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血の呪い


「あら、また貴方の事を見ているわ」


 音楽に合わせて軽やかにターンしたアイラが含み笑いでそう囁いてきて、アイラをリードしていたロベルトは辟易とした気分を押し隠し、「そう?」と穏やかに応じた。

 アイラが言うには、どうやらロベルトの事をずっと見ている女性がいるらしい。


 アンテルノ家は公国でも数少ない旧家の一つであるから、その嫡男であるロベルトに秋波を送る女性は多い。

 夜会に行けば群がるように女性たちに周りを取り囲まれる事はざらであり、今さら自分を見ている女性がいると指摘されたところで、特段、何の感情も湧かなかった。


 悪友のセイシルからは、お前は腐るほどモテていいなとやっかみ混じりに愚痴られもしたが、ロベルトに言わせれば何の事はない。

 彼女らはロベルトという男が好きなのではなく、未来のアンテルノ卿夫人の座を射止めたいだけだ。


 こうして自分に甘い笑みを向けてくるアイラとて、彼女らと大した違いはないだろうと、ロベルトは冷めた心で独り言ちる。


 他に崇拝者を多く持つアイラの事だ。

 自分がいずれアンテルノ家を継ぐ身でなければ、ロベルトの事など見向きもしなかったに違いない。



 アイラ・ノルディアムは、今のところロベルトの婚約者の筆頭候補だ。

 公国の北部に鉱山を持ち、かなりの財力を有するノルディアム卿の愛娘で、気の強そうなアーモンド色の瞳と肉感的な小さめの唇が印象的な美少女である。


 趣味は乗馬と聞いていたが、確かに先日、大公家主催の狩場で見せた乗馬の腕は大したものだった。

 普通の令嬢たちが横乗りで上品に乗馬を楽しむ中、アイラは大胆にも跨って騎乗して、男たちが本気で馬を早駆けさせてもおくれを取る事はなかった。

 

 健康的な頬を上気させて生き生きと馬を操るアイラの姿は衆目を集め、あの日は大公殿下からもお褒めの言葉を頂いていた。

 

 豊満な白い胸と括れた腰を持つアイラは、それだけでも十分に貴公子らの目を引く令嬢だ。

 その上、身体も丈夫で持参金も半端ないとなれば、その手を取ろうとする貴族令息は後を絶たず、大勢の崇拝者を従えたアイラは社交界でもかなり目立つ存在だった。



 そのアイラとの婚姻を父から打診された時、ロベルトは悪くない縁だと端的に思った。


 アンテルノ家は家格は高いが、さほど裕福な貴族ではない。

 海沿いに領地を持つのだが、大きな川が一本と小さい川が二本流れ込むような場所があり、上流から運ばれた土砂が堆積して使い物にならない湿地帯があるからだ。


 その分農地収入は少なくなり、収益を上げるために歴代の当主らは様々な改革を行ってきたようだが、未だ思うような成果が出せていない。

 名家の格を維持するには相応の金がかかり、そのため父は多額の持参金を持った娘をロベルトの嫁に迎えたいと考えていた。


 そうしたアンテルノ家の事情を伝え聞き、仲介者を通じて莫大な持参金を提示してきたのが新興の貴族であるノルディアム卿だった。


 質の良い鉱山を持ち、莫大な領地収入を得ているノルディアム家だが、社交の場では成り上がりなどと陰口を叩かれる事が多い。

 家の箔づけのために家格の高い家と縁を結ぶ事を切望していて、それが旧家と呼ばれるアンテルノ家であれば、まさに申し分なかった。


 父からこの縁談を勧められた時、ロベルトは少し考える時間が欲しいと父に頼んだ。


 ノルディアムの家格の低さを問題視したのではない。

 妻となる女性がどのような人間なのか、ロベルトは自分の目で確かめておきたかったのだ。


 愛情深く、家名よりもロベルト自身を慕うような女性なら、この話は断るべきだった。


 何故ならロベルトは、その女性が自分に向けてくるのと同等の愛情を返す自信がない。

 勿論、不実な夫になるつもりはなく、妻として迎える以上は大切に遇し、それなりに穏やかな家庭を築いていこうとは思っていたが、それ以上の心を与えてやるのはどうしても無理だった。


