ケンという少年
正確なことを言うとケンは獣人ではない。獣人と人間のハーフ、半獣人だ。ただ、ケンは父親の顔を知らない。獣人である父親は旅人で、ケンが物心つく前には旅に発ってしまったからだ。そのため、母親は女手一つでケンを育てていた。ただでさえこの世界の嫌われ者である獣人と結婚し、ハーフの子供まで生んだとあって、世間の風当たりは厳しかった。まともな職は与えられず、その日暮らしを強いられる日々。
ケンは、母を置いていった顔も知らない父を何度も呪った。だが母は一度たりとも父にも、その苦しい生活にも文句を言ったりはしなかった。それどころかいつでも笑顔で働き、父のことを楽しそうに語るのだ。
「あなたの父親はとても優しい人だったのよ」
「正義感が強くて、だけど少し抜けたところも多かった」
「あなたの緑色の目はあの人にそっくりね」
何度、そんな言葉を母の口から聞いたか。ケンは、苦しい生活にもかかわらず誕生日にはケーキを用意してくれ、毎日ご飯を作ってくれる優しい母のことが大好きであったが、父のことについてだけは母と相容れなかった。
毎日、朝早くから朝食を作って仕事に行き、夕方帰ってきて晩御飯を作ってからも夜遅くまで内職を続ける日々。そんな生活を続けられるはずもなく、ケンが5歳のとき母は病に倒れた。ケンは母のために奔走した。大きな町に医者を呼びに行った。しかし町に入ることすらできず追い返さる。ならばと、遠くの森や山に薬草を取りに行った。魔物に追い回され、木の枝に引っかかれて傷だらけになりながら少しばかりの薬草を持ち帰る。そんなケンの必死の看病も虚しく、母はそのまま帰らぬ人になってしまったのだった。
その後、母の親戚のおばさんの家に引き取られ、これまた子供には厳しすぎる生活を送ることになる。母との生活は苦しくてもケンにとっては幸せだったが、この家の中にはなにも救いがなかった。毎日のように働かされ、暴言を吐かれる日々。暴力を振るわれることもしばしば。当初は、村にもケンに普通に接してくれる人はいなかった。針の筵とはこのことである。
そんな日々の中、それは突然のことだった。村が魔物に襲われたのだ。そして古龍…コドラと出会うことになる。
ケンがコドラに会いに行ったのは、お礼を言うためだけでなく、もしかしたらそんな苦しい生活に救いを求めたからなのかもしれない…最近ケンはそう思うようになっていた。そして一緒に過ごすうちに、まるで本当の親のようにコドラを慕うようになっていった。一緒に笑い、たくさんのことを教えてもらった。コドラと接するうちにケンの心の隙間は埋まっていき、ケンはだんだんと明るく活発になっていった。その結果、村にも友達と呼べる存在もでき、ベルおばさんたちとも出会えた。
あの日コドラと出会えた偶然が、いまの自分を自分たらしめているとケンは確信していた。そう、偶然だと思っていたのだ。だからコドラが以前語ったことはケンにとって衝撃的だった。
コドラとケンの父、センは親友だったという。
昔、コドラは大陸から遠く離れた、名もなき島に住んでいたらしい。
そして40年前、その島に一隻の船が漂着した。その船には、人だけでなく獣人や魚人、妖精といった多種多様な種族が乗っていた。そして彼らのリーダーがセンだったという。久しく見る動植物と魔物以外の生き物。退屈だったコドラは、弱った彼らを助けることにした。水と食料を与え、回復魔法をかける。最初こそコドラに怯えていた彼らだったが、助けてもらったこともあり、すぐに打ち解けた。
彼らは「平等の旅団」というらしい。すべての種族が平等な関係の下、手を取り合って暮らせるようになることを理想とする団体で、世界中を旅してまわっているという。この世界で一番蔑まれている獣人をリーダーにするあたり、彼らがそれを熱望していることがうかがえる。
そして1年ほどその島で過ごすうちに、センとコドラはすっかり意気投合し、大親友とも呼べる仲になったという。センたちは島を出てからも、5、6年おきに島を訪れるようになった。そして最後の訪問の際、センが人間の女性と結婚し、子どもができたことを知る。コドラはセンを祝福するとともに、心配もしていた。これは憂慮すべき事態だったのだ。教会の教えで獣人を蔑んでいるということは、それは神の意志なのである。ただでさえセンは「平等の旅団」という、教会の…神の人間至上主義思想に反する団体のリーダーなのだ。間違いなく神は、獣人と人間のハーフであるセンの子供を放ってはおかないだろう。センも同じことを考えていたのだと思われる。島を発つ際にコドラにこう言い残したからだ。
