二つ名の段
「粗野な男かと思っていたが、なかなかいい趣味をしている」
そう言ってラドリアスは先程から嬉しそうにお茶を飲んでいる。
「好きに使っていい」と言われはしたが、ギルはラドリアスほど奔放になることはできなかった。
だが確かにラドリアスの言う通り、あの荒々しい風貌や言動に似合わず部屋の中は綺麗に片付いているし、暫くの間行商を生業としていたギルの目から見ても揃えられているものは一級品ばかりだった。
今、3人がいるこの場所は拳王の館である。
それは豪邸と呼んでも差し支えのないほど大きな館だった。
その館は拳闘場から少し離れた場所にあるのだが、先程から歓声が聞こえてやまない。
今夜拳闘場では大きな催し物が開催されており、その熱気は余裕でこの館まで届いているのだ。
「もう始まっているのでしょうか」
珍しい、硝子が嵌め込まれた窓の傍に立ち、外を見ながらギルも一口お茶を口に運んだ。
暖炉には既にラドリアスによって火が点されているが、身体の中からくる温かさはとても心地よかった。
「まだ、のはずだ」
とラドリアスが続ける。
「拳王と魔物との戦いの前に、何組か人どうしで戦うと聞いている」
そうして盛り上がりが最高潮に達した時、満を持して拳王が現れ、初めて観客の目の前で魔物との戦いを繰り広げるのだそうだ。
久しぶりの催し物ということもあり、盛り上がらないはずはないだろう。
「ここまで歓声が聞こえてくるなんて、すごいね」
ロザーナは大きな食卓の端に座り、どこからか持ってきたお菓子を食べ始めている。
(意外と大胆なんだな)
ギルはそんなロザーナのことを微笑ましく思いながら、しかし視線は窓の外から外さない。
今この場所にいるのはただ留守番を任されているわけではない。
拳王が催し物に出場する、その明らかな留守を狙ってやって来るかもしれない泥棒を警戒しての仕事の只中なのだ。
「そう気を張り続ける必要はない」
だがラドリアスはギルと対象的に随分と楽観的なようだ。
「館に明かりが灯り、中に武装した人影が見えれば、賊共も無理に押し入ることはないだろう」
自分達がここにいることで、この仕事はもう終わっているのだとラドリアスはまたお茶を飲んだ。
「うむ、これは良い茶葉だ」
と、これまであまり見たことのない笑顔を浮かべて、ラドリアスはまた台所へと向かっていってしまった。
「あれから、体は何ともない?」
ギルはロザーナの向かいに腰掛けた。
昨日、突然倒れて見た夢の話を聞いてから、見たところロザーナに変わったところはない。
事実ロザーナからも「何もないよ」という返事が返ってきた。
「なら、いいんだ」
分かってはいる。大丈夫なのだと。そして聞いたところでどうしようもないのだと。しかし、やはり聞かずにはいられないのだ。
「何かあったら、すぐに言ってほしい」
1人で抱え込んでほしくない。例え僅かでもロザーナの力になりたい。
そんなことをギルが言った直後、拳闘場の方から今夜一番の大歓声が響いてきた。
まるで自分の言ったことに対して上がった歓声のような心持ちになり、ギルは少し眉をしかめて頭を掻き、ロザーナはお菓子を頬張りながら微笑んだ。
「様子が、おかしいな」
いつの間にか台所から戻ってきていたラドリアスが不意に呟く。
一瞬自分のことかと思ったギルだったが、ラドリアスが窓の外を見ていることに気が付き急いで窓の近くまで走った。
何か、おかしいだろうか。
だが外の様子は先程までと何も変わっていないように思える。
直後。
「静かすぎる」
と言うラドリアスの言葉に、ようやくギルは合点がいった。
確かに、今までずっと聞こえてきた歓声が鳴り止み、まるで今夜、何も起きていないかのように静まり返っているのだ。
だがしかし、ギルがそう思った、次の瞬間だった。
歓声とは違う、大きな声が聞こえてきた。
それはこれまでとは違う、恐怖からくる叫び声だった。
「何かが起きたようだ」
ラドリアスの言葉に、ロザーナが思い浮かべたのは魔物が観客を襲う絵だった。
舞台と客席の間に遮るものは何もなく、武器を持った討伐隊員が立つということだったが、もしもその間を縫って観客へと襲いかかる事ができる魔物がいたとしたら、拳闘場の中はあっという間に混乱に包まれてしまうだろう。
「様子を見てこよう」
そう言うと、ラドリアスはさっさと館から出ていってしまった。
そんなラドリアスをギルとロザーナが慌てて追いかけたが「君達はその場で待機だ」とだけ言い残して、ラドリアスは夜の闇の中へと消えていってしまった。
「どうしよっか」
とロザーナが呟く。
「状況が分かるまで、ここで待つしかないよ」
そう言ってギルは斧槍を地面に置くと、館の玄関脇に腰を下ろした。
拳闘場の方からは今も尚、叫び声が聞こえてきている。
混乱はまだ収まっていないようだ。
だが状況が分からない今、慌てて動いたところで事態が好転するとは思えない。
拳闘場には討伐隊員が配備されているし、ラドリアスが様子を見に向かった。
なら自分がすべきことは、元々の予定通りこの場所を警備することに他ならない。
ギルはそう判断して今はただその場でじっと待つことにしたのであった。
そうしてどれだけの時間が過ぎたのだろうか。
ラドリアスはまだ戻ってこない。
拳闘場から聞こえてきていた声は、今はもう何も聞こえてはこない。
「解決したのか」
ギルがそう独り言ちるのと同時に、館の正面に2つの影が現れた。
1つは細身で背が高く、もう1つは小柄である。
その影はまっすぐとこちらに近づいてきており、ギルとロザーナもそれに対して違和感もなくそれを見ていた。
しかし、その2つの影の正体が、館の明かりによって浮かび上がった時、2人は慌てて構えを取ることになる。
人形の影だったその正体は、1つはリザードマンであり、もう1つはゴブリンであった。
そのリザードマンは剣を持っており、その刃は血に濡れていた。
そしてゴブリンの方はというと、凹んだ鉄の兜を被ろうとしているのだが、大きさが合わない為に何度も何度も持ち上げ直しているような状態だった。
昨日、拳闘場で見かけた、とロザーナはその2体の魔物の正体に気が付いた。
ただ真直に立つリザードマンと、匂いを嗅ぎ続けていたあのゴブリンだ。
「あの様子は、特異個体かもしれない」
そんなギルの言葉に対し、ロザーナはそれが間違いないことだと、何故か確信が芽生えたのであった。