 ロベルトの心はすでに別の女性に捕らわれていた。

 ロベルトの体に流れるアンテルノ家の血が、呪いのようにロベルトの心を縛っていた。



 血の濃い相手にどうしようもなく惹かれるというやっかいな性癖はロベルトには如何ともしがたいものだ。

 この先も変わる事はないだろう。


 ロベルトの祖父は従姉妹である女性を狂ったように愛し、それ以外の女性には決して目を向けなかった。

 その執着は度を越したもので、祖父は妻が社交の場に顔を出す事さえ厭い、館内やかたうちに閉じ込めて子を孕ませ続けた。


 祖母は流産と死産を繰り返し、跡継ぎとなる男児をようやく産み落とした後、最後に女児を産んだ時に力尽きたように亡くなった。

 祖父の嘆きは深く、数年後には祖母の後を追うように身罷った。



 自分が祖父と同じような性質を受け継いでいると気付いたのは、いくつの頃だっただろうか。


 幼い頃から遊んでいた三つ年下の愛らしい従姉妹は、いつの間にかロベルトにとっての特別になっていた。


 抜けるように白い肌と陽に透ける淡い金髪を持った、まるで高価な陶器人形のような愛らしい女の子。

 目はぱっちりと大きくて睫毛も長く、肌はすべすべと柔らかくて、その頬は時折、熱のために上気していた。


 ヴィヴィアは体の弱い女の子だった。

 近親結婚の弊害が現れてしまったのだろうと、今ならばロベルトにもわかっている。

 幼い頃からちょっとした事で体調を崩す子で、外遊びする事もほとんどできていなかった。


 幼い頃からセルダント家にはよく遊びに行っていたが、外で体を動かす事が好きなロベルトと、窓から外を眺めるくらいしかできないヴィヴィアとの接点はそれほど多くない。

 ヴィヴィアには、ロベルトと同い年のセイシルという兄がおり、ロベルトはもっぱらこのセイシルと遊んでいたからだ。


 ただ、ヴィヴィアの事はいつも心の隅から消える事はなかった。

 行けばまず、ヴィヴィアが熱を出していないか手で触れて確かめるのがロベルトにとっての決まり事になっていたし、同じ事を自分の弟がしようとすると、理由をつけて邪魔をした。

 自分以外の男がヴィヴィアに触れるのが、ひどく不快だったからだ。


 多分、その頃にはもうヴィヴィアの事が好きだったのだろうとロベルトは思う。

 ただ、その事に気付いてはいなかった。


 図らずも、想いを自覚させる一言をロベルトに突きつけたのは父親だった。


 どうやらヴィヴィアはお前に恋をしているようだ。

 あの子を諦めさせるために、距離をおくように。

 

 ヴィヴィアの気持ちを知らされた瞬間、ロベルトの腹の中がかっと熱くなった。

 愛おしさと歓喜が体を走り抜け、恋を自覚したと同時に、血の近いヴィヴィアを想うその罪深さを思い知らされた。


 父親の言葉は理に適っており、逆らう選択肢はロベルトにはなかった。


 

 騎士学校に入学する前、ロベルトはいつものようにセルダント家を訪れた。

 叔母夫婦に挨拶し、従兄弟たちとひとしきり遊んだ後、ロベルトは叔母たちの目を盗むように物陰にヴィヴィアを連れ出した。


 口にできる言葉は限られていて、「卒業したらまた会えるから」とあやふやな言葉で別れを告げれば、在学中はもう会えないと知ったヴィヴィアは大きな瞳にみるみる潤ませ、涙をひとしずく零した。


 好きで堪らない少女のそんな姿を間近に見て、なけなしの理性も吹っ飛んだ。

 気付けば腕の中に最愛の少女を抱きしめていて、「ヴィヴィアも体には気を付けて」と何とか言葉を絞り出し、誘惑を断ち切るようにすぐに踵を返した。



 ヴィヴィアに告げた言葉の通り、在学中は一切ヴィヴィアと関らなかった。

 騎士学校を卒業した後もロベルトはセルダント家を訪れる事を敢えて避け、様々な社交にいそしみ、嗜み程度に賭博に興じて、戯れの恋の遊戯を楽しんだ。


 ヴィヴィアとの思い出は日一日と薄らいで、このまま忘れられるだろうとロベルトは安堵した。


 再び運命が動き出したのは、大公家が主催した六月の舞踏会だった。

 毎年六月に催されるそれはデビュタントたちのために用意されるもので、ロベルトはその中にヴィヴィアの姿を見つけてしまったのだ。


 五年ぶりに見るヴィヴィアは人形のような愛らしさはそのままに、どこか儚げな美少女にと成長していた。

 その清楚な美しさに引き寄せられるように男たちが近付いていき、請われるままにヴィヴィアがその手を取っていく。


 ヴィヴィアの踊りは軽やかで、まるで妖精のような愛らしさがあった。

 ターンすればドレスの裳裾がふわりと舞い、雪のように白い頬は僅かに上気して、ヴィヴィアに見つめられた男たちが呆けたように顔を赤くしていた。


 どす黒い嫉妬がロベルトの胸の中に湧き上がった。

 ヴィヴィアの手を取る男たちを殴りつけてやりたいという凶暴な衝動に駆られ、ロベルトはこの日、自分が微塵もヴィヴィアを忘れていなかった事をまざまざと思い知らされた。


 やがて疲れたのかヴィヴィアはダンス会場からバルコニーの方へ移動していき、ロベルトは迷わずその後を追う。


 手すりに身をもたせかけ、ほうっと小さな息を零していたヴィヴィアが、人の気配に気付いてゆっくりと後ろを振り返る。


「ヴィヴィア」


 静かに声を掛ければ、ロベルトの方を振り向いたヴィヴィアの目が大きく開かれる。

 罪深さと歓喜の入り混じるその眼差しを見た瞬間、ロベルトはヴィヴィアもまた自分を想っている事を確信した。






 


