歩みを止めるな。
不思議な空だった。あちこちでなだらかなカーヴを描く低木と雑草に覆われた地表から数メートルの空間を空けて、切れぎれの低層雲の塊は這う様に地形をなぞり、大地の形を手探りで確認するかの様に、音も無く静かに地上の光景を、私の向かっている方向と大体同じ北西へ、凡そ秒速二〜三メートルは下らない速度で流して行っているのだったが、その遙か上空、距離感を掴むのは難しいのだが恐らく千メートル以上は彼方に悠然と浮かんでいる、人為的に編隊を成しているかの様に整然とした波状雲の群れは、一見したところぴくりとも動かず、騒がしい地上の動きの一切からは超然としていた。歩き乍ら時々見上げるだけではそれらは天の天井に描かれた模様として光景の上半分の背景と限界を成し、天地開闢の昔から不動の儘世界の理の一部を構成しているかの様にも見え、何時でも良いから足を止めて十数秒ばかりも意識を集中させて凝視した者でなくては、それが何時もの偏西風に乗ってゆっくりと、地を這う層雲達とは正反対とまでは言わぬとも、少なくとも相当食い違った方向に移動していることには気が付けないのだ。まだ夏の名残の熱が周囲に立ち籠めていたとは云え、空の頂はもう秋の訪れを告げ始めているかの様に高く、地上が稠密であり、色彩と手触りと反作用が確かだった夏の没落が既に始まっており、それが風景に透明感を与え、もの感触が絶えず手の平の細い隙間から零れ落ちて行く様な、取り返しのつかない距離の開きを感じさせるのだった。周囲には秘めやかな、謎めかし仄めかす様な共犯者の囁きが満ち、ふとした拍子に私を空中へと誘おうとするのだったが、その度に私の踏み締める廃道の雑多な感覚が数瞬の幻覚をぱちんと弾けさせて足を前に進ませるので、私は次第にこの光景の中に於ける自分の立ち位置を、不明瞭だと思う様になっていた。少なくとも私が今現在ここにこうして感じられる通りに存在しているのは確かではないかと思われたが、その「今」と云う代物が果たしてどれだけの幅を持つものなのか、ほんの数瞬か或いは数時間、数年、数十年、数万年の単位で測られるべき現象を構成しているのか、それともそれは「永遠」と呼ぶべき持続を超越した無時間性の中に位置付けて把握されるべきものなのか、私には判断が付かなかった。私は自分の置かれている状況をどの様な文脈に於て把握すべきなのか、そしてそれは一体何の名に於て正当化され得るものなのか。これは逃避だと言う見方は始めから私に付き纏っていた。目の前の面倒な諸問題を忘れ、無人の荒野に孤独を愉しむことによって、現実からの逃避を図っているに過ぎないと言う、はっきり自嘲とは言わぬまでも、肉体を活動させることから来る高揚感を幾分なりとも相殺するに足るだけの自己相対視する眼差しは、言うなれば私の宿業として、何時もの様に私の行動を裏側から冷やかに見詰めてはいた。が、こうして些かなりとも日常の軛から逃れてごちゃごちゃとほつれてしまった私を一旦脇に置いて、奇妙に分離し多元化した光景の中に身を浸してみると、果たして私はこの明るい虚無の中に何かを探そうとしていたのではなかっただろうか、との思いが、ペットボトルから水を飲んだ時に思わず零れて口許を伝って行った雫が、拭い切れずに顎の下に留まっている様に、はっきりこうと特定出来る様な確かさは無い乍らも、何か知ら一概に否定し切れないのではないかと云う漠然とした違和感と成って、私の意識の片隅にこびり付き続けるのだった。