「もしおれになにかあったら、妻と子供を頼んだぞ」
ずいぶんと勝手な言い草だが、コドラは黙ってうなずいたのだった。
しかし当初コドラは、しばらくは大丈夫だろうと思っていた。それはセンがいたからだ。センは強い。島に住み着く魔物たちがまったく相手にならないくらいに。そして優しく気高く、仲間たちからの信頼も厚かった。だから子供に危険が及べばセンがどうにかするだろうと考えていたのだ。しかしセンはその後、とある海難事故で帰らぬ人になってしまった。仲間には魚人がいたにもかかわらず生存者は0。あきらかに不自然な事故。神が関わっていることは容易に想像できた。深い悲しみに暮れながらも、コドラはすぐにセンの子供の元へと向かった。そして、あの日の出来事に出会ったのであった。おそらく魔物の一斉襲撃は、神が引き起こしたもの。だからコドラは森に住むことを決心する。神、ゼブリスクが簡単にはケンに手出しができないようにするために。これはある意味、コドラにとっては罪滅ぼしだったのかもしれない。神に目を付けられると分かっていながらセンたちをみすみす死なせてしまった後悔。それを、ケンを守ることによって晴らしていたのではないか。
だから最初はケンを突き放していたのだ。自分にはケンと接する資格などないと。だが、最終的にケンの根気に負けて一諸に過ごすうちに、そのコドラの心の傷は塞がっていった。ケンとコドラは、一緒に過ごすことで互いに救われていたのだ。
何年も語らいあったいまでは、センの頼みや神のことに関係なく、互いに出会えて、友達になれてよかったとケンもコドラも言いきれる。それほど互いに信頼しあい、時を共に過ごしてきたのだ。
だから、コドラを自らの手で殺してしまったケンの心が壊れてしまったのは何も不思議がないだろう
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薄暗い森の中を駆け抜けるケン。無差別に目に入るものを切りつけ…たりはせず、森を出ようとする魔物。そして強い魔物と当たって死なないよう、森に入ってくる人間たちにのみ刃を向ける。コドラが強い魔物を抑えていたからこそ、この森は比較的平和だったのだ。
だからコドラがいない今、放置すればたくさんの人が死ぬことになってもおかしくはない。それだけは避けたい……。
ただしそれはあくまで無意識の領域の思いである。ケンの意識は全く別のことに向いていた。
殺したくなかった…
もっと自分が強ければ助けることができたんじゃないか…
なぜ自分がこんな目に合わねばならないのか…
自分が憎い…
勇者が憎い
世界が憎い…
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い殺す憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い殺す憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い殺す憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い殺す憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い…
悲しみ、憎しみ、後悔…ありとあらゆる負の感情が心の中を渦巻き、それに意識が飲み込まれそうになる。
その一方で、そんな自分を冷静に眺めている自分もいる。憎しみは憎しみしか生まない。起きてしまったことはもう取り返しがつかない。ならば前を向くしかない。
頭ではわかっていても、感情がそれを否定する。
理性と感情のぶつかり合い。もうずっと、延々と繰り返される攻めぎ合い。
だが、ずっと続いていたその戦いは、あっさりと決着を迎える。
「………ユウシャ…」
その言葉がケンの耳に入ったことによって。
それにより理性は一瞬で吹き飛び、轟々と炎が上がるように心の中は憎しみ一色に染まる。
ユウシャ…おまえがいなければコドラは死ぬことはなかった……
自分がこんな思いをせずに済んだ……
おまえを殺せるならばおれは鬼にでも悪魔にでもなってやるっ!!!!!!!
