17話 それはこっちの台詞だ
スムーズに進んできたところで、やはりと言うべきか、昨日の今日で隣へ続く扉が大きな音を立てて開かれる。
分かっていたこととはいえ溜息が一つ漏れた。
こういう時、大体のりにのってる時にやって来るから困ったもの。
「また性懲りもなくここで何をしている?!」
「仕事です」
「仕事だ? お前に務まるものか!」
よく言えたものだ。
この十年、こんなにきちんと帳簿をつけて分類保管し、一時は利益をさげた時もあったけど、それでも今現在黒字収支にもってきている彼女の腕をなんだと思っているのか。
「お父様、お言葉ですが」
「口答えするのか!」
酔っ払い面倒。
けどここで引くわけにはいかない。
オリアーナはしっかりやってる事を否定するわけにいかないから。
「お言葉ですが、この十年帳簿を記入しなかった日はありません。もちろん二人の助力あってこそですが、何もしていなかったわけではありませんし、オリアーナに務まるものだと考えています」
なんとかオリアーナらしく言えた方か。うっかりオリアーナの名前出してしまったけど。私の口答えに一瞬たじろぐも、すぐに酔っ払いは声を張り上げた。
口答えするような奴は碌な人間じゃないと言ってくる。ブーメランでお返しする言葉だ、酔っ払いめ。
ちらりと見ればオリアーナは前と同じで委縮してお座りしているだけ。十年も耐えてきた彼女を誰か褒めてあげてよ。
「お父様、貴方今まで何かしてきました?」
「なんだと?!」
「オリアーナの努力を見てきました?」
「努力だと?」
「オリアーナは貴方に何か求めました?」
「煩い!」
「オリアーナは十年事業を続けていますし、放棄していません。今も黒字です。そちらはご存知でしょうか」
説明しましょうかと提案すれば、煩いと大声を出してくる。正論言っても逆上されるだけなのはわかっているし、医者ならよりよいアプローチを知ってるだろう。
きっかけがほしい。
この父親がオリアーナを見るきっかけを。
「何をお求めですか」
「な、なんだと!?」
「オリアーナに何を求めてます? 事業を維持し、家の者達に給金を与えることも領地を維持することもできてますが」
「ええい、何を偉そうに」
「さらにプラスをお求めですか?」
「煩い!」
「よければご意見承りたいのですが」
「ええい、煩い!!」
瞬間、空いてる手が私に振り下ろされた。
お嬢様と叫ぶ声が聞こえたが、それも遠く、一瞬目の前で火花が弾ける。
「…っ!」
「口答えするなと言っている!」
下顎をやられた。
これは結構きつい。下顎やられてキャラ死ぬ漫画あったけど、あれ真実だわ。目が回るし、それでふらつくし、焦点が合わない。
なんとか目の前の酔っ払いに視線を戻しこらえる。もう一度手を挙げたところで、私の隣でわんと一つ鳴く声が聞こえた。
「なんだ!? 犬の分際で歯向かうのか!」
もう一度鳴く。
助けてくれようとしている。
あんなに委縮して動けず声も出せずにいたオリアーナがだ。自分に意識を向けさせて、私を二度殴ろうというのを防いでくれた。
「ふざけるな! 黙っていろ!」
足を振り上げてオリアーナを蹴ろうとする姿を見て、もう我慢が出来なくなった。
無理、この現場を黙ってみてるだけとか。
「こっちの台詞だ、ふざけるな!」
無理に決まってる!
右手を振り上げ、下顎に当たらないように平手打ちした。
「っ!」
「だ、旦那様!」
見事に平手打ちが入った勢いで父親は資料の入る棚に身を埋めた。多少棚が破壊され、見事に埋まってしまったところを見る限り認めざるを得ない。
私の力が桁違いだ。たぶんこの世界の重力が違う。でも今はそれどころじゃない。
「どこの世界に子供に八つ当たりする親がいるわけ?!」
「ぐっ……」
崩れ落ちて背を壁にもたれかけながら、ぼんやりした顔でこちらを見上げる酔っ払い。
「オリアーナがどんな想いで頑張ってきたか考えてみなさいよ!」
「お、お嬢様」
「ぶたれる身にもなってみなさい!」
「チアキ、貴方も手を出してますが、」
「オリアーナはどう思ってるの?!」
「!」
私がきくと彼女は明らかな戸惑いを見せた。
もしかしたら殴られるのはこれが初めてではないのではと思う。前にもこの部屋で一人になることにひどく狼狽を見せていた執事とメイド長に、明らかに委縮してしまうオリアーナの様子からすればそれは容易に想像がつく。
「私は、」
途切れ途切れに言葉を詰まらせて、それでも彼女は何かを言おうとしている。
なんなんだ、だと狼狽する父親は無視だ。オリアーナの声だけを求めた。
「今の今まで! どう感じてるの!? 聴かせてよ!」
「わ、私は、」
「うん」
頷く。
深く頷いて、彼女の気持ちを待つ。
だいぶ荒療治だ、暴力によるトラウマを抱えた相手に原因を目の前にして急に気持ちを引きだそうなんて、医者に怒られても仕方ないことをしている。
けど今しかない。
感情の起伏が平坦でクールなオリアーナにきくには今しかないと思った。
「か、」
「……」
逡巡し、迷っている。
ずっと隠してきただろう気持ちだ、仕方ない。
「さ、さっき、から、何を」
「貴方は黙ってて下さい!」
「!」
酔っ払いが何か言うのをお断りする。
オリアーナは父親の声が入っていなかったようだ。
自身への問い掛けに応えようともがいている。
「私は、」
「……うん」
「か、」
「……」
そうして、小さく震える声で囁いた。
「かなしい、です」
やっと。
やっと聴けた。




