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23 ジェルドと話をする


 公都に帰ってから、リリアセレナはヴィヴィアにエトワースの事をたくさんお話しした。

 塔から見た壮大な海や干潟、西側に広がる豊かに実った小麦畑、そして畑の中から手を振り返してくれた大勢の領民達の事。


 城のあちこちに小さなユリフォスが暮らしていた痕跡があったと続けると、「こちらの館にもユリフォスが小さい頃に使っていた勉強道具やおもちゃがたくさん残っていてよ」とヴィヴィアが楽しそうに教えてくれた。


 ユリフォスは夏場の二か月を毎年こちらで過ごしており、ロベルトはユリフォスが使っていた道具類を年齢ごとに仕分け、今も大切に残しているらしい。

 リリアセレナが見てみたいと言うと、家政婦長のニアがすぐにそれを持って来てくれた。


 箱の中には子ども用の羽ペンやノート類があり、ボードゲームを簡略化したような小さな盤も入っている。

 余程このゲーム盤で遊んだのか、盤の端の辺りは丸く擦り切れていた。


 別のひつの中には小さい頃の服もしまわれていて、リリアセレナはそれを一つ一つ取り出して広げてみた。


「ユリフォス様、こんなに小ちゃかったのですね」


 掌に乗るような茶色の布靴が愛らしい。

 これを履いてユリフォスが走り回っていたのだと思うと、思わず笑みが零れてしまった。


「ユリフォスは人見知りが強くて、ロベルトにはなかなか懐かなかったの。

 ただ、ボードゲームだけは好きだったから、遊び相手欲しさにおずおずとゲーム盤をロベルトの所に持ってきていたわ」



 その日の晩餐はユリフォスの話題で盛り上がった。

 幼い頃からボードゲームや数術が好きで、気が付けば図書室に籠って本を読んでいたり、地面に木の棒で線を引いて一人で遊んでいたりしたのだと言う。

 思い出話を語るロベルトの顔は楽しそうだった。


 ユリフォスが在籍する修学院の話をするうちに、ロベルトがふと思い出したように「ああ、そうだ」と呟いた。


「言うのを忘れていたが、さ来月初めにもガランティアからジェルドが帰国する事になった」


 ロベルトの言葉に、ヴィヴィアが心配そうに尋ねかける。

「何か問題がありましたの?」


「いや。ジェルドが帰国するのは、エトワースの干潟を視察するためだ。

 ユリフォスが本格的に干拓について学び始め、エトワースの詳しい状況を知りたいと思ったようだ」


「そうでしたの。ユリナ達もさぞ喜ぶ事でしょうね。早速知らせてやらないと」


 リリアセレナは首を傾げた。

「えっと、ユリナって厨房でお菓子を担当しているあのユリナですよね。どういう関係があるのですか?」


 ヴィヴィアが優しくリリアセレナの方を見た。

「ジェルドはユリナの夫なの。二人には、子どもが二人いた筈よ。上の子はもう四つじゃないかしら」


 そう説明されても、そもそもリリアセレナにはジェルドという人間が誰なのかがわからない。

「そのジェルドっていう人は、ユリフォス様と一緒に留学しているのですか?」


 もう一度尋ねると、ヴィヴィアはちょっと驚いたように目をしばたたいた。


「そう言えば、ジェルドと貴女とはちょうど入れ違いになっていたわね。

 ジェルドはユリフォスの補佐官よ。向こうであの子の身の回りの世話や社交の補佐をしてくれているわ」


「ユリフォス様には補佐官がついて行かれたのですね」

 そうなんだ……と頷くリリアセレナに、ロベルトが横から言葉を足した。


「ジェルドは十歳の時、従僕見習いでアンテルノ家に入って来た子なんだ。

 要領がよく、気配りに長けた子でね。頭も良く、性格も素直だったから、私の手元に置いていろいろな事を学ばせた。

 確か、ユリフォスより八つか九つ上じゃなかったかな」


 三十歳ちょっとで四つの子どもがいるんだ、すごいと、リリアセレナはまずその事に感心した。

