる。
「すまんがそれは叶えてやれそうにない…頼むから…落ち着いてこれからわしの言うことを聴いてはくれぬか」
イヤイヤと首を横に振るケン。動揺によって周りが見えなくなっている。そんなケンにコドラは怒鳴り声を上げる。
「わしの言うことを訊けっ!ケンッ!!!」
ビクリッと肩を震わせてコドラのほうを見上げるケン。コドラの声はこれまで聴いたことがないほど厳しかった。だが、すぐに優しい声になり語りだすコドラ。
「もう時間がない…たくさん伝えたいことがあるが…大事なことから順に話していく。まずこれを渡しておこう…」
そう言ってコドラが差し出したのは赤い鞘に納められた一振りの魔剣。柄には複数の魔法陣が描かれている。その魔剣をケンが受け取ると、コドラが話を続ける。
「本当は世界の真実を伝えてから渡すべきもの。しかしわしにはもうその時間は残されていない。だからケン…魔女のもとへ行け。そしてそれを魔女に渡すのじゃ。あやつならきっとなんとかしてくれよう…」
「わかったか?」と問いかけるコドラに、ケンはコクリと頷く。
「恐らく魔女は世界の真実をお主に伝えるじゃろう。じゃがわしがお主に望むのはわしの意志を継ぐことでも、正義を貫くことでもない」
その言葉に不思議そうな眼差しをケンが向ける。そしてそんなケンの様子に頬を緩めるコドラ。
「そうじゃな…いまはわしの言葉の意味が分からないじゃろう。だからケン。覚えておくのはこの言葉だけでいい。お主は自由に生きろ。自分のやりたいことを思うがままに。それだけが、わしがお主に望むことじゃ」
目を見開くケン。一拍、苦笑したように表情を緩める。
「なんだ…そんなことなら、これまでもずっとやってきたことだよ」
「ふふふ…そうじゃな…そうじゃったな…」
そう言って笑いあう一人と一匹。もっといろんな話をしたい。もっと一緒にいたい。二人の思いは一緒。しかしコドラは自身の最期が迫っていると感じ、話を先に進める。
「ここからは個人的な話になるんだが…ケン…お主にわしを殺してほしい」
「?…!? そんなことできないよ!!!」
突然のことに、一瞬何を言われたのか理解できなかったケン。しかし、一度それを理解すると即座に大きく首を横に振る。
そんなケンに対して、コドラはいたって平静に、落ち着いた声音で語りかける。
「まあ聞け。ドラゴンスレイヤーの話は知っとるな?」
「うん…でも、」
「あれは事実じゃ」
ケンの言葉を遮るように話を続ける。もうあまり時間がない。なんとか最後まで話さなければ…伝えなければ。
「古龍を殺し、古龍に認められたものに、わしらの力は受け継がれる…歴史上ただ一人しか存在しなかった存在。ドラゴンスレイヤー。これからのお主のことを考えると…こうするのが最善だと思うのじゃ」
首をぶんぶんと横に振るケン。
「わしはもうどのみちもう助からん…ならこの命の火、わしの力…お主に継いでほしい…生涯最後の頼みじゃ、聞き届けてはくれぬか?」
「でも…」
ケンの心が、コドラを殺したくないという思いと、コドラの最後の願いを聞き届けたいという思いの間で揺れ動いているのが、コドラには手に取るように分かる。
もう一押しだ。そう判断し、コドラは言葉を紡ぐ。
「お主に殺されるならわしは本望じゃ。お主のためではない…わしのためにやって欲しい。このままお主に何も残せず死んでしまっては…わしは死んでも死に切れん。もう一度訊こう。やってはくれぬか?」
「…」
「生物はいつ死ぬと思う?」
「?」
突然何を言い出すのかと、ケンが不思議そうな顔をする。
「心臓が止まった時が生物の死だと、多くの人は言うだろう。だが、わしはそうは思わん。ケンには実感できぬことじゃろうが、生物には魂があり、死してもその魂は消えぬ。魂は生き続けるのじゃ。なら、死とはいつ訪れるものなのか?わしは、他の者たちに忘れ去られたときじゃと考えている…わしの存在が誰からも忘れられ、わしの意思、思いがこの世界から消え去った時…その時こそが本当の死が訪れる瞬間じゃと、わしは思っておる。だから、お主がわしのことを覚えている限り、わしは死なん。だからケン…大丈夫じゃ…。お主の手でわしを、この苦しみから解放してくれ…!」
じっとケンを見つめるコドラ。コドラを見つめるケン。
そしてしばしの沈黙の後、
ケンの顔が何かを決意した顔になる。いままでの小さい少年ではない。一人の友として、男としての表情だ。
「うん、おれ…やるよ。」
悲しみ、恐怖、絶望…その他、様々な感情がごちゃ混ぜに入り混じった複雑な表情。されど、コドラの最後の頼みを絶対に聞き届ける、そんな覚悟が宿った表情。
そんなケンを見て、コドラはにこりと笑うと、安堵の表情を浮かべる。
「よく決心してくれた…酷なことを頼んですまんな」