目の前を通り過ぎて行く雲の群れは歩き乍らでも明確に視認出来る程の速度で動いていたのだが、私の体の表面は風らしい風を殆ど感知しなかった。それは微かに皮膚をくすぐる湿り気を帯びた霧の感触としてのみ現れ、私を一時取り巻いてはまた消え、私はこの世界と接触しているのだろうか、それとも私自身が霧の様に希薄な気体と成って大気中に融け出し、この晩夏の万象の織り成す風景の一部として、この世界に取り込まれようとしているのだろうか、と云うぼんやりとした疑念を私の中に生じさせた。それはもう何年も前に忘れ去ってしまっていた遠い日の記憶の様でもあり、ひょっとして地上に洩れ出た異界の息吹が私の微細な部分に目を付けて私を丸ごと吸い込もうとしているかの様でもあった。私はしっかりと己を固定し、自分が肉体と輪郭を持った具体的な存在であることを再確認すべきではないか、との懸念に度々駆られたが、どうもその懸念はそれ自体それ程具体的な力を持ったものではないらしく、私は中途半端な認識のざわめきに何となく心騒がせられ乍らも、そのうっすらとした不穏のそぞめきの中に、ぼんやりとした解放の呼び声の谺を聞き取った気がしないでもなかった。形而下的な欺瞞、それも歴史社会学者のみが把握出来る様なそれではなく、ガリガリの論理実証主義者達が容易に把握出来る様な欺瞞に取り囲まれていた街中での生活に於て、私の神経は確かに疲弊し、消耗し、擦り切れていたのだろう。そうした淡い境界線上の感覚に、大した根拠も無く新しい可能性の芽を期待することは、私の病的な状態を証するものだとは言えないだろうか? だがそうした絶えざる懐疑の重圧の下から尚もやはり執拗に、この霧が誘う道行きの先には何かが待っているのではないか、何か新しいものが見付かるのではないか、仮令それが破滅的なものだろうと何だろうと、少なくとも私のこの閉塞に穴を開けてくえっるものかも知れない何物かに何れは行き当たるのではないか、と云う空想が、白い靄と成って私の周囲に立ち籠めて来るのであって、私は心を静かに落ち着けてひたすらに私の脚に当面は全てを預けようと試みた。だが歩けば歩く程その混迷の靄は広がり、深みと濃さを増して行く様にも思われ、私はとにかく歩き続け、一所に留まらず、常に動きを止めないことを心掛けた。和足が何から歩いて来て、正確には何処へ———いや、目的地は判っている、山を西へ抜けて北ノーランドから延びている未舗装の車道のひとつと合流すれば、そこから恐らくバスでギーレンまで向かうことが出来るだろう。だがそう云うことではなく、「何に」私が向かっているのかは、私には曖昧な儘だった。歩いてもそれは依然曖昧な儘であり続け、微かな啓示の閃きすら訪れては来なかった。移動してはいた。だが唯それだけだったのだ。
地図には辛うじてまだ記載が残っているこの道が廃道になってから一体どれ程の時間が経過したあものかは私は知らなかったが、少なくとも場所に依っては雑草が人の背丈程までに生長する位には、全く整備の手が入っていなかった。「雑草」と一口に言っても私にとっては馴染みの無いものが多く、それは度々私に迂回を余儀無くさせたが、それでも地形そのものは何百年も何千年も前からこの儘なのだろう、舗装はされていないものの曾ては十分に踏み固められていたことが窺われる割と幅の広い踏み跡は、所々雑草によって隠されてしまってはいたものの、注意していれば見失う心配は無かった。急な斜面は殆ど無く、きちんと刈り払われもう少し幅広く整備されいたら、自動車でも通れたかも知れなかった。周囲を見回してみても一面の低山が連なるばかりで、北側の山並みの向こうには、数百メートルを挟んで海岸線が東西に延びている筈だったが、山に遮られてしまうのか、潮の香りは全くせず、海を思わせる音も全く聞こえては来なかった。波状雲は日光を素通りさせてしまうのか、頭上から降り注ぐ日光を遮る影は殆ど無く、厚目の低層雲の塊の中に体ごと突っ込んだ数瞬間だけ、光線は靄へと拡散し、万物の境界線をぼやけさせた。北ノーランドの街の外れからこの道に入った時には暫く上り坂が続いたものだが、或る程度高度が上がってしまうと、後は似たり寄ったりの高原状の所が何度も出て来て、その高原同士を緩やかな鞍部が繋いでいた。