 使用人が結婚するには主の許可が必要であり、二十代半ばで妻帯を許してもらえるほど、ジェルドは有能な男であったのだろう。


「リリアも早くそのジェルドという人に会ってみたいです。

 ジェルドはきっとユリフォス様の修学院での生活をいっぱい知っていますね」


「そうだな。帰ってきたら色々と話を聞いてみよう」

 楽しそうにロベルトが言い、リリアセレナはわくわくとロベルトの顔を見上げた。




 そのひと月半後、ジェルドがガランティアから帰ってきた。

 アンテルノ家に顔を出したジェルドは、当主であるロベルトに帰還の挨拶を済ませ、その晩は三年ぶりに家族との団欒を楽しんだようだ。


 丸一日、家で体を休めた後、その翌日にはロベルトと共にエトワースの地へと発った。


 エトワースでは干潟の詳しい調査に取り掛かり、潮の流れや土地の高低を調べていくようだ。

 それによって堤防線の位置を定め、工事の期間を算出するらしい。


 エトワースの視察を終えたジェルドはすぐにユリフォスの許に戻る事になったが、その前日に少しだけリリアセレナのために時間を取ってくれた。


 ジェルドは、主であるユリフォスが、国元に残している年端のいかぬ妻を殊の外大切にしていると知っている。

「お会いできて光栄です」と人懐こい笑みで挨拶してきて、その笑顔につられるようにリリアセレナも笑みを浮かべた。


 初めて会うジェルドは、赤みがかったブラウンの髪に茶褐色の瞳をした三十過ぎの男性だった。

 ひどく頭が切れるとロベルトから聞いていたが、雰囲気がふんわりと柔らかいため、対峙する相手に警戒心を抱かせない。


「ユリフォス様はリリアセレナ様からのお便りをとても楽しみにしておいでです。

 よろしく伝えて欲しいと、しつこいくらい念を押されました」


 ジェルドの言葉にリリアセレナは思わず笑い出した。


「わたくしも、ユリフォス様からのお手紙をいつも心待ちにしているわ。

 それからこの度、向こうのクッキーをことづけて下さったでしょう? ジンジャーが効いていて、とても美味しかったわ。お礼を伝えてもらえる?」


「畏まりました」と、ジェルドは微笑みながら頷いた。


「あのお菓子は、ご友人のアルルノルド殿下が勧めて下さったものです。

 喜んでいただけたと知ったら、殿下も喜ばれるでしょう」


「お手紙にも、よく殿下のお名前が出て来るわ。

 ユリフォス様は春から農学部に在籍されているけれど、今でも殿下と親しくしているのね」


「そうですね。寮の部屋が隣同士という事もありますが、王立修学院では講義は午前中だけなのです。

 昼餐は特室寮のサロンを使われますので、そこで一緒になる事も多いと聞いております」


「あら。では、午後は何をなさっておられるの?」


「貴族の社交場であるクラブに顔を出されたり、個人的に親しくなった方の家を訪問されたりしています。

 何も予定がない時は、図書館に通って調べ物をなさっていますね。干拓について知るために、現地を訪問される事もあります」


「お忙しいのね」とリリアセレナは呟いた。


「そう言えばお手紙には、護衛騎士を連れて通学していると書かれていたわ。修学院はそんなに危険なところなのかしら」


「そういう訳ではありませんが、修学院は才ある者に幅広く門戸を開いております。逆に言えば、優秀でありさえすればどんな者でも紛れ込んでしまえるのです。


 数術学部は警護が万全ですが、他の学部ではそうもいきません。

 ユリフォス様の身に何かあっては大変ですから、一応護衛をつけていますが、実際には修学院内でそのような事件が起きた事は一度もありません。

 ですから、ご心配は要らないかと」


「なら良かった」とリリアセレナはほっとしたように笑った。


「修学院は学位を取って卒業できる者は僅かだと聞いたわ。そんなに厳しいところなの?」


「はい。ガランティアでは、修学院で学位を取った者に一代限りの貴族位が与えられるのです。

