第4話
新手のゴブリンは不思議そうな顔をしながら両手に持った短剣を眺めていた。
完全に不意をつき、肩から腰にかけて斬り裂いたはずの短剣にはその感触もなければ血で汚れてもいないからだ。
そんなゴブリンに向かって青年は一気に距離を詰めて斧槍を振るう。
一瞬気が抜けてしまっていたとはいえ音も気配もなく近づいてきたこのゴブリンは他とは違うはずだ、と青年は考えた。
(レッドキャップか?)
こちらの攻撃を素早く避けながら二本の短剣を巧みに操り、上へ下へと斬りつけ、突きを繰り出してくるこのゴブリンに対して、青年は疑問を浮かべた。
今回の襲撃の首謀者はこいつなのではないだろうか、もしかしたら特異個体なのかもしれない、と。
魔物の中には同じ種族の中でも他の個体に比べて力や頭脳に秀でたものが現れることがあった。
それらは特異個体と呼ばれており、他とは違う名前で区別されている。
ゴブリンについて言えば、特異個体はレッドキャップと呼ばれていた。
それは昔、ゴブリンのとある特異個体が自分の被っている金属の三角帽を返り血で真っ赤に染めていたことに由来しており、そのレッドキャップを倒す際には何人もの人死があったと伝えられている。
(だが、どうやらそうではないようだ)
幾度かの攻防の後、青年はこのゴブリンが特異個体ではないと判断した。
不意打ちの衝撃の名残はすでになく、盾で受ける攻撃にも脅威を感じない。
竜を素材として作られた、と聞かされている、この防具であっても、金属の鎧を着た兵士を蹴り飛ばしたと言われているレッドキャップ相手であればもう少し苦労していることだろう。
ゴブリンが左手で突き出してきた短剣を盾で受け止め、直後に腕を捻りながら横へと払った。
盾の表面の素材に切っ先を絡め取られた短剣は宙を舞う。
直後、ゴブリンは右手に持っていた短剣を青年の胸に向かって投げつけたのだが、短剣は青年の胸部を守る帷子に弾かれてそのまま地面へと突き刺さった。
そして盾を前に構えたままの青年の体当たりによって、ゴブリンは鈍い音を立てながら押し倒されたのであった。
青年は斧槍を逆手に持ち替え、先端の槍をゴブリンに向ける。
このまま振り下ろせば容易く脳天を貫くことができる、と腕に力を入れた瞬間「タスケテェ」と声が聞こえた。
「モウ、ユルシテェ」「タスケテクダサイ」「モウ、ヤメテクダサイ」
それらは紛れもなく目の前のゴブリンから発せられている言葉だった。
「ユルシテクダサイ」「タスケテェ」「モウ、ヤメテェ」
ゴブリンが命乞いをしている。
その事実に青年は少なからず衝撃を受けて体を起こしてしまった。
自由になったゴブリンは襲い掛かってくることも逃げ出すこともせずその場で命乞いを続けている。
「ゴメンナサイゴメンナサイ」「モウ、ヤメテクダサイ」「モウ、ユルシテクダサイ」と。
言葉を話す魔物がいるという話は聞いたことがない。
あの人からもそんな話は聞いたことがなかった。
魔物は所詮魔物だと、見つけたら迷わず殺すべきだと教えられた。
しかし目の前にいるこのゴブリンは人間の言葉を話している。
だからといって何かを期待するわけではないのだが、そのまま殺すことはほんの少しだけ躊躇われた。
ゴブリンは青年を上目遣いで見上げながら薄ら笑いを浮かべて話し続けている。
「モウ、ヤメテクダサイ」
「モウ、ユルシテクダサイ」
そして
「モウ、コロシテクダサイ」と。
瞬間、青年はこの言葉で全てを理解した。
「何の真似、だ」
怒りを顕にする青年に対し、ゴブリンは勘違いをしたのか反応のあった言葉を何度も繰り返し始めた。
「モウ、コロシテクダサイ」
「モウ、コロシテクダサイ」
「モウ、コロシテクダサイ」
「モウ、コロシテクダサイ」
ゴブリンは、命乞いをしていたのではなかった。
これまでゴブリンに命乞いをしてきた人間達の真似をしていただけなのだ。
これまで殺した人間達が発していた言葉を、ゴブリンは自らの命の危機に利用していただけなのだ。
「もう殺してください」と懇願するほどのことを、このゴブリンは行ってきたのだと青年は悟ってしまった。
頭の中で何かが切れる音がした。
青年は声にならない怒号を発し、斧槍を大きく振りかぶった。
しかし、大きく振りかぶりすぎてしまった。
危険を察知したゴブリンはその隙を見逃すことをせず、斧槍が振り下ろされる直前に脱兎の如く逃げ出した。
グッと青年は歯噛みをする。
油断の隙をつかれて背後から襲われた上に仕留めることもできなかった。怒りに任せて最後の最後で失敗してしまった。
青年は悪態をつきながら必死にゴブリンを追いかけた。
広場を出て村の奥へと続く道を駆け抜ける。
家の裏手に逃げるゴブリンを見失わないように必死で追いかけ、建物の角を曲がった直後、青年は何者かと強烈にぶつかってしまった。
また魔物か、と警戒する青年の耳に飛び込んできたのは人間の声。
「あいたたた」
と襲われた直後の村に似つかわしくない、のんびりとした声だった。