獣人を虐待して高笑いする勇者。勇者の蔑んだ目。
それらが頭の中をちらつき、目の前の勇者が別人であることにはまったく気が付かない。やみくもに剣を振るい、あるいは魔法を放つ。
コドラが死んだ今、もはや失うものは何もない。なにも恐れることはない。ただ目の前の仇を討つ。そのあとはどうなったって構わない。
最初は、死をいとわないような攻撃的な戦い方によりケンが優勢だった。
だが突然、勇者の動きがより正確になる。
なにが起きたのか全く分からない。だが自分がだんだんと追い詰められていくことだけは感覚的に理解できた。
相手の剣を捌こうと、避けようと、魔法を放とうと、何をしようとも相手のほうが一歩先を行く。自分の動きが完全に読まれている。焦りが心に浮かび上がってくる。
そしてそれとともに、後悔、悲しみといった他の感情も湧き上がってきて、さらに自分の剣を鈍らせる。
だが、決して剣を振ることは止めない。負けるわけにはいかない。コドラのために…
(きっと…とてもつらいことがあったのね?わたしには想像もできないような…)
だれかが自分に語りかけているような気がする。もしかしたら幻かもしれない。だが、ケンは無意識のうちに“それ”に救いを求め、答えてしまう。
ああ、とてもつらかった。あのとき、コドラの心臓に剣を突き立てた感触がいまも手に残っている。気を抜けば涙がとどめなく溢れそうだ。この感情は他の人には決して分からないだろう。
(あなたは…本当は優しい人…)
優しい…?いや、そんなことはない。いまだってコドラのためとか言い訳しながら、理不尽なこの世界を呪い続けている。自分の復讐のために勇者を殺そうとしている。
(本当は…あなたはこんなことしたくない…そうでしょう?)
当然だ。できることならおれだって誰かを傷つけることなく、傷つけられることなく暮らしていたい。だけどもう後戻りはできない。コドラがいないんじゃこれまでの日常に戻ることはできない。
(あなたは大きなものを、たくさんのものを失ったのかもしれない。だけど、その手の中に残っている物も絶対あるはずよ)
優しい顔をしたコドラの顔が浮かび上がる。
そう、失った。とても大きな存在を。
だが次いで、ベルおばさんやマーガレット姉、ジョンさんたちの顔が脳裏に浮かぶ。
まだ…残ってる?まだ…間に合う?
なぜ忘れていたのだろう。大切な人たちのことを。これまで過ごしてきた日々を。つらいこと、悲しいことはたくさんあった。だがそれと同じくらい楽しかったこと、幸せだったこともあった。それが自分にはまだあるのだ。このままでは失ってしまうかもしれない。だが、それらまで失いたくはない。
(それを忘れないで、大切にしてほしい。そして、失った物の代わりだなんて言ったりはしない…だけど、それと同じくらい大きな、大事なものがこれから必ずできるから、過去ばかりに囚われないで、前もちゃんと見てほしいな)
ああ、二度と忘れたりしない。それに、確かにコドラの代わりなんていない。母のように、唯一無二の存在だ。だが、コドラが言っていたようにこの世界はとても広く、俺の人生は果てしなく長い。これからいろんな人に出会っていくだろう。そしていつか、その人たちのためなら自分の命を懸けられるような、そんな人たちと出会える…そんな気がしてくる。
きっとこの世界もまだまだ捨てたもんじゃないのだろう。
負の感情に囚われていた意識が浮かび上がっていく。
見えてきた光に手を伸ばした。
そして…
「その未来への一歩目として、わたしと友達になりましょう」
視界が開けると、目の前には絶世の…美女と美少女のあいだにいるような…とにかく綺麗な女の人がいた。突然の事態に頭が追い付かない。
え?もしかしておれ、この人を殺そうとしてたの?…全然別人じゃん…
キョトンとしながら、そんな阿呆なことを考えていると、その女の人が腕を広げながら自分に近づいてくる
いまだにびっくり仰天して混乱したままだったが、慌てて飛びずさり、全速力で逃げ出す。なぜ逃げ出したか…自分でもよくわからないが、あえて言うならばつが悪かったからだろう。
「……………なんでぇ~~~!???」
後ろからそんな困惑した声が響いてきたが、瞬く間に小さくなり、そして聞こえなくなるのだった。
読んでいただきありがとうございます。
次回からケンが旅立ちます。
ずいぶんと話数がかかってしまった…
もしかしたら今度プロット見直して手直しするかもです




