第2話
一夜明けてもギルの心は晴れなかった。
どのみち別れがくるものだと頭では分かっていたのだが、心はそう簡単には割り切れない。
将来旅に出る時にはそれまでに気持ちを整理しておけばいい、そう思っていても実感として薄かったギルにとって、突然の別れというものをうまく整理できるはずもなかったのだ。
昨夜父親にロザーナたちがいつ街を発つのか訪ねたところ、数日後だろうと曖昧な返事だった。
一家揃って街から街へと移動するとなると、いろいろと大変なことくらいはギルにも分かる。
何か手伝いができないかと父親に提案してみたが、邪魔になるだけだ、と一蹴されてしまった為にギルはロザーナに会いに行くことすらできなかった。
手伝いなどというのはただの口実で、本当はただ会いたいだけだった。話がしたいだけだった。
そんな父親と母親は商談があるからと朝早くから出掛けて数日の間は帰ってこない。
この広い館には使用人しかおらず、今の気持ちをぶつけられる相手がいない。そんな状況がなおさらギルの心を陰鬱とさせていた。
「少し出てきます」
昼食を終えて皿を台所へ片付けに行った際に、そこで遅めの昼食を取っている数人の使用人へと声をかけた。
すると使用人たちはギルに短い返事だけを返した。
その表情は一様に笑顔ではあるのだが、そこには雇用主の息子相手という拭いきれない距離感を薄っすらと漂わせていた。
両親が不在にしがちな館の外や中を管理するもの、食事の用意をするもの、勉学や剣術を教えてくれるもの。それらは決してギルにとって親しい存在にはなりえないのだ。
一度自分の部屋へと戻り木剣を掴むと馬小屋へと向かう。
いつものように管理人に頼んで自分用の馬を用意してもらうと、ギルを乗せた馬は軽やかに駆け出したのだった。
館の裏手に広がる平原を思いっきり駆けていく。
陰鬱とした気持ちが少しでも晴れるようにとギルは馬をとばした。
どこまでも走っていけるように思えた。それだけギルの一族が所有する敷地は広大であった。
平原はいずれ林となり山へと続く。
それら全てがギル一族の所有地なのだが、危ないから、と山に近づくことは禁止されている。
そのためギルはいつも林の入り口までしかいかなかった。
そして今日はそこで適当な木をめがけて木剣を振るうのだ。
そうすることで胸のもやもやは汗と一緒に体から流れ出ていくような気がした。
そういえば、とギルは昔を思い出す。あれが何年前だったのかは覚えていない。
今回のように両親が他の街で商談がある際に、まだ一緒についていっていた頃。
暇を持てあましたギルが木の棒を持って戦いの真似事をして遊んでいたとき、どこからかフードを被った一人の女が現れた。
女はしばらくギルを見ていたのだがそのうち手招きをしてギルを呼んだ。
そして話してくれたのがイシュト大陸で起きた物語だった。
その話はとても長かった。数日にも及ぶ冒険譚はギルの冒険心に火を付けるのに十分だった。
(あれは本当にヴェラ本人だったのかな)
一頻り木剣を振るって満足したギルは、のんびりと草を食んでいる馬を遠目に見ながら当時へと思いを馳せた。
『あんたが大人になった時にさ、もしもカティナを見つけたらあの子の手を繋いであげてほしいんだ』
そう言った女に、ギルはカティナを見つけて友達になると約束した。
あんな話ができるのは、あれが物語に登場したヴェラ本人だからだとあの時は思った。
心は踊り未来が楽しみで仕方なかった。
しかし、両親にこの話をしてもまるで信じてもらえなかった。
家に戻って祖父にも聞いた。しかし祖父が知っていたのは以前聞かされた話同様、所謂作られた結末の方だけだった。
カティナのことなど誰も知らなかった。
ヴェラの話をしても本人なはずがないと取り合ってくれなかった。
このドゥムジの地であの大陸の話はあまりするべきではないと叱られさえした。
ギルは面白くなかった。せっかく見つけた宝物をゴミだと言われた気分だった。
「ずいぶんと大きくなったじゃないか」
と、不意に声をかけられてギルは驚いた。
こんな場所には自分以外いないと思っていたし、嫌な思い出が頭いっぱいに広がっていた時だったからだ。
「そろそろもう一度会っといたほうがいいと思ったからさ」
そんなギルの心を見透かすかのように林の奥から現れた赤い髪の女。
「ヴェラ!?」
ギルはその声の正体が分かっても尚、更に驚くだけだった。
遠い記憶の中の存在があの頃と少しも変わらない姿で目の前に現れたのだ。
そしてそれはやはり、この人物が物語の中のヴェラ本人なのだと決定づけることにもなるからだった。