元々静かな土地であるとは云え、この光景の中には音が殆ど無かった。地を這う雲は活発な動きを見せてはいるものの、それは何やら影が物体の表面を撫で回して通り過ぎて行くと云った感じで、何やら目に見えているものの全てが実は遠い昔に過ぎ去ってしまったものどもの残像、大地そのものの掠れがちな記憶の残滓と云った趣を漂わせていた。空は何処までも高かった。その高い空の下、自身の足音すら殆ど聞こえない儘、私は西へと足を進めた。これまでに既に随分汗を搔いていた筈だと思うのだが、それらは直ぐに気持ち良く乾いた大気の中で蒸発してしまっており、殆ど気にはならなかった。私は独り自ら望んで彷徨っていた。
街は騒がしかったのだ。避暑の季節からはそろそろ外れてしまうと云うこの頃にもなって、こんな辺鄙———と言う程のものでもないが、それまで過ごしていた街に比べれば大分静かな田舎町にまで足を運んだのは、余りにも大量のノイズ、余りにも大量の嘘、意識的か無意識的かを問わず、私の精神を包囲し、締め上げ、原形無きまでに歪めて圧殺しようとする余りにも大量の悪意が、人々が犇めき合う巷には満ち溢れていたのだ。ほんの一寸した仕草や言葉遣いや見交わされる眼差しから汲み取ることの出来る人々の鈍重さ、鈍感さ、驚くまでの無関心と無知は、私と人との間に分厚く突破不能な壁を作り上げ、元々が生まれ付きの異端者、故郷喪失者、救われ様の無い異分子であり続けて来た私を憤懣の煙の中に閉じ込め、私に辛うじて残されていた夢見る力を後ろ手に捻り上げ、極く低次の物質的な要求の阻害と言う形を採って、私の自由を奪おうとしていた。幾つもの種類の人的交流の場に於て、私は海王星から来た人間も同然に映っていたことだろうが、私からしてみれば、自分こそ海王星に迷い込んでしまい、言葉も発想も全く異なる理解不能な異世界の中で途方に暮れてしまった様な感覚を覚えていた。俗事に次ぐ俗事、卑俗さに次ぐ卑俗さが、私に許されていて然るべきだった諸々の潜在的な可能性への道を閉ざし、私を地面に這いつくばらせようとしていた。私はうんざりしていた。この腹立たしく悍ましく、息を詰まらせる様な愚昧と迷妄の混沌の中から何とかして抜け出したかった。それらの忌々しさも想像力を欠いた瑣事共が、せめて人間の本性に根差す普遍的な性質を持つものであったのであれば、私も哲学的諦念の裡に沈思黙考のシェルターの中に退避していたかも知れなかった。だがそうではない、そうではなかった。それらの諸々の愚かしさは只ひたすらに人々が己の秘めている能力に気が付かず、期限も不明の儘与えられた時間を空しく浪費させられる儘に任せ、知性を持って生まれたことの幸運をドブに捨てて、目先の衝動と享楽にのみ耽っていたことからくる頽落の兆候でしかなかった。人々は自分達がどれだけ狭い檻の中に住んでいるのか、自分達が自らの手でどれだけ高い遮蔽壁を自分達の周りに張り巡らせてしまっていたのか、てんで無頓着な様だった。彼等は自分達に目隠しをし、耳を塞ぎ、己が手で世界に直に触れることを禁じていたが、しかも全く自覚無しにそうしたことどもを易々とやってのけるのだった。自分達を縛り上げるその倒錯は彼等にとっては倒錯ではなく、寧ろ世界が彼等に与えた極く自然な、当たり前の悦楽であった。凡そ正気を保ちたいと希う者であれば誰しも反吐が出そうになるに違いないそうした自己棄損が巷には溢れ返り、私にも白痴でいよ、目を閉じて耳を塞ぎ、両手に手袋を嵌めて縛り上げろとうるさくせっつくのだった。私は逃れたかった。物理的に逃れたかった。この形而下の妨害者達の魔手から逃れて、何処か遠い、独りに成れる所、世界と私とを隔てる邪魔者の居ない、或いはせめて少ない所に行きたかった。雲が私を誘っていた。空が私を待っていた。そして私の足下には道が、他に人の通っておらぬことが略確実な道が延びていた。