そして、最後に忘れてはならないこと。自分の使命とは一切関係ないけれども、それでもなによりも一番大切に感じていることを伝えようと口を開く。
「あともう一つ…お主、明日が誕生日であろう?」
ハッとした表情でコドラを見上げるケン。一拍後、コクリと頷いて見せる。それを見てから再び口を開くコドラ。
「こんな時になってしまったが…誕生日おめでとう。そして…これがわしからの誕生日プレゼントじゃ」
そう言ってコドラは、鱗と鱗の間から一本の刀を取り出した。
「この剣はわしの牙から打ったものじゃ。まえにお主が剣の練習をしていると言っとったからの…」
差し出された刀をケンが受け取る。黒い鞘に納められた、立派な刀だ。ケンの身体には少しばかり大きいが、きっとケンの成長を見越して打たれたものなのだろう。
そしてそれをギュッと、二度と手放したりしないというように抱きしめると、
「ありがとう…いままでで最高の誕生日プレゼントだよ…」
ポロポロと涙を零しながら、されどはっきりした声でお礼を言う。そんなケンに、嬉しそうににこりとほほ笑むコドラ。
「それはよかった」
二人の視線が絡み合う。一瞬にも、永遠にも感じる時間。まるで最後の時を噛みしめるように、二人は見つめ合う。しかしそんな温かい時間はいつまでも続かなかい。
「そろそろ限界じゃ…ケン、やってくれ」
コドラが苦しそう息をしながら告げる。それと同時に思考を巡らせるコドラ。自分の選択が果たして本当に正しい道なのか、もっと他の選択肢があったのではないか…と。しかしすぐにその考えを切り捨てる。もう考えても仕方のないことなのだから。そして、もう一度ケンへと目を向ける。
自分がいなくなった後、ケンがどれだけ苦しい思いをするかを思い、胸が苦しくなる。だがこればかりは譲れない。
ケンがスラリと刀を抜く。黒い鞘に納められ、柄には意匠を凝らした金色の龍の刺繍。そして刀身はコドラの龍鱗と同じ、光を吸い込んでしまいそうなほど深い、けれど優しさと強さをたたえた黒色だ。
その刀を中段に構えて、コドラの胸の前に立つケン。
「コドラ…また会えるよね?」
刀を持ったケンの手がブルブルと震える。
「お主は優しい子じゃ。大丈夫、この命尽きようとも、お主のことを見守り続けよう。目には見えんかもしれんが、いつでもお主のそばにいると約束する」
そのコドラの言葉に、一つ大きくうなずくケン。
「ありがとう、コドラ…いままで…楽しかったよ」
「ああ、わしもじゃ。お主のことを…愛しておる」
いつかの夜ははぐらかされた言葉。その言葉をコドラははっきりと口にする。その言葉を受けたケンは俯き、グッと唇を噛みしめる。その頬を一筋の光る涙が伝った。そしてケンは顔を上げると、
「さようなら…コドラ…」
そう言ってコドラの心臓に深々と刀を突き立てた。
(すまない…ケン…お主の心に深い傷を残してしまう…)
コドラの目が閉じる。
(だが…………ケンなら……必ず乗り越え…られるとわしは…信じ…て…お………る…)
そうして今度こそコドラの意識は闇にのまれ、二度とその目が開くことはなかった。
~~~~~~~~~~~~~~~~
コドラを殺した…この手で…コドラを…
自身の手を見下ろすケン。その手が小さく震えだし、その震えは次第に大きくなっていく。
手に残るコドラを刺した時の感触。ぐにゃりと歪んでいく視界。世界がガラガラと音を立てて壊れていくような錯覚に陥る。
ケンはよろめき、頭を抱えて蹲る。
「そうだこれは夢だ…夢に違いない。そうだ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ……………」
だが前を向けばそこにはコドラの穏やかな死に顔。
「いやだいやだいやだいやだいやだいやだ……………」
もうなにも考えたくない、感じたくない。ケンの目がじわじわと赤く染まっていく。その様はまるで、水に垂らした絵の具がじわじわと広がっていくよう。そして、ケンの心は完全に壊れた。
「「「「「ああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――」」」」」
闇夜に、ケンの悲痛な絶叫が響き渡るのだった。
ご高覧いただきありがとうございます。
今回でケンパートは一区切りです。次回からは星羅パート始まります(星羅ってだれ?って方は勇者召喚をお読みください)。
テンポを意識した結果、書きたかったこと全部は書ききれませんでしたが…どうだったでしょうか?よければ感想など頂けると幸いです。
ある程度の書きためができたので、明日からは毎日17時15分ごろに投稿していこうと思います。あと最後に、ブックマーク登録、☆評価も頂けると嬉しいです。ではまた次の話でお会いしましょう。