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運命が動く時


 ロベルトはその足ですぐヴィヴィアの後を追った。


 どうやら人気のない庭園の方に向かったようだが、こうした庭園は往々にして恋人たちの逢瀬の場となっている。

 木立の奥に足を踏み入れれば人の目も届きにくく、酒に酔って良からぬ振舞いに及ぶやからがいてもおかしくはなかった。


 暗がりに潜む危険を知るロベルトはヴィヴィアの身が案じられ、焦慮に頭が変になりそうだった。


 どの方向へヴィヴィアが向かったかがわからず、無駄な時間を費やした。

 闇雲に探し回っていれば、どこか遠くで悲鳴のような声を聞いた気がして、それからはもう夢中だった。


 声の方へ駆け向かえば、まさに一人の男が嫌がるヴィヴィアを襲おうとしているところで、ロベルトはヴィヴィアの手首を掴む男に掴みかかり、その腕を力まかせに捩じり上げた。

 男がたまらずヴィヴィアの手を離すのを、足払いをかけて地に叩きつけ、更にもう一度、怒りにまかせて蹴り上げる。


 相当飲んでいたらしい男は、一瞬吐きそうにうぐっと背を丸めたが、みっともなく吐物を撒き散らす事だけは免れたようだ。

 乱れた髪の間から怨みを込めて睨みつけてくるのへ、ロベルトは荒ぶる自身の感情を抑えようと一つ大きく息をついた。


「お戯れが過ぎますね」


 暗がりに目を凝らせば、その男がジョゼオ・アルカウトである事にようやく気が付いた。

 普段は好青年なのだが、酒に酔うとたがが外れるタイプだ。

 今までもその酒癖の悪さで、何度か問題を起こしている。


 一方のアルカウトも、眼前に仁王立ちしているロベルトを見て、ようやくマズい事をしたと気付き始めたようだった。


 縁談を断ってきた女性が薄暗い庭園へ向かおうとするのを見て、ついふらふらと後を追ってしまったのだが、よく考えれば彼女はアンテルノ卿の姪なのだ。

 迂闊に手を出していいような相手ではない。


 それまでの勢いはどこへやら、一気に酔いも引いた顔で、「こ……これは、その……」と、しどろもどろに言い訳し始めるのを、ロベルトは冷ややかな口調で遮った。


「……ここであった事を貴方が誰にも話さないのであれば、こちらもこれ以上事を大きくするつもりはない。

 だが従う気がないのなら……」


 ロベルトは凄みのある笑みを向け、脅すように男の方へ一歩、足を踏み出した。


「相応の報復はさせてもらう」


 あからさまな恫喝どうかつに、ジョゼオ・アルカウトは震え上がった。

 ここでの事を一言でも誰かに言えば、容赦はしないという事だ。


 ジュベル卿は本気だった。

 このような目をしている男に逆らっていい事はない。


「わ、私はここで誰にも会わなかった!」


 尻で擦り下がりながら、アルカウトはひっくり返った声でそう答えた。

 旧家を敵に回したと父に知られれば、自分は問答無用で廃嫡されてしまうだろう。


 とにかくこの場から逃げ出さなくてはと、アルカウトは震える足で立ち上がった。

 そしてもうヴィヴィアに目をくれる事もなく、まるで追い立てられるように木立の向こうの闇に逃げて行った。



 


「ヴィヴィア……」


 アルカウトが去った後、ロベルトはゆっくりと後ろを振り返った。

 ヴィヴィアはようやく立ち上がったところで、項垂うなだれたまま、ただきつく両手を握り合わせていた。


 ヴィヴィアにしてみれば、自分が未練がましくロベルトを盗み見ていた事がそもそもの発端だった。

 それを暴かれて動揺し、自ら暗がりに駆け込むという愚を犯した挙句、酔った男に襲われかけたのだ。

 

