137話 ケンカップルのおいしさたるや
「チアキ?」
「あ、ああごめんごめん」
オリアーナに呼ばれ、足が止まっていたことに気づいた。慌てて彼女を追いかける。
珍しく二人きりで走っている。エドアルドはトレーナーとして教えをする日、エステルトットも最近は公務が重なっている。
ディエゴは最近というか、あの日から来ていない。
「誰か知ってる者が?」
馬車通りを見ていたのがバレバレだった。まあ見るものそれぐらいしかないから仕方ないのだけど。
「いや特には」
ディエゴの馬車ないかなーなんて探してたとか私の頭は相当キている。いるはずがない。彼はずっと早くに帰ってるはずだから。
「ディエゴですか」
「オリアーナ、見たの?」
「見えなくても今のはわかります」
「ぐぐう」
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あの日、先約があると帰った翌日の朝、彼が来ることはなかった。代わりに従者さんが手紙を届けてきて、内容は今日行かれないとシンプルなものだった。
学園に着けば彼も来ていたが、今日のことを軽く謝罪され終了。なんだか妙な違和感というか、かっちり噛みあわない感じがもどかしくて、ディエゴともう一度話をしてみようと思った。なんてことない、いつも通り当たり障りない話をすれば、噛みあわないものも噛みあうと考えてだ。
「おっと」
あき時間に姿が見えないと思って、いつものとこにいるのかと中庭に出たら、見つかるには見つかった。
かわいらしい女性を連れた姿で。
「……」
そう、可愛い女性。
彼の纏う雰囲気がいつもと違う。いつもこの学園の女性には一定の緊張感を持って、社交界の営業用で対応するお堅いディエゴが、心なしかリラックスして対応している事が、遠目で見ても分かってしまった。
動けなかった。
「……」
声をかけることもしなかった。
先を歩くディエゴは呆れた様子で何かを言っている。女性もまた何かを訴えながら彼に駆け寄り、その腕に触れる。彼に嫌がる素振りはなく、あまつさえあいてる手でくしゃりと彼女の頭を撫でた。
その時のディエゴの笑顔は見たことがなかった。
少年さが残った快活な笑顔。
そういえば、私の前で笑うのはそんな多くなかったし、あんな風に笑うこともなかったかな。
「チアキ、どうしました」
「!」
オリアーナに声をかけられ、我に返る。足は縫い付けられたように、そこから動かなかったのに、嘘のように力が戻る。
「オリアーナ伏せて」
「え?」
腕を引いてしゃがみこみ、二人で茂みから覗く。
ディエゴとかわいい女性は今度は何かを言い合っていた。気兼ねなく言い合える仲、喧嘩腰になりつつも、仕様がないという雰囲気を出し、すぐにいつもの事だと元に戻る様はまさに。
「ケンカップル……なんてことだ、おいしすぎる」
「チアキ……」
隣からじとっとした目で非難されてるけど、気にはしない。ひとまず見つからなければいい。覗ければいいのだから。
「けんかっぷるとは」
「よくぞ聞いてくれた。顔を合わせれば喧嘩ばかり、なのにそれでも付き合っている恋人達。または付き合う前の仲の良い喧嘩ばかりしてる二人の事だよ!」
「喧嘩してるのに、仲がいいのですか?」
「ほら、二人を見て」
「はあ」
視線を向ければ、また何か小競り合いをしている。
「あんな風にちょっとした言い合いをして、ほら、喧嘩終わるでしょ。なのに二人の間には妙な親近感があるじゃない?」
「はあ……」
「これだよ、これ! 親密な雰囲気を出しつつ、相手に対して心を開き寛いだ気配すらあるわけ。なのに喧嘩がほとんど毎日というこのアンバランスさ」
「はあ」
そんな二人は馬車に乗り込んで去って行く。それを見届けつつも、一通りケンカップルの事を語り聞かせた。オリアーナは相変わらずクールな様子で、私とディエゴ達を交互に見ていた。
「おいしいイベントシーンだった」
「……いつもこのように覗いていたのですか」
「ぎく」
いや、そもそもオリアーナとエドアルドは覗けてない。いつもディエゴが邪魔してたからね。でも覗くのだったら、こういう風に覗いていたとは思うけど。
「……あの女性、学園の生徒ではなさそうですね」
「ん? あ、そうだね」
制服を着ていなかった。ディエゴよりは年下だろうか、明るく素直そうな子だった。ディエゴにはああいう子が合うのだろう。ツンデレには素直な許容力が必要、その上で時間をかけて心を開いてもらう。よし、妄想しよう。素晴らしいぞ、一日ケンカップルで過ごせそう。
「チアキ、やはり覗き見は良くないかと」
「えー……」
非難の声を上げれば、呆れた様子で私を見つめるオリアーナ。溜息まで吐かれた。ひどい。
「今のを見て、何も思わなかったのですか?」
「ツンデレおいしいな、ケンカップルおいしいなって」
「チアキ……」
えらく残念そうなものを見る目だ。事実だというのに。
「ツンデレ最近ぐいぐいで、いつも近くてそれどころじゃなかったんだよ。やっぱり外から見てるのが楽しいし癒される。さっきの会話を妄想してるだけで一日すごせる」
「……」
「引かないでよ」
やっぱり私にはオルネッラが必要だ。いつでも脳内オーディオコメンテータリーできるようになんとか形として残ってもらいたかった。どこでケンカップルの良さについて語り合えばいいというのか。完全に居場所がなくて迷子状態。
「まあこれで昨日からディエゴがやたらいそいそしてて、ジョギング来ないのもわかったし、すっきりだね」
「そうですか」
「青春とは実においしい」
「本当ですか」
オリアーナの言う事は無視した。
もうここからの展開だって見えるでしょう。オリアーナの希望通りにはいかない。ディエゴだって年頃の男の子なんだから。
「オリアーナ、行こう」
「チアキ……」
そう、わかっていた。
この覗き見から程なくして、ディエゴから言われることをわかっていた。
「チアキ、すまない。しばらく走れない」
「うん、わかった」
わかっていた。
こうなるとわかっていたけど、一瞬もよっとしたのは気のせいだ。
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朝の挨拶とか、ちょっとした時に話したりはする。前のように過剰なまでの近さがないだけ。なのに、いないと分かっていて馬車探すとか本当おかしい。
「私の脳内、気でも触れたかな」
「いつもの事では」
「それはひどすぎるよ、オリアーナ!」




