第3話
それらははじめ悪魔と総称されていた。
様々な外見や特徴をもつ異形の生き物たち、共通するのは己以外の全てに害悪をもたらすということ。そのためいつの頃からか悪魔と呼ばれるようになったのだ。
しかし時間の流れとともにいつしか悪魔は魔物と呼ばれるようになっていった。
神聖国を名乗るこのドゥムジの大地が大昔にまだ帝国を名乗っていた頃、その頃から徐々に呼び名が変化していったのだが、当時を知るものは既におらず、一般的にその由来を知るものはいない。
今では当たり前のように魔物と呼び、更には種類ごとの名称を呼ぶに至っている。
その中でゴブリンと呼ばれるこの種族は魔物の中では力が弱い。
しかし非力というわけではなく、小さな体に似つかわしくない膂力と多少の知恵を持ち合わせている為に油断はできない。
さらにゴブリン達は主に不意打ちや集団での暴力を好み、個々の能力以上に危険な存在と言えるのである。
まだ青年が子供だった時分に教えられた魔物達の知識。それを思い出しながら慎重に足を進める。
盾を構えて斧槍を振りかぶりながら少しずつ前に進む。
ゴブリンがこの場所で立ち止まったことには必ず意味があるはずだ、と青年はゴブリンを視界の中央に捉えながらその後方や左右に意識を向けた。
火事の明かりで周辺は明るい。どこかに潜んでいたとしても直前まで気付かないということはないだろう。
炎によって木材が弾ける音だけが響く中、ゴブリンはなおもニヤニヤと汚い歯を見せながら立ち尽くしている。
青年が一歩、また一歩と近づいても逃げもしなければ襲ってもこない。
それを訝しみながらも青年は徐々に距離を詰めていくのだが、気がつけばゴブリンは自分の間合いの中であった。
斧槍を振り下ろせば一刀両断できる距離で見るゴブリンは、ようやく何かがおかしいと感じ始めたのか、口は引きつり、目だけで周りをキョロキョロと見渡している。
ブンッと斧槍が振り下ろされた。
それは一瞬のうちにゴブリンを肩口から斜め下へと斬り裂いた。
「なんだったんだ」
何をするわけでもなく、ただ斬り殺されるだけであったゴブリンの死体を見下ろしながら、青年は拍子抜けすると同時に強い苛立ちを覚えていた。
理解の及ばない生き物。生きるためではなく、物がほしいわけでもない。ただ殺すためだけに人間を襲うゴブリン。
昔聞いた冒険譚はもっと心が踊ったはずだった。それに憧れて旅に出たはずだった。しかし現実は理想と乖離していた。
こんなことをしても充実感など得られない。
誰かの犠牲を考えると魔物を倒しても素直に喜ぶことができない。
青年は旅を初めて数年のうちに少しずつ心が摩耗してきているような気分になっていた。
夜空を仰ぎ、深いため息をつく。
その後また視線を足元に戻すとゴブリンの死体に変化が始まっていた。
それは徐々に始まり一気に終わる。溶け出したゴブリンの死体は時間とともに泥水よりも黒い液体となってその場に痕跡だけを残すのだった。魔物は皆、こういった死に方をする。
その液体と同じ、真っ黒な気分に辟易としながら青年がもう一度辺りを確認しようとした直後、両肩に衝撃を感じた。
それは背中から腰へと真っ直ぐに降りていく。
一瞬のことであった。
「やはりまだいたのか」
足元で液体になっているゴブリンが待っていたのは恐らくこれだったのだろう。
自分の身を囮にして、青年を後ろから攻撃するのを待っていたのだ。しかし宛が外れたゴブリンは何もできないまま死ぬこととなった。
「仲間とも思われていないんだろうさ」
死んだゴブリンを哀れだと思うつもりはない。
青年は軽く笑いながら後ろを振り返り、改めて次の敵と対峙したのであった。