私は歩き出し、歩行に私の精神を委ね、その一定の催眠的なリズムが齎す手軽な白昼夢の中に、自らの疲弊し硬直した肉体を浸らせて行った。それは脱出であり、探索であった。取り戻す為の行動であり、発見する為の行動であった。そこでは美は抑圧し圧倒する圧殺者ではなく、シンプルな解放者である筈だった。さすれば一陣の新しい風が、堰に引っ掛かって堆積し、淀んだ澱を成して腐臭を放ち始めている私の精神を洗い清めてくれる筈だった。私は狂いそうに成る前に、私自身を一度空無の中に手放してみたかったのだ。
風は吹いている筈だったが、それは地を這う切れきれの雲の塊の動きによって知られるばかりで、私の皮膚にとっては殆ど無風に近かった。時折木々が枝や葉を揺らせているのは目に入るのだが、それらとても奇妙なまでに無音で、周囲一帯がサイレント映画の一景と化してしまったかの様だった。私は地図の不完全な描写から読み取れる地形と、実際に目の前に広がる大地のうねりを時々立ち止まって確認しては、様々な即物的な想像の合間で手綱を緩め、自分が世界のひとつの鼓動と化すまで、恣に眼差しを彷徨わせた。穏やかさと緊張が入り混じり合い、私は一寸した崩落箇所、道に張り出した枝々や倒木、雑草の下に隠れている石ころや岩屑等の、多少面倒ではあるが深刻に用心しなければならぬ程のものでもない障害物のそれぞれに対して気を張ってみるのだったが、私の情動はその度に軽やかに動揺し、この道行きの失敗が私の魂を脅かす真の脅威ではないことの快さに、胸を高鳴らせるのだった。
陽の光を受けて無数の形容し難い陰影を作り出す二重の雲の向こう、透明な水の底の様な空の彼方に、不可視の星々が無言で煌めいていた。それは象徴であり、私と云うひとつの眼差しと切り結ばれることによって生じたひとつのメッセージだった。それは啓示と呼ぶには余りにもささやかではあったが、それは我々の知る地平の先にまだ知られるべき何物かが確かに存在していることを予感させる徴であった。私と万有との間を裂くものは何も無い様に感じた。生命、活動、有機的関係性の大海………長らく等閑にされ、常にそこに存在していたことすら忘却の縁のあちら側に沈み込んでしまっていた世界の実相が、親し気に私に呼び掛け、手を振っている様に見えた。私は招かれていたのだろうか? いや、だが、そこまでとは言えない………私の宿阿とも言うべき懐疑はまだしつこく私の大腿骨の髄の中に浸み込んだ儘であって、私は何時までもそれと共に在るしか無いのだった。そうした構図から自らを解き放つ道は、私がまだはっきりとは知らないが、或いは余りに遣り様が不様な為に成功したことが無いだけで、何処かに存在している様な気はしていた。いや、私は曾ては知っていたのだろうか? そうかも知れない。だがそれも今では忘れ去られ、確かな手触りを失って、また新たに復活させられるのを待ちくたびれているのかも知れなかった。懐疑は自らを蝕んで行ったが、そのウロボロス的円環が果たして何処かで閉じることが有るのかどうか、私はまだ一度も知ったことは無い様な気がした。その狂気の何と懐かしいことか………。
ちらと、視界の隅で、何かが動いた気がした。恐らくあれだろうか、もう1時間位も前………いや、もっと前だったろうか、あれを初めて見たのは? もう永劫が過ぎ去った気がする………最前から時折視界の端に現れては、私が確と視線を向けると、その姿を確認する間も無く忽ち物陰に隠れてしまう、白い影だ。最初は音の無い世界に独りで居る時に見えることの有る錯覚の類いかと思ったものだが、どうも違うらしい。あれは確かに物質的な実態を持った具体的な存在らしいのだ。一瞬ひらりと布切れが舞う様な動きを見た気がしたので、ひょっとして人かとおも思ったのだが、それにしては動きがおかしい。