16話 対 酔っ払い2ndステージ
「父親?」
「チアキが驚くのも無理はありません。ですが、母が亡くなってからというもの、父は一向に良くなる気配がなく、常にあのように大きな声をあげてしまうのです」
「あ、え、うん……オリアーナ」
「はい」
この場合、大丈夫? は禁句に近いかな。
現状を淡々と話せてるだけいい方だけど、あんな様子の父親を目の当たりにし続けて平気なわけもないだろう。
「前からあんな感じで?」
「はい。もう十年は」
姉が眠り続けてからと同年数。
典型的な男やもめがどうこうな例だな。
オリアーナがいるし、オルネッラだって眠り続けてはいるものの生きている。子供たちを超えて心が失墜したのなら、彼にとって妻という存在はとても大きかったことになるのだろう。
まあ酔っ払いに温情措置なんてないけども。お酒は楽しく嗜むものだ。飲まれるまで飲むとは何事か。
「オリアーナ」
「?」
今日も彼女をベッドに呼んでみた。
一緒に寝ようという言葉に逡巡し、丁重にお断りされた。普段もテゾーロはベッドに入る事はなかったらしい。
「折角だから女子トークしながら眠りにつきたいな。明日はぜひお願いします」
「……善処します」
クーデレがくる日を願って眠るとしよう。
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「あ、ごめん、本忘れた」
「いいのよ、チアキ。気にしないで」
翌日、講義を受けながら思い出してエステルに伝える。彼女は静かな声で返した。
「昨日は意外な事があったから、うっかりしてたわ」
「何かあって?」
「んー、オリアーナのお父さんって知ってる?」
本日の右隣、エステルはやはり噂程度でしか知らなかったようだ。本日の左隣、トットも同じく応えてくれる。
「ガラッシア公爵は、奥方とオルネッラ譲の事故があってから、社交界にも事業の場にも現れなくなった記憶がある」
最後に見たのは誰が見てもわかるぐらい意気消沈とし、顔色悪くはっきりしない様子の公爵だったという。ああもう完全にダメージ回復できてないな。
「最後に港で話した時の公爵から酒の匂いがしていたのが気がかりだったが」
トットどんぴしゃだよ。
酔っ払いだよ、その公爵。
完全にアルコール依存症、十年続いていたとしたら、状態良く考えても初期は超えてそうだ。中期に入っていたとしたら、家族間にも不和と軋轢が生まれる事もしばしばあるから、可能性としてはありだ。聞き取りができなくて、一度見ただけでは判断が難しいけど、アルコールに依存してるのは明らか。
「その頃からオリアーナは事業に関わってきたのか」
「ああ、そういえば港や公爵家が卸している店舗でオリアーナ譲をよく見かけるようになったのも、その頃からかもしれん」
「オリアーナ譲はまだ十歳に満たないのに事業をされていたの?」
すごいわ、とエステル。
さりげなく、二人の呼び方がオリアーナ譲になっているのは、親しみが生まれた証だろうか。昨日顔合わせしてすぐにとはいいことだ、犬の姿とはいえ、彼女の味方が少しでも増えていけば、それはきっといつか支えになる日がやって来る。
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「今日もよろしくお願いします」
「はい、お嬢様」
有言実行と言うことで、昨日より控えめな音量で作業再開だ。
そもそもこの部屋で連日作業するために今日もこうして来てみたら、待っていた外野の驚きぶりがすごかった。昨日の今日でよく来れますね的なニュアンスで言われたけど、そんなもの知ったことではない。私にとって帳簿を読破することの方が重要だから。それにしても私の思っていた以上に進みがいい。このままいけば十年分の帳簿見直しはすぐだ、そこから個人的に世界情勢と国について調べていかないと。
「そうだ、お二人に伺いたいのですが」
「はい」
「帳簿をつけてて改善した方がいい事ありますか?」
「え……」
明らかに戸惑う二人。
それもそうだろう、彼彼女は普段意見することもそうなく主人に従う形で仕事をこなしていっているはずだ。特に今のご主人は酔っ払いが過激でより従順さが求められている感もある。
それでも今事業把握した私より、十年、いやそれ以前をも知っている人物にきくほうが何かといい意見をきける。
「例えば、事業拡大した方がいいとか」
「……はあ、ええ」
「新商品を開発するとか」
「……左様で……」
「逆にこれを廃止したほうがいいとか」
「……」
借入金のあった年はもう少し調べないと中身が見えてこなさそうだから、そこは言及しない。この問題は図書館とか大きなとこで海賊についてから調べないと始まらないし、当時の金融相場もチェックしないことにはだ。今話合いで出来る事と言えば、プラスでランニングしてるところにさらにプラスを見込むにはどうしたらいいか。
「遠慮しないで話してほしいんです。お二人は私より事業に詳しいですし」
「そのような事は御座いません!」
「そうです、お嬢様」
まあオリアーナは相当頑張ってるだろうからそこは否定しない。
彼女に目配せすると、私からは何も、という消極的な意見がやってきた。この子はプラス収益にして借入金を返済するところで精一杯だったのだろうか。折角だ、彼女には仕事は楽しい面もあることをぜひ知ってほしい。
「うん、すぐに今までと違って意見するって難しいですよね」
「いえ、そういうことでは」
「いえいえ、そしたらこれから徐々に慣らしていきましょう」
「慣らす、とは?」
「毎日意見伺いますので、頑張って応えるようにしてみて下さい」
これ新人の時に言われて、えらくきっつかったのを覚えている。仕事に慣れるのに精一杯なのに指摘までしろみたいなこと言われた日には、そこまで見れてませんと思わざるを得なかった。
ここをこなせるようになると格段に視野が広がるし、自分で考える事に繋がるから、私はおすすめしている。
「では今日の収益と昨日の続きから再開しましょうか」
「は、はい!」
「か、畏まりました」
次から次へと資料を出してもらう。
私の昨日の発言からか、帳簿などの事業書類以外に、当時の国の事がわかる資料や流行りの書籍を用意してくれていた。
さすが仕事が早いし、よく察してくれている。二人で事業立ち上げられるんじゃないのとひそりと思った。
「それで、次はここの歳入なんですが……」
スムーズに進んできたところで、やはりと言うべきか、昨日の今日で隣へ続く扉が大きな音を立てて開かれる。
分かっていたこととはいえ溜息が一つ漏れた。