 短い邂逅は、セイシルがヴィヴィアを探しにやってきた事であっけなく終わりを告げた。

 セイシルは、ヴィヴィアに近付かないようと改めてロベルトに釘を刺し、ロベルトもまたわかったと答えた。


 自分にはアンテルノ家を存続させる義務がある。その立場を忘れるつもりはなかった。


 ロベルトはその後、二度とヴィヴィアと関わらなかった。

 様々な社交の場で顔を合わせる事はあるが、決して近付く事はない。従兄妹という近しい関係でありながら、ヴィヴィアは誰よりも遠い存在だった。





 ダンスを終えた後、アイラは少し休息したいとロベルトに言ってきて、ロベルトはアイラをエスコートしてホールの隅に移動した。

 すぐにアイラの崇拝者たちが寄ってきて、これではまるで自分がアイラに群がる男の一人のようだとロベルトは思わず苦笑を刷いた。


 取り巻きたちは、自分たちの女神であるアイラの機嫌をとろうと必死になっている。

 ロベルトに絡んでくる輩もいて、流石に鬱陶しくなったロベルトは輪からから外れようとしたが、その度にアイラから引き留められた。


 崇拝者を多く持つアイラは複数人の令息から求愛を受けていて、今は返事を保留にしている状態だ。

 アンテルノ家が未だ態度をはっきりさせないため、どう動きようもないのだろう。


 今まで多くの男性から賛美され、その心を虜にしてきたアイラにしてみれば、ここふた月近く、さまざまな社交の場で親交を深めてきたにも関わらず、ロベルトが一向に靡かないのは、ひどく苛立たしい事であるようだった。

 ロベルトの周囲から女性を遠ざけようとする振舞いが最近はあからさまになっていて、これ以上曖昧な関係を続けてもいい事にならないのは明らかだった。


 心を決める時期だった。

 二年前、ロベルトの母は他界していて、女主人として館を束ねる人間も必要だ。

 アイラは社交性もあり、教養にも優れている。

 提示されている莫大な持参金はアンテルノ家を潤し、妻としてもアイラはきちんと家を盛り立てていくだろう。


 こうしてひとつの結論を出したロベルトだが、思いごとに浸り、生返事を繰り返していた事が殊の外アイラの気に障ったようだ。


「わたくしの傍にいらしても、いつも上の空でいらっしゃるのね」


 拗ねたように上目遣いでロベルトを見上げてきたアイラだが、その口調には険がある。

 機嫌をとろうとロベルトが口を開きかけた時、ふとアイラが面白い余興を見つけたように唇の端を上げた。


「まあ、あの方ったらまた貴方の事を見つめておいでだわ」


 その誰かに見せつけるようにアイラは腕をからませてきて、馴れ馴れしい仕草にロベルトはやや困惑した。


「貴方に話し掛けたいなら素直にそうなさったらよろしいのに。

 皆様もそう思われませんこと?」


 面白がるように言って思わせぶりにその方向を見たものだから、ロベルトやその周囲にいた男たちも自然、アイラの視線の先を追う形となる。


 だが、その女性が誰かを認識した瞬間、ロベルトの顔から血の気が引いた。


 ヴィヴィアだった。

 

 ロベルトたちが一斉に振り向いた事で、自分の事を面白おかしく話していたとヴィヴィアにもわかったのだろう。

 ロベルトと目が合ったヴィヴィアは恥じらいと絶望に顔を歪ませ、そのまま踵を返してその場から逃げてて行った。

 

「おやおや、逃げて行かれましたね」

 

 取り巻きの一人が小馬鹿にしたように言い、周囲の男たちがどっと笑った。

 アイラは困ったように扇で口元を隠したが、笑みを隠したのは一目瞭然だった。


 握り締めたロベルトの拳が白くなった。

 

 アイラのやった事は取り返しがつかない。この女は、口の軽い取り巻きたちの前でヴィヴィアの恋心を明るみにし、わざと貶めた。

 この話は瞬く間に社交界に広がり、ヴィヴィアは名を傷つけられるだろう。


「……彼女が私の従姉妹だと言う事を貴女は知っていた筈だ」


 怒気を抑えて問い質せば、「見つめるばかりで話しかけようともなさらないから、手助けのつもりでしたのよ」としおらしくアイラは答えた。


「手助け?このように彼女を辱しめる事が?」


 腕に置かれていたアイラの手を強く払い、ロベルトは一歩身を引いた。

 いつも礼儀正しく穏やかなロベルトが険しいともいえる表情を見せている事に、アイラはようやく気付いたようだった。


「ロベルト……?」


「貴女の行為は不愉快だ」


 驚いたように瞠目するアイラに、ロベルトは厳しい語調で吐き捨てた。


「私の父も彼女の事を可愛がっている。

 このような侮辱を与えた君と親しく付き合う事を、父も望まないだろう」


 それは、両家の縁組の可能性が切れた事を意味した。

 アイラは青ざめ、慌てて弁明しようとしたが、ロベルトはそれを手で制した。

 ヴィヴィアを貶めたこの女とこれ以上話す事は何もない。


「失礼する」





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