 恥に恥を塗り重ねた自分がただ情けなく、もはや顔を上げる事もできなかった。


「怪我はないか」


 そんなヴィヴィアに、ロベルトはゆっくりと歩み寄った。

 髪についている葉をとってやろうと手を伸ばし掛け、そこでふと、ヴィヴィアの状態に気付いて小さく息を呑む。


 ドレスは土に汚れているだけでなく、スカートのひだ部分が大きく裂けていた。

 何枚も生地きじを重ねたデザインのため下着や足などが見える訳ではないが、これでは何かあったというのが一目瞭然だ。


「これは……」


 裂けた生地を前に言い淀むロベルトを見て、ヴィヴィアが小さく体を震わせた。 

 

「……取り敢えず、どこかで身嗜みを整えないといけないな」


 このまま自分の馬車で館に送ってやる心づもりだったが、このような格好で多くの人が行き交う車止めに向かえば大変な醜聞となる。

 けれど休息室で服を整えようにも、そこに行き着くまでに少なからぬ人の目に晒される危険があった。


 どうすればいい……とロベルトは唇を噛みしめた。


 誰かを呼んでくるために、この場にヴィヴィアを残しておくなど論外だった。

 先ほどのようなやからがまたやって来ないとも限らないし、第一、こんな状態のヴィヴィアを暗がりに一人残してはおけない。


 そのまま黙り込んだロベルトをどう思ったのか、不意にヴィヴィアが、「ごめんなさい」と消え入るような声で謝ってきた。

 驚いてヴィヴィアを見下ろせば、ヴィヴィアは両の双眸からぽろぽろと涙を零していた。


「迷惑をおかけしてごめんなさい……!

 さぞわたくしに呆れていらっしゃるのでしょう?人の目に留まるほどしつこく貴方の姿を追って、挙句にあのような男に……」


 堪え切れずにわっと泣き出したヴィヴィアの肩を、ロベルトは慌てて抱き寄せた。


「呆れてなどいない……!呆れる訳がないだろう!」


 好きな女性が自分を想ってくれていたと知って、嬉しく思わない男などいない。

 ただ、こんな形で傷つけてしまった事が悔やまれるだけだ。


「ヴィヴィア、お願いだからそんな風に泣かないでくれ。

 君の事は私が必ず守るから……」


 そもそもの発端はアイラだった。

 これ以上あの女に関わるつもりはなかったが、アイラはともかく頭の軽い取り巻きらが、あのまま大人しく口を噤んでいるとはロベルトにはとても思えなかった。


 崇拝する女性をあっさりと袖にしたロベルトへの意趣返しに、ヴィヴィアの噂を面白おかしく撒き散らしてくる可能性も多分にある。

 どうすればヴィヴィアの名誉を守れるだろうかとロベルトは忙しく考えを巡らせた。


 あの一件だけなら何とか取り繕いようもあるが、この状態のヴィヴィアを誰かに見られてしまえばもう庇いようがない。

 ヴィヴィアにはもう、まともな縁が入らなくなってしまうだろう。


 ロベルトはヴィヴィアを落ち着かせるように背を軽く叩いてやりながら、「今日の夜会は誰と来た?」と優しく尋ねかけた。


 ヴィヴィアはか細い声で「……兄さまと」と答えてきて、ロベルトは考え淀むように視線を地面へと彷徨さまよわせた。


 何としてでもこのヴィヴィアだけは守ってやらなくてはならない。

 それさえ叶うなら他の事は瑣末なのだと、ようやくロベルトにも覚悟がついた。



 