 ですからその分、学位を取る事が難しくなっているのでしょう」


「優秀な成績を修めた者に一代限りの貴族位を認めるなんて、マティスでは考えられないわ」

 リリアセレナがほうっと溜め息をついた。

「随分革新的な考えの学び舎なのね」


「私もそう思います。

 それに修学院が優れているのはそれだけではありません。より優秀な人材が集まるよう、奨学金制度というものも取り入れているのです」


「奨学金制度?」


「才能はあるが学ぶためのお金がない。

 そういった者達に対し、修学院は学費を免除した上に、食事付きの寮を提供しています」


「学費が要らない上に、食事も住まいも無料なの? すごい優遇ね」


「はい。ですから才ある平民達がこぞって修学院を目指すのです。

 ただ、入学したらそれで安泰という訳ではありません。

 修学院は一年ごとの進級試験もかなり厳しく、三年の基礎課程を終えるまでに学生の三分の一ほどが脱落すると言われています。

 更に一年間の専門課程を終え、最終的に学位を手にできるのはほんの一握りの人間だけです。

 他は全て、留年か退学となるでしょう」


「ユリフォス様は学部留学を終えた後、数術学の専門課程に進まれると聞いているわ。

 じゃあ、そこで学位取得を目指されるのね」


 そう言葉を続けたリリアセレナに対し、ジェルドはちょっと困った顔をした。

「あー……、ユリフォス様は学位取得については全く目指しておられません」


「目指してない……?」

「はい」


「え。でも、もしかしたら学位を手にされる可能性が……」

「大丈夫です。万に一つもありません」


「……」


「と、ユリフォス様がおっしゃっておられました」

「そ、そう……」


 学位とれないんだ……。

 いや、ものすごく難しいと聞いていたから、そうかもしれないと思っていたけれど、万に一つも可能性がないとは知らなかった。


 じゃあ、何のために数術学部に戻られるのかしらとリリアセレナが首を捻っていたら、ジェルドがおもむろに口を開いた。


「専門課程で優秀な論文を書いた者にはガルダール賞と呼ばれる記念賞が授与されます」

「ガルダール……?」


「ガランティア王立修学院の創設者の名前だそうです。

 このガルダール賞を授与された者だけが栄えある学位試験を受ける事ができ、多くの学生はこの賞を目標に勉学に励みます。

 各学部で十名前後にしか与えられませんから、かなり難関だと言えるでしょう。


 ユリフォス様もこちらを目指しておられますが、とれなかったら諦めるとおっしゃっておいででした。

 留年してまで賞に拘るおつもりはないそうです」


「という事は、賞を取るために留年を選ばれる方もいらっしゃるのね」


「その通りです。

 例えば、アルルノルド殿下の場合、賞を取らずに退学するという事はあり得ません。


 修学院はガランティアが誇る教育機関ですから、アルルノルド殿下は王族の面子にかけてこの賞を取らなければならないのです。

 今は目の色を変えて、論文にいそしんでおられると聞きました」


「……」


「いやあ、王族って本当に大変ですね」


 王族の大変さってそこ?

 リリアセレナは若干の疑問を覚えながらも、微妙な笑みでジェルドの言葉に頷いた。


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― 新着の感想 ―
今kindleのページみたら、フォローしている作者の本に「禁じられた〜」が出てきて、やっと予約できました。これで配信されたらすぐ読めそうです。
最後の心内の突っ込みに、リリアセレナもやはりあの皇家に連なるものだったのねと吹き出しそうになりました。(口には出さずに曖昧な表情で済ませたことろはさすがですが)抑圧されたものから解き放たれ伸びやかに成…
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