何処か摑み所の無い、フワフワと現実感の希薄な動きで、しかも人にしては余りに素早い気がするのだ。獣だろうか? まさか狼だろうか? いや狼はこの辺りではすっかり絶滅してしまっている筈だ。一メートルは有るだろう———この辺りの生態系についてきちんと調べて来なかったのは手抜かりだったと言うべきだろうか。山羊でもなく、羚羊でもなく………或いは雲を見間違えたのだろうか? いや、雲にしてはやはり動きが速過ぎる。地形の影響で一時的に雲の速度が上がることが有るかも知れないが、あれは明らかに、何等かの意志と生命を持つ物の動きだ………それは私の後ろ、百メートルから二百メートルばかり離れた所に時々ふと現れ、またさっと近くの物陰に消えては、何分かすると、或いは十分以上間を置いて、またちらりと私の視界の端で動きを見せるのだ。それは道の上を進んでいる様だった。私とぴったり速度を合わせていると云う訳ではなく、私が少し立ち止まって地図を確認した後でも、それとの距離は一向に縮まらず、時には寧ろ離れて行く様に見える時も有った。私のことを追っているのだろうか? いや、それよりも、私のことを尾行していると言った方が良いのではないだろうか? 判らなかった。思い切って声を掛けてみようか、それで相手の出方を伺って、その正体を見極めてみようか、と思ったことも有った。だが声は一向に私の喉から発せられはしなかった。何やら恐ろしい様な、そうしてはいけない様な気がしたのだ。平和と静謐と即融の構図の中に、極く微かに、はっきりと把握はしかねるのだが、ぼんやりとおぼめく戦慄の疼きが有った。それは世界と私との間を引き裂きはしなかったが、盗人の様にするりと風景の中に滑り込み、私が何か大事なことを失念しているのではないかと、意地悪く囁き掛けて来るかの様にも思われた。ひょっとして、私は追われているのだろうか? 私は逃げなければいけないのだろうか? 逃げるべきなのだろうか? あれに追い付かれた時のことを私は想像してみようと努めたが、何も浮かんでは来なかった。私の想像力は急に涸渇してしまった様だった。風や冷えた汗とは違う冷気を何処かで感じた気がした。が、何処で感じたのかは判らなかった。
私は混乱を抱えていたのだろうか? そうかも知れない。私は混乱を抱えた儘、懐からもう一度地図を取り出し、周囲の状況と照らし合わせてみた。やはりだ、どうも少しばかり地図の記述と違って来ている。地形の様子が微妙に食い違っているのだ。この辺では何千年、何万年もの間い、大きな地震等に因る地平の変動は起きていない筈だ。だとすれば地図の記述が元々不正確だったことになるが、となると何処まで地図を頼りにして良いものやら判らないと云うことになる。この道は確かにギーレンへ向かう道の途中に出るのだろうか? そこまで道は通行可能な状態で続いているのだろうか? 目の前には緩やかな下り坂が続いており、数十メートル先で登り返して、次の丘がなだらかな盛り上がりを見せていた。その左側にはまた別の丘の連なりが広がっており、右手は平原状の部分を挟んで海外線沿いの低い山並みにまで繋がっている筈だった。雑草は些か鬱陶しいが、道が判別出来なくなる程ではなかった。まだこの先何時間か、或いは何十分かは歩いて行けるだろう。あの白い影が何なのか、何をしているのか、この道を何処まで歩いて行けるのかは不明だが、当面はまだ現状を維持出来る筈だ。水筒を取り出そうかとも思ったが、喉は渇いていなかった。私は頭上を見上げた。陽はまだ高かったが、既に落ち始めていた。秋の訪れがもう直ぐであることの証だった。静かに、何故かふっと息を殺し、私は歩みを再開した。リズムが大事なのだ。一定のペースを崩さないこと、無理をせず、とにもかくにも歩き続けること、疑問を持たないこと、恐怖を徒らに増殖させないこと、まだ時間は有るのだ………。