「ヴィヴィア、このままずっとここにいる訳にはいかない。移動しよう」


 ロベルトは静かだが、断固とした口調でそう言った。


「人に会う事があるかもしれないが、ヴィヴィアはただ俯いていればいい。

 私がセイシルの許に君をきちんと届けるから」


 それからヴィヴィアの両頬に手を添えて顔を上げさせ、真剣な顔でその目を覗き込んだ。


「一つだけ、これだけは約束してくれ。アルカウトの名だけは決して口にするな。

 あの男に嫁がされるのは嫌だろう?」


 ヴィヴィアは震えながら頷いた。


 ロベルトの言う意味は分かった。

 アルカウトに無体な事をされたと噂が立てば、両親は自分をあの男の許に嫁がせねばならなくなるのだ。


「説明はすべて私がする。君は何も言うな。

 わかったね」




 ロベルトはヴィヴィアに扇で自分の顔を隠すように言い、その頭を抱くようにして邸内に入った。

 人通りの少ない廊下を選んで歩き、あと少しで休息室に着くという所まで来たが、そこで運悪く、化粧直しから帰ってきた婦人たちの一行とすれ違ってしまった。


 ぶしつけな視線を感じてヴィヴィアは縮こまったが、ロベルトは動じる事なく、「失礼」と会釈して横を堂々と通り過ぎて行く。

 ヴィヴィアの後ろで、夫人たちがひそひそと何事か囁き合っているのが聞こえたが、ロベルトの体に隠れるように俯いて取り過ぎたため、ヴィヴィアが誰であるかまではわからなかったようだ。




 休息室に着くと、ヴィヴィアは安堵から膝から崩れるようにソファーに座り込んでしまい、ロベルトはすぐ、侍女の一人に伝言を頼んだ。


 やがて言伝を聞いたのか、侍女に先導されたセイシルが慌ただしく室内に入ってくる。



 髪を乱し、ドレスが裂けた状態のヴィヴィアを見て、セイシルの顔色が変わった。

 そして説明を求めるように、すぐ傍に立つロベルトに険しい視線を向けた。


「ロベルト、これは一体どういう事だ!」


 ロベルトは事情は一切口にせず、ただ「すまない」と頭を下げた。

 かっとなったセイシルが、思わずロベルトの胸倉を掴み上げる。


「兄さま、止めて……ッ!」


 悲鳴のようなヴィヴィアの制止は間に合わず、セイシルは握り締めた拳でロベルトを殴りつけた。

 ロベルトはそのまま床に倒れ込み、ヴィヴィアは兄からロベルトを守るようにその手前に身を投げ出した。


「兄さま、違うの……!」


 思わず真実を口にしようとした瞬間、「ヴィヴィア!」とロベルトが鋭い声を割り込ませた。


 はっとして見たロベルトの口元からは血が滲んでいて、ヴィヴィアは申し訳なさに涙を溢れさせたが、ロベルトは無言で室内に控えている侍女たちの方に視線を走らせた。


 この場にいるのは、ヴィヴィア兄妹とロベルトだけではない。

 先ほど言われた言葉を思い出し、ヴィヴィアは言葉を呑み込んだ。


 この場で真実を言えば、取り返しのつかない事になる。

 ヴィヴィアに言える言葉はなかった。


 セイシルは床に座り込んでいた妹の手を掴んで立ち上がらせ、自分の後ろへと庇った。


 ロベルトは口の端の血をゆっくりと拭い、そのセイシルと正面から向き合った。


「叔父さまたちには明日にでも釈明に伺う。

 申し訳なかった」


 そうして深々と頭を下げ、ロベルトは静かに部屋を出ていった。

 




 休息室で身だしなみを整えた後、ヴィヴィアは兄にエスコートされて夜会会場を後にした。


 帰りの馬車の中で、ヴィヴィアは泣きながらすべてを兄に話した。


 ロベルトをどうしても諦めきれずに目で追っていて、それをアイラ嬢やその取り巻きたちに笑われた事。

 後先考えず暗い庭園に踏み込んでしまい、酔ったアルカウトに襲われかけ、それをロベルトに助けられた事。


 本当の事を聞いたセイシルは頭を抱え込んだ。

 怒りにまかせて親友を殴りつけたはいいが、事情を聞けば軽率な行為で迷惑をかけたのは妹の方で、ロベルトは苦境にあった妹を助けてくれた恩人だ。


 ヴィヴィアの身に何事もなかった事だけは良かったが、休息室に行く途中、ドレスや髪を乱した姿を貴婦人らの一行に見られたと聞いて、セイシルは言葉を失った。


 扇で顔を隠していたというから、あの場では誰なのかはわからなかった筈だが、着ていたドレスなどからいずれその女性がヴィヴィアだと特定されてしまうだろう。


「ああくそっ」とセイシルは頭を掻き毟った。


「これはもう、私の手には負えない。

 家を巻き込んだ話し合いになるぞ」





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