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「お父様、出して!ここから出して! あの人に会いに行きたいの!」
泣くように叫ぶ姉の声。
長い間聞いていたら、慣れて来るものなんだろうか?
古い屋敷だ。
ドアを叩き付ける振動が伝わってくる。
姉の嗚咽さえも、まるですぐ側で聞いているかのように―――。
「……睦月、そこにいるんでしょう? お願い、私をここから出して。もう二度とこの家に戻らないから。あの人と遠くに逃げるの」
姉はヒクヒクと泣きしゃっくりを上げて洩らす。
彼と逃げるって?
そんなことが本気で出来ると思っているなんて、馬鹿馬鹿しい。
もし逃げられても、すぐに連れ戻されるのが関の山。
いかにもお嬢様的な手前勝手な発想だ。
「ねぇ、睦月。あなたなら分かるでしょう?
あなたも好きな人がいたのよね?私には分かってたの、お父様もそのことに気付いて、優秀でそして美しいあなたをあんな身分の低い女と一緒にさせたくはないと……」
自分は勢いよく身体を起こして、部屋を出た。
これ以上、その続きを聞きたくはない。
そのまま一階の応接室に向かおうとした時、
「お願い睦月、同じ思いを私にもさせるの?」
姉は悲痛な声を上げた。
思わず足を止める。
お前がつらい思いをしたなら、自分にはそんな思いをさせるな等と、本当に手前勝手なお嬢様思考だ。
だが、そんな至極我儘で純粋で真っ直ぐな思考が羨ましく思えた。
姉のような気持ちでいられたなら、あの時、自分は……。
そう思うと切なく胸が詰まる。
あれから何もかも諦めて生きてきた。
自分は姉のように足掻くことすらもできなかった。
ギュッと拳を握りしめて、一階に向かう。
くすんだ朱色の絨毯を踏みしめるように歩き、大きな階段を降りる。
木彫りの手すりに手をかけて、足早に書斎に向かった。
そこに屋敷のマスターキーがあるからだ。
父は自分が姉を逃がすなんて微塵も思っておらず、鍵を隠すような真似はしていなかった。
今思えば自分は一時の感情に惑わされ冷静な判断が出来なくなっていたに違いない。
どうして、あんなことをしたのか。
そう、姉を逃がすような真似をしたのか―――。
それでも心のどこかで思っていた。
一度逃げて、連れ戻されたら、その時ようやく心底彼女も諦めがつくのではないかと。
しかし姉を逃がしたことで父の激昂だけではなく、自分にとんでもない火の粉が降りかかって来るとは思いもしなかった。